遂に入手できました!もう最高にうれしいです!!ロバート・レヴィcond. ローレンス大学ウインドアンサンブルによる「ポール・クレストン作品集(LP)」と
ポール・クレストンの名著「リズムの原理」(音楽之友社版)
随分長いこと探していました-。
LPはAmazon U.S.A.で偶然見つけました。”買えた”瞬間飛び上って喜び、アメリカから無事届いた時にはガッツポーズ!です♪
LPの収録曲は”Celebration Overture””Zanoni””Prelude and Dance””Anatolia””Jubilee”。傑作「ザノーニ」のノーカット音源として、あまりに貴重なものなんです☆
(「プレリュードとダンス」も、もうあとはウィリアム・レヴェリcond. ミシガン大学バンドの演奏が手に入れば…。)
今日CD化完了したものが届き、早速楽しんでおります♪
ずっと欲しかったものが…
更新情報
2013.4.2. 探し求めていた「ポール・クレストン作品集」
遂に入手しました!
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
2012.12.28. イーグルクレスト序曲 upしました
2012.12.23. 懐かしの「素晴らしきヒコーキ野郎」
あの「ブラスのひびき」テーマ曲、音源入手しました
2012.12.14. チェルシー組曲 出版社サンプル音源 linkしました
2012.11.30. コラールとカプリチオ upしました
2012.11.23. コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディ
upしました
2012.7.22. インヴィクタ序曲 upしました
バンドのためのビギン
Beguine for Band
G.オッサー (Glenn (Abe) Osser 1914- )
特徴的なビギンのリズムに乗って、抒情的な旋律が伸びやかにそして美しく歌う-小品ながら聴くもののハートを瞬間に捉える、なかなかに素敵な楽曲である。
1954年初演の吹奏楽オリジナル曲であり、吹奏楽ポップスの草分けの一つとも云えよう。1954年はルロイ・アンダーソンが名作「トランペット吹きの休日」を発表した年でもあり、この曲の誕生には1940年代後半からアンダーソンが築いてきたライト・クラシックの影響があったかもしれない。
※曲名は本Blogの基本方針に則って訳すなら”吹奏楽のためのビギン”
となる。しかしながら近年この曲が演奏される機会は非常に少なく、
良く演奏されていたのは1970年代前半までであったことから、その当
時最も流布していた曲名”バンドのためのビギン”を本稿では採用す
ることにした。作曲者グレン(エイブ)・オッサーは米国ジャズ界の大御所の一人。当初サクソフォン奏者としてベニー・グッドマンらと録音を残したのち、(あの”ラプソディ・イン・ブルー”を委嘱初演したことで高名な)ポール・ホワイトマン楽団でアレンジャーを務めたほか、ABCやNBCにおける放送分野での音楽キャリアも厚く、またパティ・ペイジやドリス・デイ等有名歌手のバックも務めるなどその活躍は華々しい。リーダー・アルバムも数多く、その楽曲にはボサ・ノヴァやマンボ、チャチャ、ハワイアンにフラメンコと多種多彩なスタイルでアレンジが施されており、実に幅広い音楽的造詣と手腕を持つと評されている。
シンフォニーバンドが高名なミシガン大学※の卒業生であること、また第二次大戦中はアメリカ海兵隊に従軍したことから、吹奏楽との接点も多かったと思われるオッサーは、ミシガン州にあるポンティアック高校バンドのためにこの「バンドのためのビギン」を書いた。彼の吹奏楽曲は他に「イタリアン・フェスティヴァル」「フレンチ・フェスティヴァル」などがあるが、いずれもポップな作品となっている。
※後掲のようにウイリアム・レヴェリcond.ミシガン大学シンフォニーバンドは
1959年に「バンドのためのビギン」を演奏した録音を残している。
♪♪♪ビギン(beguine)はコール・ポーターの名曲「ビギン・ザ・ビギン」によって広まった音楽で、譜例にある通りシンコペーションを効かせた特徴的なリズムパターンが印象的であり、ゆったりとはずむように演奏されるので、旋律的にも優雅で奥行きのある幅広いフレーズが良く似合う。この曲のほか「ベサメ・ムーチョ」などラテン楽曲のアレンジによく用いられている
ビギンの楽曲ではギロ(guiro)やマラカス(maracas)の大活躍するさまが目に浮かぶことだろう。特にギロの少しひっかけるようにして擦る奏法を活かした、やや粘っこく、しかもはずんだ感じの演奏が求められる。
【出典・参考】
ポピュラー・リズムのすべて-ポップス、ロック、ラテンの分析と奏法
由比 邦子 著 (勁草書房)
ビギンのみならず、ポピュラー音楽全般について特性とそれを生み
出した歴史、そして使用される打楽器の奏法、そして楽曲に使用さ
れるリズムによって特徴あるポイントなどを総覧的に解説した好著。
♪♪♪
「バンドのためのビギン」はこのビギンのリズムをフィーチャーした作品であり、当時はそれこそ流行を取入れた極めて”新しい”吹奏楽曲だったはず。全編を支配するロマンティックで優美な旋律があり、これがさまざまに受け継がれ、対旋律やバッキングによってとりどりに彩られていく。またダイナミクスの変化も含めたコントラストに富むことも見逃せない。
序奏部からしてとても素敵!
伸びやかに始まった音楽が響きに豊かさを増してぐんぐん膨らんでいく、夢見るようなオープニングだ。(冒頭画像)
これが静まって、いよいよOboeが魅力的な旋律を奏で始める。抒情的で美しく、加えてビギンのリズムを活かしたスケールの大きなこの旋律が生み出せた時点で、既にこの楽曲は成功していると云えよう。伴奏でビギンのアクセントを醸すClarinetの音色もとても心地よい。
この一つの旋律を、木管高音→木管テュッティ→中音楽器群(Horn、Sax、Euph.)→Cornetリードの木管テュッティと引継ぎ歌い上げていくのだが、巧みな転調を施し、Muted Trp.の音色を活かしたバッキングやEuph.のふくよかなカノン風の対旋律、金管群のダイナミックなブレイクなどの装飾も凝らすことで、次々に色彩を変え表情を変えていくのが見事である。
グリッサンドをかけながら上昇していく音型のブリッジを挟んで更に転調し、スケールを拡大していく。ここでも効果的なG.P.を用いた感情の昂ぶりの表現や、続いて中低音群が描く戦慄の角ばったイメージなど、変化に富んで飽きさせることがない。
最後はもう一度転調してHorn+Sax.の雄大なオブリガートが劇的に絡んで高揚し、コーダに突入するやスピード感を増して一気に華々しく曲を締めくくる。鮮やかなエンディングに拍手喝采間違いなし!だ。
♪♪♪
私自身は選曲のための試奏で棒を振ったことがあるだけなのだが、始まった瞬間にふわーっとサウンドの広がる、伸びやかによく鳴る曲だった。これもオッサーの優れた手腕の賜物と思う。これほどに優れた作品を忘れてほしくはない。
音源は、この曲の再評価のきっかけを作ってくれたフレデリック・フェネルcond.
ダラス・ウインド・シンフォニー
の演奏をお奨めしたい。美しく爽快な演奏となっており楽曲の魅力を堪能できよう。”吹奏楽アンコール名曲集”としてリリースされたこのCDの中でも、「バンドのためのビギン」は一際魅力を放っている。
【その他の所有音源】
ウイリアム・レヴェリcond.ミシガン大学シンフォニーバンド
指揮者なし ケンウッド・ブラス・アンサンブル
♪♪♪
最後に、そもそも「ビギン」とは何なのか?
-このことを詳しく述べておく必要があるだろう。
ビギンは「マルティニーク島に発祥したダンス・リズム」と説明されることが多い。しかし結論から云えば、現在「ビギン」と称されている音楽と、このマルティニーク島生まれの「ビギン」という音楽とは別物、と考えるのが妥当である。
※以下、本稿では判りやすくするためにマルティニーク島で
発祥し1920-1930年代にパリでも大流行した”本来のビギン”
を便宜上「マルティニーク・ビギン」、現在一般的にビギンと
称されている音楽を「ビギン」と表記することにする。マルティニーク・ビギンは中米カリブ海の小アンティル諸島南部のフランス領、マルティニーク島※で生まれた。
「それによってベルサイユとギニアが南北アメリカの真ん中で合体できるもの」と称されたマルティニーク・ビギンは、ヨーロッパの宮廷音楽とアフリカのリズムの躍動とが出会い、交じり合ったものとされる。
即ち、当時フランスの植民地であったマルティニークに白人植民者たちが持ち込んだヨーロッパの芸術音楽(メヌエット・ガヴォット・カドリーユ・ワルツ・ポルカ・マズルカなど)が、黒人奴隷の労働歌や伝承民謡(ラギア・ベレール・レローズ・カレンダ・オートタイユなど)と一つになって雑種音楽を生みだし、これが1848年の奴隷制廃止の後、さらにクレオール音楽として発展していったものである。
※マルティニーク島 (Martinique)
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)やポール・ゴーギャンに深く愛された
ことでも知られる。殊に、日本とも関係の深いハーンがマルティニーク
の自然とクレオールの文化、クレオール女性の魅力に強く惹かれて
いたことは有名。既にマルティニーク・ビギンも誕生していた1902年に
ペレー山大噴火により当時の首府サン・ピエールが壊滅するという悲
劇も起こっている。【出典・参考】
・「マルティニーク熱帯紀行」
工藤 美代子 著 (恒文社)
・「クレオール、世紀末の旅から」
小泉 凡 著
~「カリブ 響きあう多様性」
(ディスクユニオン)より
このマルティニーク・ビギンはパリへと渡り、1920-1930年代を中心に一大センセーションを巻き起こす。その当時の歴史的名曲・名演を集めたCD全集が
「ビギンの黄金時代 1929-1940」「ビギンの再発見 1930-1942」(左画像)である。
そこには”ビギン”と名のつく楽曲が多く収録されているのだが、聴いてみるといずれも悉く、あのビギンの特徴とされる”ズチャーチャ ズチャズチャ”というリズムとは無縁なのだ!
またマルティニーク・ビギンの全盛期には、”ビギン”と同様に”ヴァルス”や”マズルカ・クレオール”なども流行を極めたそうで、それらも聴くことができるが、やはり”ズチャーチャ ズチャズチャ”はどこにも登場しない。マルティニーク・ビギンの音楽としての特徴は「ラグタイム」に近い※と感じられる。代表的な演奏家としてClarinet奏者アレクサンドル・ステリオ(Alexandre Stellio 1885-1939)らが挙げられるが、いずれの楽曲も民族的個性の強い、陽気でエキゾティックで熱狂的な魅力に溢れた音楽となっている。
こうしてマルティニーク・ビギンが生んだマルティニーク音楽の流れは、カリ(KALI)がアルバム「ラシーヌ」(1988年)「ラシーヌ2」(1990年)を上梓しヒットするなど、現在のミュージシャンたちにも確りと受け継がれ愛好され続けているのである。
※「ビギンの黄金時代」リーフレットを執筆したジャン=ピエール・ムーニ
エも、CD1曲目に収録されたアレクサンドル・ステリオの”Sepent
Maigre” につき「その様式やメロディー構成がラグタイムのそれを思
わせ、スコット・ジョプリンの数ある作品に近いのではないだろうか。」
とコメントしている。
また、ラグタイムギタリストの浜田 隆史氏もマルティニーク・ビギンに
ついて以下のように述べておられる。
「ビギンの楽しくロマンチックなメロディーの雰囲気、上品な転調、
シンコペーションの型など、どれをとってもラグタイムの兄弟のように
私は感じている。ピアノ伴奏のあるパートなどは、もろにラグタイムで
ある。
ここで数曲聴くことができる「シャンソン・クレオール」は、あまりシンコ
ペートしないが、これは特にスコット・ジョプリンのオペラ「トゥリーモニ
シャ」の独唱パートに似た感覚をとらえることができる。
ビギンを生んだクレオールたちは、ラグタイムにも大変大きな役割を
果たしたようだ。有名なラグタイマーでは、Louis Chauvin、Jelly Roll
Morton もクレオールだった。David Thomas Roberts のモダン・ラグ
に流れる音楽精神は、多くがクレオール音楽に根ざしたものだと解
釈できる。」
【出典・参考】
・CD「ビギンの黄金時代」リーフレット解説
ジャン=ピエール・ムーニエ 著 向風 三郎 訳
・「マルティニークの「ネグル」な伝統音楽」 石塚 紀子 著
~「カリブ 響きあう多様性」(ディスクユニオン)より
・ 「ラグタイムの解説」 浜田 隆史
一方、現在の「ビギン」がコール・ポーター(Cole Porter 1891-1964)の名作「ビギン・ザ・ビギン」(Begin the Beguine)によって初めて確立し、広まったものであることは既に述べた。
ミュージカル「ジュビリー」(Jubilee/1935年)のナンバーとして誕生したこの曲は歌詞もコール・ポーターの作であり、
「ビギンが始まると君との恋の想い出が甦る…」と始まり、嘗ての恋人との再会に戸惑いながらも、また新たに思いを固め、「二人の愛が再び燃え上がるように、またビギンを始めよう」と歌い上げていくものとなっている。
歌詞中のビギンは”マルティニーク・ビギン”を指し示しているが、リズムはマルティニーク・ビギンとは違うものだ。これは、コール・ポーターがマルティニーク・ビギンを彼なりに解釈したものであるとか、どちらかといえばボレロに近いなどと評されている。
即ち「ビギン・ザ・ビギン」はマルティニーク・ビギンのことを歌った歌ではあるが、そのリズムはマルティニーク・ビギンとは異なる、コール・ポーターの生み出したものであり、それが「ビギン」として広まったということ。そして「ビギン・ザ・ビギン」は”ビギンの代表作”となって現在に至った、と総括できよう。「ビギン・ザ・ビギン」はその後1938年にジャズ・クラリネット奏者アーティ・ショウ(Artie Shaw 1910-2004)によってスウィング・ジャズとしてカバーされ大ヒットとなる。彼の演奏する「ビギン・ザ・ビギン」はもちろんスウィング・ジャズであり、ビギンではない。しかし、このカバー・ヒットが「ビギン・ザ・ビギン」の(原曲を含めた)魅力を広く世に認識せしめ、不滅のスタンダード・ナンバーへと押し上げたことは間違いない。
その後「ビギン・ザ・ビギン」はさらにフランク・シナトラやペリー・コモ、さらにフリオ・イグレシアスらの名唱へと歌い継がれていくことになるのである。
本来の題材から離れて誕生し、高く評価されたのはスウィング・ジャズにアレンジされたのがきっかけ-。
つくづくビギンという音楽はユニークなのである。
シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」
Syncopated March ”Toward Tomorrow”
岩井 直溥 (Naohiro Iwai 1923- )「吹奏楽ポップスの父」「ニュー・サウンズ・イン・ブラスの生みの親」-そう称され、広く敬愛される超人気作・編曲家にして、今や吹奏楽界の重鎮中の重鎮である岩井 直溥が1972年度全日本吹奏楽コンクール・中学の部課題曲として上梓した”モダン・マーチ”の傑作である。
1970年度より全日本吹奏楽コンクール全国大会は順位制から金・銀・銅のグループ表彰制に移行していた。全国大会はフェスティヴァル的な色彩を強めたとも評され、当時のバンドジャーナル誌を読むと吹奏楽へ”より音楽的に、より個性的に”との要請が高まっていたように感じられる。
技術的なレベルも向上して自由曲も一層幅広くさまざまな楽曲が演奏されるようになり、その難度も急激に上昇してきた頃である。この年はまさに本土復帰が成ったばかりの沖縄から、真和志中(指揮:屋比久 勲)が本作「明日に向って」と「トッカータとフーガ ニ短調」を引っ提げて全国大会に初出場。豊かな”沖縄サウンド”で聴く者を魅了し、見事金賞を射止めて話題をさらっている。この1972年は吹奏楽界にとってさらにエポック・メイキングな年であった。今となっては本邦吹奏楽の最大の特徴の一つである”本格的なポップス演奏”をスタートさせた”ニュー・サウンズ・イン・ブラス”シリーズが登場したのだ。一流アレンジャーによる本格的なスコアと音源(LPレコード)のセットという画期的なこの企画は徐々に広がりを見せ、ほどなく吹奏楽界を席巻したのである。
折しも1960-1970年代は洋楽の名曲に溢れ、それが怒濤の如く流れ込んできた豊かな”歌”の時代。伴奏も器楽をふんだんに用いたゴージャスなものが多く、歌詞のないアレンジを施しても褪せない魅力を放つ楽曲が多かった。加えて”インストゥルメンタル”のジャンル自体も、ポール・モーリア楽団をはじめとして高い人気を誇っていたのだから、タイミングは絶好である。かくして吹奏楽界はプレーヤーを楽しませることはもちろん、「お堅いクラシックはよくわからん!」という聴衆に対しても演奏を楽しんでもらえる”ナウいポップス”(死語^^;)という武器を得たのだった。この意義の大きさたるや…測り知れない!
この年のコンクール全国大会でも岩井 直溥cond. 東京佼成吹奏楽団が審査結果発表までの時間を利用して”賛助出演”のステージに上り、リリース間もない”ニュー・サウンズ”のナンバーを含めた数曲のポップス曲を演奏した模様である。未だ保守的な時代であり、この演奏を聴いたコンクール出演者は「神聖なコンクールの場に果たしてふさわしいのか…?」と戸惑っている。しかし同時に、吹奏楽が奏でるポップスの愉しさも理屈抜きに伝わったようだ。※
そしてこのステージでは何と「”明日に向って”ポップス・バージョン」も披露されたとのことである。聴衆はさぞや目を丸くしたことだろうし、そして大いにウケたことだろう。凄い!
※バンドジャーナル1973年1月号記事 : 「bj19731.jpg」をダウンロード
この後、吹奏楽コンクールにはポップス課題曲が次々と登場することとなるが、岩井 直溥はその立役者となって「未来への展開」「メインストリートで」「かぞえうた」などの秀作を送り出していくのである。
♪♪♪
「まずこの曲は”明るくて楽しい”を主眼に置いて作りましたので、全体によくリズムに乗って、明るい音色で演奏してください。全般的な注意としては『シンコペーション』が多く使われていますので、このリズムの乗り方を研究し、また『ハーモニー』はMaj 7あるいはMaj 9が主体になっていますので、このハーモニーのバランスには気をつけてください。(中略)またタイトルの『明日に向って』ということからも、従来の『マーチ』のイメージからはかなり異なった『コンサート・マーチ』ですので、新しい感覚で躍動的に、そしてあまり堅くならないように。」
上記コメントにも”ニュー・サウンズ”の生まれたこの年に、”より音楽的に、より個性的に”と吹奏楽に新風・新機軸を吹き込もうとする岩井 直溥の並々ならぬ気炎が感じられる。その結果、標題からは意外なほど、最高にポップでイカしたマーチが登場したのである。
金管+Saxのリズミックなユニゾンに始まる序奏部、これを受けるシンコペーションを効かせた木管群が曲の特徴を端的に提示している。(冒頭画像)豊かに鳴り響く全合奏のファンファーレ風楽句に続き木管群の16分音符がキラキラと輝き、これをTimp.がズドンと”キメ”る。-実にカッコ良い序奏部を形成しているのだ。
ベルトーン風に上昇する音型で頂点を迎えたのち、モダンなハーモニーを響かせて躍動する伴奏が現れるのが、大変に印象的である。リズミックに、そしてバランスよくハモれたなら、この部分の斬新さ、カッコ良さにゾクゾクさせられること請合いだ。
主部は上向系の湧き上がるような主題にEuph.のふくよかな対旋律と木管のカウンターが絡んで立体的な音楽に始まる。これに続くシンコペーションを効かせ”コードで動く”楽句の応酬にも心躍らされてしまう。
スネアとXylophoneのギャロップに導かれて主題が再現され、ポップスの輝きを示す分厚いサウンドを響かせると、エキサイティングな3/8+3/8+2/8のリズムで前半を仕舞い、Trioに入る。
Trioはビギンのリズム-。これに乗ってHorn(+Sax.,Euph.)に旋律を奏でさせるくだりはまさに岩井節の真骨頂!優雅で、どこかセンチメンタルな旋律がとても素敵だ。リピートして木管楽器のシンコペーション伴奏に華やぐと、鮮烈なファンファーレが鳴り響き、G.P.に続くフル・テュッティによる劇的な二分音符フェルマータ3発に導かれ、終結部へ。
コーダは大きなビートを示すシンコペーションのアクセントに続いて爽快な打楽器ソリ、そして冒頭のユニゾン再現から、Trio前の3/8+3/8+2/8のリズムを再び打ち込んで、帰結感を充満させつつ曲を閉じる。
♪♪♪
まだ私が九州に居た時分、コンサートの幕開けにこの曲を演奏したバンドがあった。緞帳を上げると同時に曲を始めるオープニング(九州に多いスタイル)だったのだが、オープニングでのこの曲は想像以上にカッコ良かった!「時代」(=当時の流行)を感じさせる楽曲であることも事実だろうが、単に古臭い楽曲ではない。その輝きと躍動とを確りと捉えた好演をもっと聴きたいものだ。
「テンポは♩=144位としてありますが、(中略)あまり遅すぎたり、速すぎたりすると明るさや楽しさが出ませんので、その点にはよく注意してください。」
との作曲者指摘があるが、音源を聴き比べるとその意味がよく判る。ポップスの第一人者らしい、そしてのみならずオール・ジャンルの音楽演奏においてテンポ設定が如何に重要かということを端的に示唆する一言だ。この観点から音源としては
高橋 良雄cond.
陸上自衛隊中央音楽隊
の演奏を推したい。
【その他の所有音源】
野中 図洋和cond. 陸上自衛隊中央音楽隊
岩井 直溥cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
汐澤 安彦cond. 東京アカデミック・ウインドオーケストラ
♪♪♪
「明日に向って」から41年後の2013年は、再び岩井先生のポップス作品が全日本吹奏楽コンクール課題曲として登場するという画期的な年となった。
「明日に向って」を作曲された頃から、岩井先生の吹奏楽コンクール(というより吹奏楽そのもの)に対する期待、想いというものは、ずっと一貫していると感じられる。中でも、岩井先生がそれを最もハッキリと述べられたのは1977年の課題曲C「ディスコ・キッド」のバンドジャーナル誌における解説文だと思う。
岩井先生はそこで「演奏者の皆さんへ」「審査員諸氏へのお願い」「私の希望」の3つに分けて、吹奏楽とコンクールの抱える問題点を的確に指摘され、「音楽」活動としての吹奏楽に指針を与えておられる。
「もっと若々しい個性的なバンドのカラーを打ち出すような演奏を思いきってやってください。(中略)多くのバンドが全部、ぶら下がりの既製服的演奏をするのでは、せっかくの青春がつまらないではありませんか。音楽は、ある限られた人の考えや意識的理念によって評価されるべきものではなく、それがクラシックであれポップスであれ、数多くの聴衆の判断によるものが尊重されるべきではないでしょうか。」
「寸分の隙もない演奏をしてはいるが、そこに人間としての味わいのない音楽よりも、多少とも荒削りではあるが感動性をもった音楽を作り、一人でも多くの人に喜んでもらえる演奏が音楽の本質ではないでしょうか。」
※岩井先生コメント詳細:「iwai_comments.jpg」をダウンロード
これももう40年ほども前のコメントだが、今でも本質を突いていると思う。また岩井先生は常々「個性的で上品な演奏を」と仰っているのだが、これも私の大好きな言葉だ。いくら”個性的”といっても、一方でその個性が広く認められ得るものでなければ意味がない。それを「上品」という言葉で見事に言い表しているのである。「感動性のある音楽を!」というコメントとともに、岩井先生の真剣極まりない”願い”には、深い共感を覚えてしまう。
♪♪♪
ここからは完全な私の私見となる。
吹奏楽コンクールは「コンクール」と名のつくものとしては、そもそもかなり異質で、本来”音楽としての総合的な感動”を競うコンセプトにあるはずのもの、と思う。即ち決して各種技量を競うことに偏重したものではない。課題曲ですら傾向の異なる(かつ、オーケストレーションをはじめ楽曲の質は必ずしも担保されていない)4-5曲があり、自由曲に至っては文字通り多様多岐に亘り、審査員が初めて耳にする曲も数多いという前提からして、吹奏楽コンクールはあくまで「”感動”を競い合うもの」であるはずなのだ。
(そうではないと云うのなら、例えば「課題曲は版指定のスーザのマーチ」「自由曲はこれも版指定の上、全てのバンドへ一律にホルストの1組・2組とメンデルスゾーンの序曲op.24による”3曲ローテーション”(笑)を課す」といった運営に何故しないのか。その方がバンドの”腕前”自体は遥かに如実に、かつ厳密に測定できるだろうに…。)
吹奏楽コンクールというものが吹奏楽界全体にこれほど支持され隆盛を誇ってきたのは、演奏者にとって目に見える成果を手に入れられるという側面だけでなく、実際にコンクールという場を通じて、毎年毎年”新鮮”な、そして中には”奇跡”ともいうべき感動の演奏が提示され、聴衆にアピールしてきたからに他ならないだろう。
しかし近年のコンクールでは「音楽的な感動」の側面が後退しているように思えてならない。コンクールを勝ち抜く、或いはいい賞をとるための演奏というものが蔓延していないか?個人のレベルが相当に上がり、これほどまでに整った演奏をする能力を有する割には、楽曲の魅力に肉薄する感動が乏しいバンドが少なくない-そんな思いを感じているのは私だけなのだろうか?
そしてコンクールでは上位の成績を収めるそんな演奏が、あるべき音楽、良い音楽、魅力ある音楽なのだと盲目的に信じられているような、そんな風潮が生まれていないだろうか?
加えて、一人一人の「音楽の喜び」に深みを与え、真に音楽を一生の友とする子供たちを増やすことに通じる活動ではなく、コンクールでの好成績を到達点として音楽をあっさり”卒業”するか、或いは大人になってもコンクールでの好成績という到達点を求め続けずにいられないプレイヤーばかりを育てることになってはいないだろうか?巧いこと、美しいことはいい音楽の前提条件の一つではある。しかし”感動”はそれだけでは成り立ち得ないものだ。そもそもアマチュアは所詮プロより巧くはないのだから、巧いことが音楽的価値に等しいなら、アマチュアの演奏活動は全てマスターベーションで価値のないことになってしまう。
そして逆に言えば、巧いことが音楽的価値に等しいなら、世の中に数多存在する「プロ」の録音や演奏にすら、感動の乏しい駄演が少なからず存在することの説明もつかなくなる。
プロ・アマ問わず演奏者の真摯な努力をないがしろにしたり、冒涜するつもりは毛頭ない。しかし、そもそも音楽はそこに感動がなければ「無価値」である。我々聴衆はそこはシビアでいいのだ。私は”名門オケだから””有名な演奏家だから””評論家が褒めていたから”なんて理由で感動することなど当然ない。ましてや「吹奏楽コンクールで良い賞をとった」なんて事実だけで、感動できるはずなんて単純に思えるものか!「好み」の問題はあるが、「感動」は実際に音楽(演奏)を聴いた”自分”の中にこそ生じるか、否かなのだから。
演奏するからには(コンクールだろうが何だろうが)音楽の感動を与えてほしい。演奏者の個性を込めつつ、さまざまな音楽の表情を、それぞれの音楽の持つ魅力を、どこまでも掘下げて伝えてほしい。この努力は「良い賞が獲れたら終わる」という性質のものではなく、本質的には果てしなく追い求めていかねばならないものである。
「感動の乏しい演奏」は「音程・音色・縦の線・バランスなどが整わない演奏」と同等に良くないのだ。同等に罪深いと云ってもよいとも思う。
♪♪♪
吹奏楽コンクールで審査員を務められる方々には、このコンクールがあくまで良い音楽を評価する、感動のあるパフォーマンスを評価するものであることを、ハッキリご認識いただきたいと思う。
ましてや2013年の課題曲IIIはポップス曲、クラシックの物差しでは測りきれない音楽の魅力を審査することになる。ポップスは単に巧い下手だけで評価のできないジャンルだ。近年の技量偏重の(と私には感じられる)審査傾向からすれば、改めてポップス曲を課題曲に据えた吹連は「大きな(しかも然るべき)舵を切った」のだと私は捉えている。
少々荒削りでも、ポップス特有の楽しさを極めた演奏が登場したとして、それを「良い音楽」として、正当に評価できるか-?
それ以前に(ポップスかクラシックかの問題ではなく)、コンクールの審査はそれを通じて行くべき道を照らし、吹奏楽を「感動性のある音楽」を志向する豊かな音楽形態として、健全に発展せしめていくことはできるのだろうか?
吹奏楽が音楽の感動を与えてくれる、ごく身近な存在であり続けてくれることを、私はこれからも期待して已まない。
Dizzy Gillespie -London Concerts 1965 1966
ネット上の動画を何の気なしにあれこれ見ていたら、偶然目に留まった”No More Blues”の曲名。私の大好きなナンバーである。
…へえ、ガレスピーのプレイの映像なんてあるんだ(私はジャズも大好きだけれど”ジャズ・フリーク”にはほど遠いのだ)-なんて思って視聴したら途端にすっかりハマった。「これは、ちゃんと視たい!」と燃え上がって、DVD及び同音源のCDとを衝動買いしたのだった。
ディジー・ガレスピー(”Dizzy”John Birks Gillespie 1917-1993)
は今更私が語るまでもないジャズ界の巨星の一人。
奏する音楽の素晴らしさもさることながら、曲がって宙を向いたトランペットを頬をいっぱいに膨らませて奏する、あの独特のスタイルはあまりにも有名である。ガレスピーはチャーリー・パーカーと並んでモダン・ジャズの原典であるビ・バップ・ムーブメントを推進していった中心的な存在である。(中略)
バップの形成という面では音楽的創造性において、確かにガレスピーはパーカーより劣っていたかも知れないが、その代わりにバップに魅力を与え、バップのスポークスマン的な役割を果たした。彼はバップ眼鏡に山羊髭、それにベレー帽という”ビ・バップ・ファッション”を流行らせ、人々にバップ・ミュージックに対する関心を高めさせた。それに彼の陽気で人なつっこい性格も多くのジャズメンの心を捉えた。ミュージシャンたちはディジーの人柄とその音楽に魅せられ、バップは広まっていったと言える。
トランペッターとしてのディジーはロイ・エルドリッジを出発点とした。それは1937年のテディ・ヒル楽団におけるプレイで明らかである。だがやがて彼は生来の目立ちたがり屋のエキセントリックな性格と独特なリズム感によって、従来の決まりきった音楽的束縛を超えた試みによる奔放で活力に満ちた自由なジャズ表現を積極的に打ち出していった。ここにガレスピー流の新しいジャズ表現が創造されていったのである。
-「ベスト・ジャズ ベスト・アルバム」(大和 明:音楽之友社)より
♪♪♪
視聴してみると、改めてとにかく素晴らしい!特にやはり”No More Blues”は最高で、実際もう理屈もコメントも必要ない。このカッコ良さ、楽しさこそが音楽だ!ジャンルを超えて普遍的な音楽の愉悦が間違いなくここにある。
(James MoodyのSaxソロを楽しみながらノリノリのパンディーロを奏するガレスピーがまたイケている♪)
達者な腕前もさることながら、演奏を聴いているとガレスピーの全身から、クインテット全体から音楽が溢れ出ているのが伝わるのだ。
更新情報
2013.5.6. London Concerts 1965 &1966 -Dizzy Gillespie
upしました
理屈抜きに音楽の愉しさが味わえます!
2013.4.19. シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」
upしました
2013.4.14. バンドのためのビギン upしました
2013.4.2. 探し求めていた「ポール・クレストン作品集」
遂に入手しました!
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
2012.12.28. イーグルクレスト序曲 upしました
2012.12.23. 懐かしの「素晴らしきヒコーキ野郎」
あの「ブラスのひびき」テーマ曲、音源入手しました
2012.12.14. チェルシー組曲 出版社サンプル音源 linkしました
カートゥーン
Cartoon
P.ハート
(Paul Hart 1945-)
「すべてがここに詰まっている!デカデカとしたオープニング・クレジット、ネコとネズミの騙しあいに追いかけっこ、得意気にそっくり返ったウォーキング、そしてもちろん極めつけの壮大なフィナーレも…!
なにより素晴らしいのは、映画のスクリーンに映し出されていなくたって、そうした情景全てが聴くものの想像の中に湧き起こるのだ。」
フルスコアに掲げられたこの一文が、この楽曲の表現するものを端的に示している。本作は、アメリカの”カートゥーン”=漫画映画の黄金時代を彩った魅力的な音楽に対するオマージュであり、この一文は同時にそうしたカートゥーン・ミュージックそのものへの賞賛でもある。
♪♪♪
フルスコアの解説文を読むまでもなく、この「カートゥーン」を聴けば、誰もが直ぐにあのアニメーションのタイトルを思い浮かべることだろう。そう、「トムとジェリー」である。「トムとジェリー(Tom & Jerry)」は1940年にMGM(Metro-Goldwyn-Mayer Inc.)により制作・公開がスタート、以後1950年代までの全盛期に一世を風靡したアニメーションの名作。猫とねずみの追いかけっこを題材に、スピード感溢れるありとあらゆるギャグを、さまざまなシチュエーションでマシンガンのように繰り出すこの“漫画映画(Cartoon)”は、ケーブルTVのアニメ・チャンネルやリマスターされたDVD、或いはネット上の動画サイトの人気コンテンツであり、また昨年も(版権を買収したワーナー・ブラザーズにて)新作が作られるなど、今なお人気が高い。
ウィリアム・ハンナ(William Hanna 1910-2001 写真右)とジョゼフ・バーべラ(Joseph Roland Barbera 1911-2006 写真左)のコンビに生み出され、ジーン・ダイッチそしてチャック・ジョーンズと実力派に制作が引き継がれていった「トムとジェリー」は、日本でもTBS系列でのテレビ初放送(1964年-1966年)以来好評を博した。
その後内容も拡充(「ドルーピー」シリーズをはじめとしたテックス・エイブリー作品を加えるなど)しながら数多く再放送もされたことで、幅広い年代の子供たちに浸透したのである。
中でも”イギリス系で建築技師出身のマイホーム型、「まとめる」才能に長けたタイミングの天才”のハンナが全体の構成とタイミングを、“イタリア系で計理士出身の遊び人タイプ、素描の名手”バーベラが作画を担当し、二人で共同制作した初期の「トムとジェリー」は大ヒットを収めるとともに、アカデミー短編アニメーション部門に13作がノミネート、うち7作※が見事オスカーを射止めるなど高く評価されており、ファンの人気も抜群である。
※アカデミー賞受賞作:
#11 Yankee Doodle Mouse (1943), #17 Mouse Trouble
(1944),
#22 Quiet Please! (1945), #29 The Cat Concert (1946),
#40 The Little Orphan
(1948), #65 The Two
Mouskeeters (1951),
#75 Johann Mouse (1952)
そんな「トムとジェリー」も企画構想段階では「猫とねずみなんて使い古されたアイディアから、どれほどのバラエティが搾り出せると言うんだい?」というあざけりと冷笑に晒されたという。それでも第1作“Puss Gets the Boot”※は完成後格別の宣伝もなく封切られたにもかかわらず、ロングラン上映されアカデミー賞にノミネートもされた。しかしMGMの重役たちは無関心で、プロデューサーのフレッド・クインビーはハンナ=バーベラに「猫とねずみをこれ以上つくってほしくない。」と申し渡す始末。
ハンナ=バーベラの「トムとジェリー」が続編に向けて動き出したのは、テキサス州の有力な興行主から新作はまだかと要請があってからだったという。
※この第1作では猫の名前がJasper、ねずみの名前はJinxであったことから、
バーベラは「『トムとジェリー』の第1作ではないが、その直系の先祖である」
とした。尚、「トムとジェリー」の名は、シリーズ化にあたりアニメーター仲間
から候補を募り、その中からクジ引きで決定したものと伝わっている。
「トムとジェリー」の魅力は、何と云っても”主演”のトムとジェリーによる”追いかけっこ””カマしあい”にあるわけだが、”相手をやっつける”そのやり口の多様さ、思いがけなさ、手の込み方に感心させられるし、”やられた”側のリアクションの面白さがまた凄い。今や伝統的なものとなっている笑いのツボ、パターンというものが全て詰まっているのだ。
ここにアヒルの子やカナリア、トムの仲間(或いはライバル)の猫、子ねずみニブルス(タフィ)や個性的なジェリーの親戚たち、スパイク&タイクのブルドッグ親子など、これまた痛烈なキャラが絡んで、まさにギャグの坩堝と化している。その一方でキャラクターは造形的に可愛らしく、色彩は美しく、実に滑らかでスピーディーに動き回る”画”の素晴らしさ…。この高品質をもって、立板に水の如く笑いを繰り出すのだから、圧倒されるの一言だ。
一本ごとに当時の流行や話題も取入れ、時には舞台を海外や中世へと移し、またさまざまなヒット映画や名作アニメのパロディーも満載。-文字通り“全て”を動員し「笑い」に向って突き進む作品となっているのである。【出典・参考】
「定本 アニメーションのギャグ世界」 森 卓也 著 (アスペクト)
”トムとジェリー”をはじめとするアニメーションの魅力を語り
尽くした名著で、ハナ&バーベラによる”トムとジェリー黄金
期”の全作品解説も収録。
尚、本著にて森氏が語られた”トムとジェリー”に関するより
ディープな考察、ならびに大の”トムとジェリー”ファンである
私の想いはこちらを。
→ 「thats_hilarious_tj.doc」をダウンロードそして「トムとジェリー」には魅力的な音楽が溢れていることを忘れてはならない。「トムとジェリー」は台詞に頼らず、本質的に映像と音楽(及び効果音)だけで構成されていると云って良いのだが、それほどに音楽の果たす役割が大きく、またその音楽の”豊かさ”が印象的な作品だ。
その音楽を支えた人物こそが、スコット・ブラドリー(Scott Bradley 1891-1977)であった。
ディズニーのアニメ作品に顕著なように、映像と音楽/SEを完全に同調させることを「ミッキーマウシング」というが、ディズニーはこれを「白雪姫」(1937年)で極めたとされる。但しこれは音楽のリズムが先にあり、キャラクターがそこへ乗って動く形で音楽と動作が一対一対応しているものである。
これに対し「トムとジェリー」では、キャラクターは自由気ままに動いていて、それに対してドラマチックな音がどんどん当てられていく-即ち定型リズムのないあらゆる動作に、音を全部ぴったり当てていくという、完全に過シンクロな「ミッキーマウシング」となっている。これを確立し完成させたのが、まさに「トムとジェリー」の音楽を担当したブラドリーなのである。
※ブラドリーの回想談によれば、ブラドリーはMGMに入社間もない頃、既成の
音楽をあてはめたがる監督に対し「いやいや、そういうありものの音楽じゃな
くて、新しく作りましょうよ。」と主張し、交渉することを随分やったそうである。
当時MGMはこうした7分ほどのカートゥーン(漫画映画)を2週間ごとに公開し
ていた。即ちブラドリーは少なくとも2週間ごとに、”映像にマッチした””さまざ
まな音楽ジャンルの””さまざまな楽器編成による”多彩な7分に亘るフル・ス
コアを書いていたことになる。シンセサイザーもなく録音機器も現在に比べれ
ば未発達だった時代に、楽団の演奏や歌手の歌を用いてキャラクターの動
きに合わせた音楽を次々と作っていく- 想像するだけで気の遠くなりそうな
作業だ。これをブラドリーは一人でやっていたと…。
しかもアニメーターの都合によっては「実際の作編曲は3日で」なんてことも
あったらしい。さらには録音・編集作業はもちろん、試写段階で監督からの
要望に対応することも待っており、それらを一作ごとに相当な労力をかけて
やっていたに違いない。まさにとてつもない”消耗”である。
ブラドリーはやはり「天才(バケモノ)」だったのだ。
当時最大の流行音楽にして自身の得意分野であるジャズを基調としながらも、ブラドリーはリストやヨハン・シュトラウスII世などの耳馴染みあるクラシック音楽、ガーシュウィンやグローフェによる現代アメリカのクラシック音楽、フォスターの歌曲や世界各地の民謡に童謡、「オズの魔法使い」をはじめとするMGMミュージカル映画のナンバーなど、さまざまな楽曲を「トムとジェリー」のために巧みかつ楽しくアレンジしている。扱うジャンルやオーケストレーションの多彩さは、ブラドリーの幅広い音楽的造詣を感じさせずにはおかない。
そして画面の動きの一つ一つを表現するにも効果音頼みではなく、あくまで音楽で表現しているものが大半で「冗談音楽」としても洗練されており、楽曲は高い完成度を誇っている。ブラドリーによる「トムとジェリー」の”音楽だけ”を抜き出したサウンドトラック(左画像)を聴いてみるとそれが歴然としている。音楽を聴いて映像が瞬時に浮かんでくるのは当然として、めまぐるしく転換する楽曲であるにもかかわらず、それ自体がまとまりのある音楽となっていることに驚かされるのだ。
加えて、演奏もみな達者でノリノリ!
考えてみれば、このような娯楽の象徴たる漫画映画なんぞを視聴し笑っている時に、同時にこれほどアレンジも演奏もハイセンスかつトップクラスの音楽が終始楽しめるというのは奇跡的である。これほど豊かな、贅沢なこともないではないか!【出典・参考】
「アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界」
菊地 成孔・大谷 能生 編 (文藝春秋)
滋賀県立大学の細馬 宏道教授による、スコット・ブラドリーの
手法解説を収録。詳細はこちらを。
→「AfroDisney2.docx」をダウンロード
♪♪♪
「カートゥーン」は前述の通り、ブラドリーの創出した宝石箱の如き漫画映画音楽へのオマージュを、吹奏楽で表現する作品である。従って、曲はMGMのロゴの中でライオンが吠えるあのオープニング・クレジットのイメージそのままに、生き生きと華やかに開始される。(冒頭画像)快活な音楽はBass Cl.のドスの効いた楽句で場面転換。ひそやかで素早い木管楽器の動きと、プランジャーをかませたTrb.やトボケたTimp.のgliss-upなどによるユーモラスな曲想
が交互にそして対比的に現れるが、ここでは食べ物をこそこそと、しかし嬉々として物色するねずみ=ジェリーの姿を想起させる。
そこににじりよる猫=トムの影- 特大のサプライズ(ジェリーの悲鳴)とともに”お約束”の追い駆けっこの始まりだ。一息つくと、一転イージーで小洒落たジャズ、トムをうまく撒いて”得意気に気取ったウォーキング”するジェリーをイメージさせる場面となる。
ジャジーなコードの中からおどけたMured Trb.のソロが現れると、再びスピード感に満ちた追い駆けっこが始まる。ここではアクメ・サイレンやフレクサトーン(オプション)などをセンスよく使用し、上手く賑やかす演奏が望まれよう。
続いてトムが物陰から様子を窺いジェリーににじり寄るあたり、作曲者ハートは打楽器やFluteのフラッターを巧みに使って実に想像力豊かな音楽を構成している。やがて暖炉の火かき棒を振回しジェリーを追いかけ回すトム。
緊迫を増す音楽で場面はどんどんヒートアップするが、結局ジェリーに壁の穴へ逃げ込まれてトムは壁に大激突!ペチャンコになってヒラヒラと…。
このイメージを表現するTrb.の情けな~いgliss-downが最高!
ペチャンコのトムがむくむくと復活し、また飽くことなくジェリーを追い回す-。
こういう場面が「トムとジェリー」には頻繁にでてくるが、131-132小節にかけてはこのイメージがよく伝わってくる。
追い駆けっこが金管のファンファーレ風楽句で終結すると、賑やかでユニークなパーカッション・ソリ(16小節)に突入だ。カウベル・アクメサイレン・ダックコールといった効果音打楽器が大活躍、さらにサンバのリズムとなってアゴゴベルやサンバホイッスルも登場するなどユーモアに溢れる。殊にダックコールは「トムとジェリー」の名脇役であるアヒルの子を思い描かせるもので、実に微笑ましい。最後は”美女の溜息のように”との指示がある(!)スワニーホイッスル(スライドホイッスルの一種)で締めくくられ緩やかなブリッジとなり、艶っぽいAlto Sax.のソロに導かれてメロウな中間部へと流れ込む。
中間部はリリカルでロマンチックな大人のムードに支配されており、前半の旋律がジャズ・バラードに装いを変え優美に奏される。Trp.ソロにClarinetソロが続いて描かれる情景は、気の利いた都会のオーセンティック・バーのひと時といったところか。ガーシュウィンを彷彿とさせる、上品でお洒落なアメリカ的音楽となっている。
このうっとりとした雰囲気を”ちょっと騒々しい”Trb.セクションのグリッサンド・ソリが打ち破り、再び快活さとユーモアに満ちた楽想へと戻っていく。
徐々にビート、フレーズ、ダイナミクスを拡げサウンドも厚さを増していき、ほぼフルテュッティでファンファーレ風の楽句が奏されると、これに続いて拡大された旋律とTrp.(+木管高音)の奏する3連符とが交錯し、鮮烈でダイナミックなクライマックス!
高いスピード感をそのままに、スケールの大きな音楽が展開されるさまには感動を覚えずにいられない。
興奮を鎮め、ノスタルジックなOboeソロを挟んで急速なコーダに突入、放射状に高揚するや中低音が逞しく旋律のモチーフを奏して一気に終幕へ疾駆、鮮やかに曲を閉じる。
♪♪♪作曲者ポール・ハートがイギリス軍ならびに同軍楽隊の祭典「ロイヤル・トーナメント」のためにこの「カートゥーン」を書いたのが1990年、その初演は「ロイヤル・トーナメント1993」に於いてであった。映像関連音楽の分野で高名なハートが、この曲にやはりブラドリーへのオマージュも込めたであろうことは想像に難くない。
ハートはその後も「サーカス・リング」「シルヴァー・スクリーン」「スカイライダー」などのモダンでユニークな吹奏楽曲を送り出し、注目を集めている。
「カートゥーン」には前述の通り、効果音を含めて非常に多彩な打楽器が使用されている。この曲を”それらしく”演奏するにはそうした打楽器の奏させ方を含め、細部に至るまで神経を行き届けなければならないし、バランスのとり難い部分もあるようで、そうした意味では難曲である。吹奏楽の編成と機能を活かして愉しく魅力的な作品に仕上がっていると思うが、実演の頻度がそう高くない。それは細やかな演出が施された良い録音が少なく、この曲の良さが伝わりきっていないということもあるだろう。
私はぜひ下記音源をお奨めしたいと思う。ユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス音楽大学
ウインド・シンフォニー
イマジネーション溢れる好演。テンポ設定も適切で、発揮されたスピード感が小気味良い。中間部前のパーカッション・ソリなども、ちゃんとそれらしくサマになっている。演奏者がこの曲の描く(非常にアメリカ的な)情景を確りとイメージできており、適切な演出が成されたことの証左であり、さすがはアメリカのバンドと評すべきか。オプションで投入された打楽器も効果的だし、最後から2小節目でTimp.にスコアにないアクセントを奏させたのもバッチリはまって、見事にこの曲を”演じきった”と云えよう。
【その他の所有音源】
ジオフリー・ブランドcond. シティ・オブ・ロンドン・ウインドアンサンブル
ジオフリー・ブランドcond. アメリカ海軍軍楽隊 (Live)
ケネス・ブルームクエストcond. 武蔵野音楽大学ウィンドアンサンブル
スチュワート・スターリングcond. イギリス空軍合同音楽隊 (Live)
ケリー・ブレッドソーcond. アメリカ空軍ハートランド・オブ・アメリカ・バンド
(Originally Issued on 2006.10.9./Overall Revised on 2013.6.13.)
更新情報
2013.6.13. カートゥーン 全面改訂upしました
この愉しい作品がもっと演奏されることを
願っての全面改訂です。本文中にLinkを貼った
別ファイルもご覧いただけたら幸いです。
2013.5.6. London Concerts 1965 &1966 -Dizzy Gillespie
upしました
理屈抜きに音楽の愉しさが味わえます!
2013.4.19. シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」
upしました
2013.4.14. バンドのためのビギン upしました
2013.4.2. 探し求めていた「ポール・クレストン作品集」
遂に入手しました!
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
2012.12.28. イーグルクレスト序曲 upしました
2012.12.23. 懐かしの「素晴らしきヒコーキ野郎」
あの「ブラスのひびき」テーマ曲、音源入手しました
天使ミカエルの嘆き
Lamentation of Archangel
Michael
for Symphonic Band
藤田 玄播
(Genba Fujita 1937-2013)
※左画像:
”Archangel Michael Battle with a Dragon”
- Church of Saints Simon and Helena
(Minsk, Belarus)
国立音大ブラスオルケスターのために書かれた管弦楽曲編曲の数々や、全日本吹奏楽コンクール課題曲「若人の心」「幼い日の想い出」などにより高名な藤田 玄播は、日本吹奏楽指導者協会会長を務めたほかバンドジャーナル誌への寄稿なども通じ、永きに亘り本邦吹奏楽界を指導し牽引した人物である。何よりその優れた作・編曲作品による貢献は測り知れず、2013年1月に突然の訃報が届いた際には、多くの吹奏楽ファンがその逝去を悼んだ。
「天使ミカエルの嘆き」(1978年)は、そうした藤田作品の中でも頂点にある作品の一つであり、邦人吹奏楽オリジナル曲の中でも屈指の名作と評価できよう。
「聖書の中では、天使は二つの性格であらわされています。ひとつは神の啓示をもたらす天使、もうひとつは神の勢力として悪と闘う天使です。前者は処女マリアに神の子の懐胎を伝える天使ガブリエルに代表されます。後者は天使長ミカエルであり、悪と闘う有様が『ヨハネ黙示録』に描かれています。その中の数節は次のようなものです。
-さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは竜と戦った。それで竜とその使いたちは応戦したが、勝つことはできなかった。天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。-(略)
私はこの物語を自由なファンタジーをもってひとつの曲にまとめ上げたものです。」
(作曲者 / 藤田 玄播による解説)
藤田 玄播の作品には本作をはじめ「バルナバの生涯」「切支丹の時代」「ゲッセマネの祈り」といったキリスト教に関する作品が多いが、それはプロテスタントの牧師を父に持ち、その薫陶を受けて音楽的にも教会音楽やオルガン曲に慣れ親しんで育った環境に由るとされている。
【出典・参考】
「藤田玄播の世界」(大阪泰久)
-バンドジャーナル別冊「ザ・シンフォニックバンド」Vol.2(1989年)
♪♪♪本楽曲の描く「ミカエル」とは、キリスト教における神の使いである天使の長=”大天使”である。ガブリエル、ラファエルとともに聖書聖典に名前が登場する天使であり、外典に登場するウリエルを加えて四大天使と称され、敬愛されている。”ミカエル”の名は「神の如きものは誰か」という問い掛けに由来するといい、ミカエルのエピソードは旧約聖書および同外典にも多く見られる。※
※ミカエルのエピソード:
「Michael.doc」をダウンロード
※左上画像:
” Saint Michael Fighting a Dragon in the Shape of a Dinosaur”
by Liber Floridus (15th Century)
そして「天使ミカエルの嘆き」の題材となった「ヨハネの黙示録」(新約聖書)のエピソードは、大天使ミカエルをめぐるエピソードの中でも最大のものである。
それから、天上で戦いが起こった。ミカエルと彼の天使たちとが
竜と戦うためであった。竜とその使いたちも戦った。しかし、竜は
勝つことができず、彼らの居場所も、もはや天上には見いだせな
かった。この巨大な竜は投げ落とされた。この太古の蛇、悪魔と
かサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者、この者が地上に
投げ落とされ、また彼の天使たちも、彼もろとも投げ落とされた。
-「ヨハネの黙示録」第12章”女と子供と竜の幻” (小河 陽 訳)より
※「ヨハネの黙示録」第12章全文:「Chap12.doc」をダウンロード
※「ヨハネの黙示録」は紀元1世紀の成立が有力視され、ローマ帝国に
よってキリスト教徒が迫害を受けていたことをバックボーンとした預言
書というべきものとされる。(私はキリスト教に対し中立であり、内容に
関し個人としてのコメントは持たない。読まれる方それぞれの感じ方
で宜しいかと思う。)
【参考・出典】「ヨハネの黙示録」
小河 陽 著 (岩波書店)
堅実で客観性がある名著。さまざまに語られる「ヨハネの黙示録」
だが、本書は理知的な翻訳・解釈書と思う。「ヨハネの黙示録」を
題材とした美術作品の画像を多数収録しているのも有難い。「パウロの名による書簡 公同書簡 ヨハネの黙示録」
新訳聖書翻訳委員会 編
保坂 高殿・小林 稔・小河 陽 訳 (岩波書店)
「ダニエル書 エズラ記 ネヘミヤ記」
村岡 崇光 訳 (岩波書店)「『天使』がわかる」 森瀬 繚 著 (ソフトバンク文庫)
「旧約聖書外典(下)」 関根 正雄 編 (講談社文芸文庫)
♪♪♪楽曲は自由な形式の幻想曲として書かれており、息を殺す如き静かな緊張感を伴う幻想的なAdagio-嘆きの序奏に始まる。背景に微かな打楽器の動きやFluteのフラッターを従えつつ、ファンタジックな響きの中からまずEuphoniumによって、全曲を支配する旋律が提示される。
これに続く微分音的に微妙にズレた音程でぶつかり合って始まるクラリネットの吹きのばしが醸すものは、やはりこの世のものではない感じである。
ややテンポを早めAndanteにて不安げに歌い出す木管楽器の旋律は徐々に高揚し、遂には打楽器を伴って激情のコントラストを描くが、ほどなく金管低音の奏でる厳かなコードに導かれて鎮まり、序奏部を終息する。本楽曲の持つ精神的な深みを示唆する印象的な冒頭部である。
曲はいよいよ戦いの場面へ-。密やかな木管のトリルと、グリッサンドで昇降するTimp.のロールとで始まるModeratoへと突入する。ここからは非常に現代的な感覚のエッジの効いた音楽となっており、急激なクレシェンドに続き金管群のファンファーレが奏され、激烈な不協和音が轟く。
ドラの一撃に続いてHornが咆哮し、Trb.のグリッサンドが煽ると、Trp.とXylophoneの激しく細かい動きにベースラインのシンコペーションも交錯して、まさに暴れ狂う竜と阿鼻叫喚の情景だ。
その竜に、まさに鉄槌が下る- 大天使ミカエルの颯爽たる登場である。Trp.+Trb.が奏するBrassyなコードは儼乎として邪悪と対峙するミカエルの雄姿を思い描かせる。
このフレーズがスピード感とエネルギーを増し、一層鮮烈となってクライマックスへ向っていく。
かくしてミカエルは竜の軍団を圧倒し、遂に竜は投げ落とされる!分厚いコードが鳴り響き、続いて落ちていく竜を表現するTrb.のgliss-downが轟くと、トムトムの激しいリズムにTrp.がうねり、Trb.の壮絶なペダルトーン・グリッサンドの入り混じる錯綜の中、”嘆き”のテーマが朗々と奏されるさまは非常に劇的だ。
Trb.のgliss-upに引き出された4分音符2つの応答が次々と谺し、最後は痛烈な不協和音のクレシェンドに集約、戦いの描写を締めくくる。
戦いが終わり訪れた静寂と、そこに射す清らかな光 -Oboeソロを中心とした美しいアンサンブルはそんなイメージを紡ぎ、ほどなく生命感のあるHornの伴奏にのって華麗なTrp.ソロが現れて高揚へと導く。その頂点で、神聖にして雄大な美しい歌が存分に歌われる。それはあたかも平和を取り戻した天上界の目映い輝きが眼前に現れたかのようだ。その清廉で暖かい音楽が包み込むような感動と安寧を与えてくれる。
舞曲的な律動感を加えた経過句を挟み、より輝きを増した金管群の16分音符を従え一層華やかにこの歌は繰返されるが、やがてふと”嘆き”のテーマが薄墨のようなクラリネットの低音で聴こえてくる。天上の歓喜とは対照的に、邪悪の権化が落ちてきた地上の不吉を暗示するものか。続いてHornやOboeによって奏される哀歌も…。
この暗鬱な雰囲気は、遠くからファンファーレが近づいてきて輝きに満ちたその全容を現し、一旦打払われてしまう。メンデルスゾーンの結婚行進曲を彷彿とさせるこのファンファーレは、神への賛美とミカエルの勝利に対する賞賛を込め、神と天使たちがそのおはす場所へと昇っていく様子を表すものだろう。
しかし、それはあくまで邪悪な竜が排除された「天上」のことに過ぎない。鎮まった音楽は密やかに、そして深みと不気味さを備えた幻想的な表情となり、Trb.が淡々と”嘆き”のテーマを奏し終局へ向かう。
-ミカエルの脳裏には、あの竜が落ちて行った「地上」のこれからのことが過ぎっただろうか。真摯な祈りをイメージさせつつ、どこか呆然とした不協和音の響きの中、音楽は静かに消えてゆく。
♪♪♪
さて「天使ミカエルの嘆き」の演奏では、私にとって忘れることのできないものがある。私の学生時代である1985年に遡った、関東吹奏楽コンクールにおける埼玉県立和光高校の演奏である。
有力校の高校生離れした上手さに舌を巻く中、同高校の出演順となった。
課題曲のマーチは四苦八苦 -懸命に牽引しようとするスネアドラムが可哀相なほど流れが悪い。アクセントでf を奏するたびにぬかるみに嵌ったように重くなるのだ。残念だが、周りのレベルからすれば銅賞か…このバンドが「天ミカ」みたいな難しい曲をやるのかぁ-と思った瞬間だった。
自由曲「天使ミカエルの嘆き」が始まらんとして指揮者の棒が上がる。バンドの雰囲気がガラリと変わった。(それがハッキリ判った!)
課題曲とは別のバンドがそこに現れ、序奏部からEuph.の歌へ緊張の張りつめた音楽が流れ出すそこには、尋常ならざる凄味がある。そして現代的な手法で荒れ狂うModeratoに入ると、テンションは充分ながらややストイックな演奏に感じられる。もう少し奔放でもいいのに…という思いが頭をよぎったその時だ。”ミカエルの登場”の場面=練習番号3’で最後列のブラス群が、それまで譜面台に向けていたベルを一斉に”カッ”と上に挙げ、鮮烈なコードを響き渡らせる!
そうか!これがやりたかったんだ、こう表現したかったんだ!
-全て納得がいって、その音楽的な説得力に後ろ髪が逆立つ。この上なく感動的な音楽がそこにはあった。
そして緊張を切らさぬ表現豊かな演奏は、弱奏の消えゆく最後の一音まで続いた。「天使ミカエルの嘆き」を語り尽くした演奏はまさにBRAVO!である。
これぞアマチュアの醍醐味!
彼らはバンドのレベルとしてはごく標準的だった。そんな彼らのこの曲に懸ける思い、執念が楽曲の内面にまで肉薄し、奇跡的な感動的秀演を生んでいたのである。コンクールの結果は”支部大会銀賞”だったけれど、私にとってこの日一番感動した演奏は、間違いなくこの「天使ミカエルの嘆き」だった。
”これほどの感動を、俺らアマチュアでも生み出し得る!”
この演奏は感動だけでなく、そんな勇気も与えてくれたのである。
♪♪♪
音源は秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
の演奏をお奨めしたい。
構成感に優れメリハリの効いた好演、楽曲の魅力が充満している。尚、前半を締めくくる練習番号6の2小節前(116小節目)のTimp.は原曲にはない、指揮者による演出。相応の効果を発揮しているのは事実と思う。
(本音源は廃盤だがiTunes Store にてダウンロード購入可能。)
【他の所有音源】
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団(浜松)
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
汐澤 安彦cond. 東京吹奏楽団
たなばた
The Seventh Night of July ”TANABATA”
酒井 格 (Itaru Sakai 1970- )
稀代のメロディー・メーカーであり数々の優れた楽曲を吹奏楽界に提供している酒井 格のデビュー作にして最大のヒット作。「おおみそか」「七五三」と続く年中行事三部作の篇首であり、作曲者17歳(1988年)での作曲である。
「この曲は「当時演奏した」又は「憧れていた数々の作品」の影響を受けています。バーンズや、スウェアリンジェン、リード、ジェイガー、など吹奏楽では馴染みの作曲家からメンデルスゾーン、ラヴェル、ドビュッシーなどのクラシック界の大作曲家、それから当時人気のあった斎藤由貴や渡辺美里のポップス歌手まで、意図的に引用したフレーズもあれば、偶然そっくりになってしまったメロディーなど、数々の発見があると思います。」
(作曲者コメント※)
※作曲者酒井氏のHPより。同HPには詳細な解説があり、そこにも酒井
氏の瑞々しい感性が感じられる。「たなばた」を演奏されるなら必見!
実に爽やかな魅力のある傑作である。
初めて聴いた時には、野球でど真ん中のボールを見送った-そんな感覚を覚えた。あまりにも「真っ直ぐ」で…。日本人にとって親しみやすい旋律、モダンなリズムとハーモニー、そして吹奏楽の”お約束”が随所にちりばめられている。全ての楽器に聴かせどころがあり、作曲者の奏者に対する並々ならぬ愛情が感じられるのである。私などは中間部を終うグロッケン・ソロに、その愛くるしい女性奏者の姿まで想起させられてしまう。
♪♪♪
突然のスネアのリムショットに導かれ、金管中低音のハーモニーにてモチーフがゆったりと大らかに提示される序奏部(冒頭画像)- これが瞬時に弾けるようなAllegroに転じ、シンコペーションを効かせた快活な主部となる。
浮き立つようなスネアのリズムに乗って、爽快な第1主題が全容を現す。一つの旋律の中で歌い出しから4小節目に向って自然な高揚があり、アウフタクトに続いてリズミックに転じるコントラストに、抜群のセンスを感じる。
この旋律の展開、そしてより奥行きを増す第2主題へと移ろうのだが、その根底にスピード感のあるリズムを失わないところが素敵だし、フレーズのブレイクも小気味良く決まっている。流れ出した音楽が淀まず健やかに進む楽曲は、かくも心地よいものなのだ。
シンコペーション楽句の応答に続いて、より幅広い音楽への展開を示唆してテンポを緩め、Saxophone Soliによるブリッジを経て夢見る中間部へ。
優美なAlto Sax.のソロにEuph.のオブリガートが加わりロマンチックなデュエットとなる。ここは作曲者高校時代の吹奏楽部に在籍した仲のよいカップルをイメージして書かれたそうで、「たなばた」という楽曲の代名詞ともなっている部分である。これに続いて、ただ甘美に音楽を流していくのではなく、ジャズ風のフレーズを挟んでアクセントを配すあたり作曲者の創意工夫が感じられ、またそこに必然性があるのがセンスの良さだ。
さらに、あたかも蝋燭の灯りをともすかのように浮き上がってくるTrp.のリリカルなソロがまた素敵!私の大好きなところである。ここからは楽曲のスケールを徐々に大きくし、それこそ満天に広がる星空のように雄大なクライマックスへ向かう。美しい旋律が存分に、力強く歌われるさまは実に感動的であり、また喜びの感情を開放された気分になれるのだ。
その余韻の中から遠くグロッケンが旋律を呼び戻し、Oboeソロによって名残惜しく中間部を終える。
一転快速なテンポが戻る-。静かだがエキサイティングなスネアのリズムに始まり、ベルトーン風の楽句とパーカッション・ソリ、吹き抜けるTimp.のロールが応酬してブリッジを形成し、再現部へと入っていく。
前半とは伴奏も変え、またCastanets、Whip、Wood Blockなどの打楽器も効果的に使って、ユニークで色彩豊かな音楽を形成している。Euph.のソリとそれに絡むPiccolo、またTrb.とTrp.のファンファーレ風ソロなどで各楽器の音色を対比させたことにも、より多彩な音楽へと向かった作曲者の意図が感じられよう。
そして曲初での主部への導入と呼応したシンコペーションの楽句に続いて、いよいよ最大のクライマックスである”Brillante”ポリリズムへ。ここではスピード感をキープしたまま中間部の旋律が高らかに奏され、歓喜に満ちた楽想となりこの上ない感動に包まれる。
そこに第1主題も交錯して帰結感を高め、遂に付点のリズムが特徴的なコーダに突入するのだが、そこで現れるTrb.のグリッサンドを効かせたフレーズなども意を得たもので、嬉しくなってしまう。後はStringendoで一気にエキサイティングなエンディングとなるが、ここで前打ちビートに転じてスピード感を高める効果も見事である。(松任谷正隆が「恋人がサンタクロース」のエンディングで用いた手法を彷彿とさせる。)
♪♪♪
前述の通り、作曲者がごく若い頃の作品である。ありがちな、という評価もあるであろう。鈍い響きのする部分もある。
しかし、この曲の聴後に満ち満ちる爽やかさとハッピーな感覚は”圧倒的”と云えるのではないだろうか。
現在の吹奏楽界には旋律、リズム、コントラスト、そして構成感など、当然備えてあるはずの「魅力」に乏しい楽曲が多すぎる。それに対し、この「たなばた」は吹奏楽が本来持っている楽しさを存分に保有し、何の衒いもなくそれを伝えている。
吹奏楽は現代音楽の墓場ではない!
もっと理屈抜きに、音楽の楽しみや喜びに満たされるべきである。(現代音楽・先鋭楽曲を否定しているのではなく、自己満足的現代音楽「風」の曲が多いと指摘しているのである。)
作曲者酒井氏は次々と快作を上梓しまさにヒット・メーカーとなっているが、非常に構成感に優れた作品を書く人だと思う。そもそも旋律自体に確りとした構成感が存在している。だから、魅力があり説得力がある。
近時発表される吹奏楽曲には魅力や新鮮さを感じさせる「一瞬の閃き」がある楽曲は多い。しかし、「それだけ」というものが実に多い気がしてならない。酒井氏の親しみやすい作風に秘められた「構成感」の鋭さにこそ、刮目すべきである。
♪♪♪
音源は以下をお奨めしたい。近藤 久敦cond. 尚美ウインドオーケストラ
溌剌として淀みない演奏、神経が細部まで行き届き、コントラスト鮮やかな好演。この曲はポップスと共通するリズム感を要求しているが、その点でこの演奏が最も優れていると思う。中間部のトランペット・ソロも秀逸で、まさに夢見心地にさせられる。ヤン・デ=ハーンcond.オランダ空軍軍楽隊
「思いきりロマンチックな演奏」とは作曲者の評。終盤クライマックスのポリリズムではテンポを落とし、たっぷりと存分に歌う。スネアがややパタつくが、この曲の魅力を世界中に伝えた演奏であることは間違いない。何より、リズミックだがふくよかで、実に”歌心”あふれたベースラインが魅力を放っている。
【その他の所有音源】
渡邊 一正cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
吉延 勝也cond. おけいはんウインドオーケストラ[Live]
イーヴォ・ハデルマンcond. シェーレ聖セシーリア吹奏楽団
加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. フィルハーモニックウインズ大阪
♪♪♪
作曲者自身のコメントを参照すると、本作品が直接的に「七夕」を題材とし表現するものではないことが判るが、「七夕」をはじめとする日本の文化が酒井氏や我々を育み、その中で形成された「七夕」のイメージが本作品のバックボーンにあることは間違いないだろう。そこで改めて「七夕」についても触れておきたい。
「七夕」はその伝説と、これに因んで起こった年中行事との二つの側面がある。
■七夕伝説七夕伝説※は、旧暦七月七日ごろ天の川を挟んで天頂に一際輝く一等星=わし座のアルタイル(彦星/牽牛星)とこと座のヴェガ(織姫星/織女星)にまつわるもので、元々は古代中国で発祥したものである。それが奈良時代に日本に伝わったとされている。
「天帝のため化粧する暇もなく一心に美しい織物を織り続けていた織女だが、天帝のはからいにより天の川の対岸に住む牽牛に嫁いだ。しかしそのとたん、織女は幸せな日々にかまけて機織りを怠けてしまう。これが天帝の怒りを招き、織女は対岸へと連れ戻されてしまう。そして牽牛との逢瀬は年にただ一度だけ、七月七日にのみ許されることとなった。」
ごく概略を述べればこのようになるが、この伝説には多くのヴァリエーションがあり、例えばその日牽牛は天の川を”鵲が羽を広げて架けた橋を渡る”とも”七日の半月を舟にして渡る”とも”紅葉の橋を渡っていく”とも諸話言い伝えられているようである。
鵲の登場エピソードとしては「七夕が雨になると天の川の水かさが増えて、年にたった一度の逢瀬もままならない。その時には二人を哀れんでどこからか無数の鵲が飛来しその体をつないで、二人のために橋を架ける。」という実に心温まる、救いのある話も伝わっている。
※伝説の詳細として、最も一般的な伝承たるこちらを挙げておく
: 「Legend.doc」をダウンロード
愛し合う男女に許された逢瀬は、年にたった一度だけ -何と切ないことか。その切なさ故に星の瞬く美しい夏の夜空を舞台としたこのエピソードは一層ロマンチックさを深めており、人々の心を捉えるのであろう。
■年中行事としての七夕
日本には古来「棚機女(たなばたつめ)」の信仰があり、日本における「七夕祭」はこの信仰と、前述のように中国から伝来した伝説ならびに付随した祭礼(乞功奠/詳細後述)が融合し出来上がっていったもの。
「たなばた」の語源ともなった棚機女とは、旧暦の七月七日に水辺の仮小屋(=棚)で機を織る乙女のことで、これによって祖霊を迎えるための禊※を行っていたと云われている。
※棚機女は「棚」で神が訪れるのを待ち、一夜を共にする。翌朝、神は常世
の国に帰っていくが、その時村人たちの穢れを持ち帰ってくれる、という
ことらしい。
このように七夕は、古来穢れを祓う意味を持ち、お盆に飾る草花や精霊棚を準備する日でもあったが、江戸時代に幕府によって五節供※の一つとして公的な祝日に定められたことにより、公家社会以外にも祭礼行事として広まることになった。こうした節供には労働を休む慣わしである。また各季節のもたらす海の幸・山の幸による供物とご馳走が欠かせないのであり、これは皆で分配して滋養とするという実利的な面もあったという。
※五節供とは、人日(1/7)・上巳(3/3)・端午(5/5)・七夕(7/7)・重陽(9/9)。
これに年始(1/1)・八朔(8/1)とを併せて公的な祝日とする旨、「徳川禁
令考」の”年始嘉節大小名諸士参加式統令”に記載されている。
そして織女が機織りに巧みなことから、七夕においては機織りはもちろんのこと、裁縫・手芸・琴などの上達を祈願し、牽牛が農事に巧みなことから。豊作を祈願して初物や御馳走を供えるようになったが、これはまさに中国伝来行事の影響である。現代にも継承されている、「笹飾り」に願い事の書いた五色の短冊や、裁縫の上達を願う紙衣、長寿を願う吹流しや鶴、豊漁豊作を願う投網、富を願う巾着袋などの紙飾りを吊るす慣わしは、これに由来するものである。
この「笹飾り」もやはり江戸の町から流行したものとのことで、歌川 広重(1797-1858)による浮世絵の傑作「名所江戸百景」にも”市中繁栄七夕祭”(1856年)という作品がある。
画像の通り、旧暦七月七日に遠く富士を望む江戸の町に、屋根より高く天に届かんばかりに家々が笹飾りを掲げ、西瓜・算盤・大福帳・鯛など色とりどりの七夕飾りが風になびくさまである。安政大地震(1855年)の翌年に発表された作品だが、画面から感じさせる江戸の繁栄と溢れんばかりの人々のパワーは、思わず頬を緩ませ元気をくれる。
こうして江戸の町から始まった七夕の行事は、明治以降の学校教育を経て地方へと広まったとのことである。七夕に因む音楽として最も有名な童謡「たなばたさま」は昭和16年3月に当時の文部省発行「うたのほん 下」に収録され、愛唱歌として流布したもの。この「たなばたさま」はどうにも日本人の郷愁を誘って已まぬ楽曲の一つとなっている。
♪♪♪
最後に、前述の通り奈良時代に七夕伝説とともに中国から伝わり、日本の七夕行事に大きな影響を与えた「乞功奠(きっこうてん)」という七夕の祭事について述べておきたい。
その奈良時代には孝謙天皇在位の頃、宮中で盛大に行われていたそうであるが、この行事を藤原定家の子孫にして鎌倉時代中期より隆々たる公家の系譜を誇る京都の冷泉家が近代になって復活し、現在も伝えている。※
冷泉家住宅そのものが重要文化財であり、国宝を含む極めて貴重な文化遺産の数々を守り継承してきたこの名家は、こうした無形の日本文化遺産も現代に伝えているのである。
旧暦七月七日に執り行われる、冷泉家の「乞功奠」は次のようなもので、伝統と格調、また風雅を感じさせて已まぬ行事である。
(午後、陽の高いうちにニ星(牽牛と織女)へ手向ける蹴鞠から始めるのが正式だが、現在は場所の都合上行っていないとのこと。)1.庭にニ星に手向ける祭壇「星の座」を設ける。
ここには土器に盛った二組の海の幸・山の幸、五色の布、五色
の糸、秋の七草などを供える。星を映して見るための水を容れ
た角盥(つのだらい)も重要であり、水には一枚の梶の葉を浮か
べる。更に雅楽の楽器を並べ、中央にはこの夕べのために詠ま
れた和歌の短冊が並べられる。九本の燭台で祭壇を取囲んで、
「星の座」の完成となる。古式ゆかしく、実に美しい。
2.雅楽
笙・篳篥・箏・琵琶・龍笛などにより「越天楽」「陪臚」などが奏さ
れて乞功奠は始まる。やがて七夕の夜にふさわしい朗詠「二星」
の哀愁を帯びた歌声が聴こえてくる。
二星適逢(じせいたまたまあえり)
未だ別緒依々の恨を叙べざるに
五夜将に明けなむとす
頻りに涼風颯々の声に驚く
(意 ) 牽牛と織女が久しぶりで逢った。
逢えなかった淋しさをいくらも語り合わないうちに、
もう夜が明けてしまった。涼しい風がしきりに吹く
ので、朝だと気付いた。
この頃には夜の帳が降り、燭台に明かりが入れられ、炎揺らめ
く中に朗詠の声が響く。
3.和歌の朗詠(披講)
冷泉流の独特の節回しによる和歌の朗詠。
4.流れの座
参会者が天の川に見立てた白布を隔てて座り、牽牛と織女にな
って恋歌を交し合う。かつては鶏鳴を聞くまでその贈答を繰り返
したという。
※尚、現在では新暦7月7日に東京・杉並区の大宮八幡宮でも「乞功奠」を再現
する七夕行事が行われている。
【出典・参考】
「しきたりの日本文化」 神埼 宣武 著 (角川ソフィア文庫)
「図解 日本のしきたりがよくわかる本」 日本の暮らし研究会 著 (PHP研究所)
「日本を楽しむ年中行事」 三越 著 (かんき出版)
「こどもとはじめる季節の行事」 織田 忍 著 (自由国民社)
「和ごよみで楽しむ四季暮らし」 岩崎 眞美子 (学習研究社)
「別冊太陽 雅楽」 遠藤 徹 著 (平凡社)
「雅楽1300年のクラシック 」 上野 慶夫 著 (富山新聞社)
「五節供の楽しみ」 冷泉 為人 著 (淡交社)
♪♪♪
七夕は古より、奏楽を含めた芸事の上達を織女星に願う行事でもあったのだ。曲がりなりにも音楽演奏に関わる者として、我々にとって無縁ではない。
七夕には上達に向けた自身の想いを新たにしつつ、その上達が叶うよう星空を仰いで一心に願いをかけてみては如何だろうか。
(Originally Issued on 2006.6.13./Overall Revised on 2013.7.3.)
ザ・シンフォニアンズ
The Sinfonians -Symphonic March
C.ウイリアムズ
(James Clifton Williams 1923-1976)
”これぞ吹奏楽!”の一曲といえば、この曲だろう。
壮麗なファンファーレと聴くものを圧倒する重厚なサウンド、鮮やかで心躍らすドラム・マーチに、かつて楽隊の行進を賑わせたファイフ(Fife)をイメージさせるピッコロのソロ…。クライマックスでは実にスケールの大きな楽想となり、パワフルで濃厚なメロディに、Trumpetが華やかに絡まって-そのTrumpetは一層ド派手にテンションの高いハイトーンを炸裂させていく。終盤はまるで重戦車のような音楽の質感が、堪らなく心を揺するのだ。まさに吹奏楽の持つ魅力を詰め込んで、余すところなく堪能させてくれる。これはまさに、作曲者クリフトン・ウイリアムズならではの楽曲である。
ウイリアムズは名作「ファンファーレとアレグロ」「交響組曲」にてABAオストワルド作曲賞を第1回・第2回と連続受賞した吹奏楽オリジナル曲の巨匠だが、その手腕はこの「ザ・シンフォニアンズ」でも縦横無尽に発揮されているのだ。
この曲は米国にある音楽愛好者団体「ファイ・ミュー・アルファ・シンフォニア友愛会(Phi Mu Alpha Sinfonia Fraternity of America)」の委嘱により作曲されたもので、アーサー・サリヴァン(Arthur Sullivan)作のメロディーにチャールズ・リュットン(Charles Lutton)が詞を付した彼らの愛唱歌、”Hail Sinfonia”をフィーチャーしている。
Hail Sinfonia, come brothers Hail,
May Phi Mu Alpha ever reign,
Hearts, hands, and minds we pledge to thee
All Hail, all hail, all hail Sinfonia !
シンフォニアを歓呼で迎えよ、来たれ兄弟よ 歓呼せよ
ファイ・ミュー・アルファよ とこしえに繁栄あれ
鼓動する胸も、手も心も、みなもて我ら汝に誓約す
皆歓呼せよ、皆歓呼せよ、歓呼でシンフォニアを迎えよ!
この否応なく意識高揚に向わせる歌のエネルギーを、ウイリアムズは副題通りシンフォニックな行進曲へと昇華したのである。
【出典・参考】
「吹奏楽の歴史」 : ヴァージニア大学教職員HP
♪♪♪
冒頭からして見事なまでに吹奏楽らしいファンファーレ!
華々しいTrumpet(+Horn)に始まり、中低音の刻みと木管群のトリルがカウンターとなる。続いて濃厚なフルテュッティのコードが吹き鳴らされ、これを凛としたパーカッション・ソリで締める、というカッコ良さだ。(冒頭画像)
これが繰返されるのだが、二度目は音域を上げより鮮烈に且つより旋律的なものとなって高揚感を込めているのがさすがである。そして三度現れるファンファーレの間に挿入された、毅然たる休符フェルマータが最高にいい!(逆に云えばこの休符を如何にうまく音楽にするか、センスが問われる。)
ファンファーレは楽句を発展させつつ高揚し、その頂点で視界が開けHornによって”Hail Sinfonia”の旋律が雄大に提示される。これはハーモニアスで美しいTromboneソリに受け継がれ、徐々に楽器を増やしスケールを拡大していくのだが、この旋律に応答して挿入されるリズミックな木管を伴ったコラールがまた味わい深い。ここはまさに”染入る”ような音楽-その豊かで柔和な表情に魅力があふれる。
意を決したようにTrumpetが高らかに旋律を締めくくり、パーカッション・ソリへ。吹奏楽の醍醐味である威風堂々としたドラム・マーチを楽しませると、これに続いてスネア1台のみで奏するリズムに乗って、”Hail Sinfonia”を変奏するPiccoloソロが現れる。
ここは前述の通りファイフ鼓隊の行進を想い描かせる楽しいものだが、フレーズをつなぐ意識をもって、より大きな一連の音楽の流れを作れるようにしたい。※
※後掲の推奨音源を指揮した兼田 敏は、このPiccoloソロでフレーズの終わ
り の音を記譜より長く奏させ、より大きな歌の流れを作り出している。スコ
アとは異なるが、この方が音楽的な演奏に思える。
尤もウイリアムズの意図は、練習番号3からはPiccoloソロのフレーズの隙
間に伴奏のスネア・ソロの16分音符が絶妙に掛け合うという、リズミックさ
を重視した楽想を創ろうとしたものだろう。続く練習番号4からはPiccoloソロ
のフレーズを繰返す一方、旋律をたっぷりと奏するTromboneも加わってメロ
ディックな楽想となるのだから、練習番号3と4とで対比を作ろうとしたに違い
ない。
しかし実際にPiccoloソロがフレーズの終わりの音を記譜通り短く切る演奏
を聴くと、往々にして無造作な切り方になるのと、肝心のスネアとの掛け合
いもキマらず、音楽の流れが繋がらず貧相になってしまうものが多い。
これでは音楽表現として、兼田 敏の演出に劣後しているというほかない。
(尚、この演奏では元々の譜面を変更した部分が他にも見られる。)
ソロの快活なフレーズはフルートも同奏して繰返され、これをコラール風にハーモニーでなぞるTromboneや打楽器も加わって賑やかに演奏されていく。
再びドラム・マーチに戻って前半を終うと、いよいよ”Lirico”の表示があるTrioだ。Trioは、美しく”控えめだが芯の強い”旋律が朗々と歌い上げられていく。Hornに現れる対旋律もこれに似つかわしい素朴なものである。
徐々に楽器が増して高揚すると、抒情性はそのままに一層スケールを拡げ、これを華麗なTrumpetのファンファーレと木管高音のトリルとで対比的に彩ることで、非常に立体的な音楽となっている。最高にカッコイイ!更にダイナミクスを上げ、Maestosoのこれぞ「グランド・シンフォニック・マーチ」という曲想に突入し最大のクライマックスへと向う。同じ旋律が今度はマルカートで奏され、これを三連符が特徴的なスネアのリズムが鼓舞し、まさに力感漲る、威風堂々たる姿へと変貌している。
ここのカウンターフレーズで最高音のHi-B♭をバシッと決められたらTrumpetは”男前”である。
クライマックスの最終盤でのクレシェンドを、ウイリアムズは金管群に託す。その直後に転じる弱奏は、夢幻の如き木管群によるCantando- かかるコントラストこそが、音楽の面白さというものだろう。コーダ(Grandioso)は吹奏楽の持つ豊かなサウンドを充満させ、ベースラインの8分音符のビートが緊迫と生命感も加味して劇的なエンディングとなる。
♪♪♪
前述の通り「吹奏楽」を体現しその魅力を堪能させる楽曲であり、演奏機会が近時少ないのは非常に残念!Trumpetをはじめ金管群に自信のあるバンドはぜひ演奏されては如何だろうか。
さて音源だが…
洵に明快かつ骨太な音楽であるから、小細工なしの堂々たる演奏が好ましいと思われるし、この曲の持つ重厚なサウンドは存分に味わいたいところ。また実演ではTrumpetのスタミナにかなり厳しいものがあるためLiveでの好演は少ないので、下記の演奏をお奨めしたい。兼田 敏cond. 東京佼成吹奏楽団
実直にして質実剛健、しかし部分部分を適切に表現しコントラストを見事に演出した好演。終始確りと”張った音”で奏され、どの演奏よりもシンフォニック。またテンポ設定も非常に適切で”堂々たる”この曲のあるべき姿を示している。
最終盤の直前、ふっと弱奏となるCantandoの抒情なども心憎く、そのバックに遠く聴こえるTimp.のロールの奥ゆかしい情感も最高!
但し…残念ながらCD化されていない!(画像は収録LP)
【その他の所有音源】
鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー [Live]
ハリー・ベギアンcond. イリノイ大学シンフォニーバンド [Live]
スティーヴン・ピーターソンcond. ノースショア吹奏楽団
ローウェル・グレイアムcond. アメリカ空軍タクティカル・コマンド・バンド
ティモシー・レアcond. テキサスA&M大学ウインドシンフォニー [Live]
バリー・エリスcond. ロウンツリー・ウインドシンフォニー [合唱入り]
更新情報
2013.7.15. ザ・シンフォニアンズ upしました
2013.7.3. たなばた 全面改訂upしました
七夕も間近となった今宵、upできたことを嬉
しく思います。
この愛すべき作品がいつまでも楽しまれ続
けられますようにと祈って已みません。
※改訂前旧記事にいただいていたコメントもこちらに移設しました。
2013.7.1. 天使ミカエルの嘆き upしました
今年1月、惜しまれつつ他界された作曲者・
藤田 玄播氏のご冥福を心よりお祈りします。
2013.6.13. カートゥーン 全面改訂upしました
この愉しい作品がもっと演奏されることを
願っての全面改訂です。本文中にLinkを貼った
別ファイルもご覧いただけたら幸いです。
2013.5.6. London Concerts 1965 &1966 -Dizzy Gillespie
upしました
理屈抜きに音楽の愉しさが味わえます!
2013.4.19. シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」
upしました
2013.4.14. バンドのためのビギン upしました
2013.4.2. 探し求めていた「ポール・クレストン作品集」
遂に入手しました!
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
フラッシング・ウインズ
Flashing Winds
J.ヴァン=デル=ロースト
(Jan Van der Roost 1956- )
おそらく本邦吹奏楽界でも、演奏会のオープニング曲として最も採り上げられることの多い楽曲の一つである。
このフラッシング・ウインズ(1988年)は、精力的に創作活動を続けるヤン・ヴァン=デル=ローストの作品の中で最も簡潔なものだが、「プスタ」「カンタベリー・コラール」「アルセナール」と並びさまざまなバンドに広く愛奏されている。標題は”きらめく風”と”きらめく管楽器”とを掛けたものであろう。ヴァン=デル=ローストは「スパルタクス」「モンタニャールの詩」「いにしえの時から」「オスティナーティ」といったスケールが大きくエネルギッシュな作風で知られるが、規模は違えど「フラッシング・ウインズ」にもそれらと共通する輝きが随所に現れる。そして何より、緩徐部分を挟むことなく全体を通じ”一気に駆け抜ける”感覚が、オープニング曲として抜群の魅力を放っている。
♪♪♪
Maestoso(♩=80)、 Timp.の豪快で荘厳なソロに重厚なベースラインがカウンターで入る冒頭からして実に思い切りがよくダイナミック。(冒頭画像)
Timp.は優れた音色と楽句全体を見透したフレージングでの演奏が求められるし、一方ベースラインは逞しくありつつも、ゆめゆめ”生音”をぶっ放すようなことのないよう演奏したいところである。
続いて金管群の重厚なファンファーレだが、アクセントとなっている附点のリズムが特徴的である。これを生かしつつ大きなフレーズと幅広いサウンドで主部に向うのだが、Trp.とTrb.が応答しながら1拍ごとに輝きを増し高揚するさまが大きな感動を誘う。その張り切った厚い音の束の頂点で弾けるように視界が開け、Allegro energico (♩=160) の主部に入る。
主部3/4拍子は躍動的なバッキングを従えたTrp.の颯爽とした旋律に始まる。
これを変拍子を交えたリズミックな木管が受けるのだが、この木管のフレーズにはリズミックさだけでなく、同時にふくよかな響きも求められていることがテヌート・スタッカートの付された音符に表れていよう。
主部の繰返しの後、更に流麗な5/4拍子の中間部。
快速なテンポをそのままに、この抒情的な旋律を涼やかに歌う-本楽曲の真骨頂である。ここをセンチメンタルにダレたテンポで歌っては台無しだ。またリピート時に加わるバッキング・リズムも、極めてタイトな演奏でないと逆効果となる。
中間部を終えるとダル・セーニョし主部に戻るが、ここを繋ぐ木管のトリルが煌いて始まるブリッジがとても素敵!あたかも輝きを増していく朝陽のような鮮やかさがとても印象的なのである。
主部の再現を終えると”躊躇なく”コーダへ。冒頭のファンファーレが幅広く奏されてクロスオーバーしエネルギーを発散、スピード感とエキサイティングさを一層高めつつ6/8のビートでアクセントを付し、終末へと一気に吹き抜けていく。
♪♪♪
演奏面では、冒頭のファンファーレでアウフタクトが乖離すること無く、重厚でパワフルなサウンドの大きなフレーズで奏されること、そしてそのエネルギーが高まった頂点で快速な主部へと間髪入れずに弾け出すイメージがほしい。
そして主部に入って以降は決してスピード感を途切れさせることなく、全曲を通じて”一陣の風”が吹き抜けたような、”一気呵成”を感じさせてほしい。その一方で旋律はより大きなフレーズで捉え、歌心と豊かなスケール感が発揮された演奏が望まれる。
そうした観点からの「決定盤」が待たれるところだが、音源は下記を推奨しておきたい。ヤン・ヴァン=デル=ローストcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
指揮する演奏にも定評のある作曲者自作自演盤、楽曲の持つ美点を的確に表現している。明晰な発奏、並びに一つの楽曲としてクッキリまとまっているところも評価できる。
【その他の所有音源】
ヤン・ヴァン=デル=ローストcond. 大阪市音楽団(Live)
汐澤 安彦cond. シエナウインドオーケストラ
ロバート・グロブcond. アーラウ初年兵音楽隊
ピエール・キュエイペルスcond. オランダ陸軍軍楽隊
アンドレ・グランホcond. トロヴィスカル・ユニオン・フィルハーモニー吹奏楽団
指揮者不詳/コブレンツ・ドイツ陸軍バンド300
更新情報
残暑お見舞申し上げます 音源堂 敬白
拙Blogの内容が参照されたり、引用されたりするのは光栄であり、本当に嬉しいものです。元々読んでいただく方に少しでもお役に立てば、という思いもあって始めたものですし。丁寧に拙Blogのことをご紹介いただいている方もいらっしゃり、そんなWebサイトを見つけたりしますとジーンときてしまいます。
私自身、さまざまな方々の研究や著作を参考にし、必要に応じてそれらを引用しつつ拙Blogを著しておりますが(出典・引用は明確にするよう相当なテンションで努めております)、当然ながら(英文の日本語訳なども含め)、私固有の表現や意見というものも多数含まれているわけです。
そうした”私の”言葉が、他の方に(無断で使用されているのはもちろん、それに止まらず)その方のオリジナルの表現=文章の如く扱われるのには、どうしても違和感があります。
ましてそれが「商業出版物」に存在するのを目にした時は尚更です。
-せめて、 せめて「橋本音源堂」を見たことぐらいは触れてもらえないものなのでしょうか…。
2013.8.15. フラッシング・ウインズ upしました
2013.7.15. ザ・シンフォニアンズ upしました
2013.7.3. たなばた 全面改訂upしました
七夕も間近となった今宵、upできたことを嬉
しく思います。
この愛すべき作品がいつまでも楽しまれ続
けられますようにと祈って已みません。
※改訂前旧記事にいただいていたコメントもこちらに移設しました。
2013.7.1. 天使ミカエルの嘆き upしました
今年1月、惜しまれつつ他界された作曲者・
藤田 玄播氏のご冥福を心よりお祈りします。
2013.6.13. カートゥーン 全面改訂upしました
この愉しい作品がもっと演奏されることを
願っての全面改訂です。本文中にLinkを貼った
別ファイルもご覧いただけたら幸いです。
2013.5.6. London Concerts 1965 &1966 -Dizzy Gillespie
upしました
理屈抜きに音楽の愉しさが味わえます!
2013.4.19. シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」
upしました
2013.4.14. バンドのためのビギン upしました
2013.4.2. 探し求めていた「ポール・クレストン作品集」
遂に入手しました!
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
薬師丸ひろ子 35th Anniversary Concert 2013 -2013.10.1
薬師丸ひろ子の芸能生活35周年記念コンサートに行ってきた。会場は東京・渋谷のオーチャードホールである。
角川映画全盛期を支えた女優・薬師丸ひろ子は私と同い年、近年も「Always三丁目の夕日」など活躍を続け、2013年最大のヒットドラマ「あまちゃん」(NHK)でも話題を集めたことはご承知の通り。
私自身は”アイドル・薬師丸ひろ子”の大ファンであったわけではない。当時、周囲の熱狂は文字通り凄まじいものであったが…。
そんな私も、彼女のまさに鈴をころがすような心地よい美声-これはもうこの上なく大好き!
家内も大ファンである”薬師丸ひろ子の歌”は、(ほんの幾つかしかない)わが夫婦共通の愛好である。つい最近耳にした「あまちゃん」挿入歌にてその美声が健在であることを確信していたこともあり、家内と私はともにこのコンサートを心待ちにしていたのだった。
♪♪♪
果たして、薬師丸ひろ子の歌はやはり素晴らしかった!
聴くものを魅了する彼女の美しい声-美しいだけではなく涼やかで”快さ”が圧倒的な彼女の声。そして単なる歌の巧拙を超えた”表現者・薬師丸ひろ子”の世界に引き込まれてしまう。
往時のヒット曲を次々と歌ってくれたのだが、その歌とともに想い出がよみがえるのではない。彼女の楽曲、彼女の歌自体が、私たちの想い出や時代そのものなのだ。特に大好きな「探偵物語」あたりではジーンと痺れ、視界もぼやけてしまう感覚におそわれた。
他の皆さんも、「彼女の声こそが、歌こそが聴きたいのだ」という思いは同じだった
ようで、大ヒット曲「セーラー服と機関銃」の前奏が始まるや会場中から興奮気味
に湧き起こった手拍子も、彼女が歌い出すやピタリと収まるのであった。(!)
それにしても「セーラー服と機関銃」を歌い終わった彼女に贈られた拍手の大きさ
は一層際立っており、ファンの熱い想い入れが感じられた。
そして、コンサートの最後を締めくくったのは私の一番好きな「Woman”Wの悲劇”より」…もうひたすらに感動、その一言しかない。
心を込めて歌いきってくれた彼女に感謝、また感謝。
♪♪♪
これほど心に響くもの、これもまた間違いなく音楽だ!
やはり歌は、音楽は、テクニカルな巧さだけでは絶対に成り立ち得ない。そう確信させる”薬師丸ひろ子の世界”に溺れた、最高の一夜であった。
更新情報
2013.10.4. 薬師丸ひろ子 35th Anniversary Concert 2013
upしました
彼女の美声に酔いました…
2013.8.15. フラッシング・ウインズ upしました
2013.7.15. ザ・シンフォニアンズ upしました
2013.7.3. たなばた 全面改訂upしました
七夕も間近となった今宵、upできたことを嬉
しく思います。
この愛すべき作品がいつまでも楽しまれ続
けられますようにと祈って已みません。
※改訂前旧記事にいただいていたコメントもこちらに移設しました。
2013.7.1. 天使ミカエルの嘆き upしました
今年1月、惜しまれつつ他界された作曲者・
藤田 玄播氏のご冥福を心よりお祈りします。
2013.6.13. カートゥーン 全面改訂upしました
この愉しい作品がもっと演奏されることを
願っての全面改訂です。本文中にLinkを貼った
別ファイルもご覧いただけたら幸いです。
2013.5.6. London Concerts 1965 &1966 -Dizzy Gillespie
upしました
理屈抜きに音楽の愉しさが味わえます!
2013.4.19. シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」
upしました
2013.4.14. バンドのためのビギン upしました
2013.4.2. 探し求めていた「ポール・クレストン作品集」
遂に入手しました!
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
エニグマ変奏曲
Enigma Variations
-Variations on an Original Theme for Orchestra
E.エルガー (Edward William Elgar 1857-1934)イギリスの生んだ世界的な作曲家、エドワード・エルガー。「威風堂々第1番」や「愛のあいさつ」がクラシック・ファンに止まらぬ幅広い人々に愛され人気を博すエルガーだが、文字通りその出世作となったのがこの「エニグマ変奏曲」である。
”エニグマ(Enigma)”とは古代ギリシャ語を語源とする「謎」を意味する言葉で、エルガーが冒頭の主題に”エニグマ”という表記を添えたことからほどなく「エニグマ変奏曲」の名で呼ばれるようになるのだが、これは実は通称であり正式な題名は上掲の通り「創作主題による管弦楽のための変奏曲」※という。本邦では 「変奏曲”謎”」といった表記も見られる。
※変奏曲(Variation)
ある主題を設定し、それをさまざまに変形する技法を「変奏」といい、
主題といくつかの変奏から成る曲を「変奏曲」という。
変奏の技法としては a)旋律の装飾的変奏 b)転回・逆行による変奏
c)音価の拡大・縮小による変奏 d)速度の変化による変奏 e)和声の
変化による変奏 がある。旋律の原型を留めたものばかりではなく、
和声進行のみをなぞった変奏をはじめ、旋律のごく断片を取出し発
展させたものや、 リズムパターンや拍子を変化させたものなど、「変
奏」は自由で多岐に亘っている。
交響曲などの中に変奏曲が織り込まれるケースもよく見られるが、
「きらきら星変奏曲」(モーツァルト) 「ハイドンの主題による変奏曲」
(ブラームス) 「ハンガリー民謡”孔雀”による変奏曲」(コダーイ)をは
じめ、大作曲家による単独楽曲も数多い。
吹奏楽オリジナル曲でも「朝鮮民謡の主題による変奏曲」(チャンス)
「フェスティヴァル・ヴァリエーション(スミス) 「ダイアモンド・ヴァリエ
ーション」(ジェイガー) 「シンフォニック・ヴァリエイション」(兼田 敏)
など実に多くの”変奏曲”の傑作がある。
【出典・参考】 新音楽辞典 (音楽之友社)
エルガーは楽器商の家に生まれ、幼少から音楽と楽器に親しんでいたのだが、経済的な理由から音楽学校にて専門の教育を受けることは叶わなかった。一旦は法律事務所に務めたものの音楽の夢をあきらめきれず家業を手伝いながら独学を続け、長年に亘る苦労に曝されたというエルガーの経歴は、後年に浴した栄光からすれば信じられないものと思える。ロンドンでのヴァイオリン修行を経て音楽教室を開き生計を立て、その傍らで創作活動を続けていたエルガーは、その音楽教室に入門してきた妻アリスと出会う。名門軍人家の娘アリスとの恋は、エルガー家が少数派のカトリックであったこともありアリスの親族からの猛反対に遭ったが、二人はそれを乗り越え出会いから2年半後の1889年に結婚する。婚約時にエルガーがアリスに捧げたのが名曲「愛のあいさつ」であることは有名だ。
創作活動としては合唱作品を中心に上梓を続けたエルガーだがその困窮は結婚後も続き、この時期唯一の成功とも云える「愛のあいさつ」の好評も、出版社とは僅か5ポンド※の買取り契約であったためにエルガー自身を潤すことには全くならなかったという。
※文献によっては2ギニー(=2ポンド24ペンス)という説、また30ペンス未満と
いう説もあるという。いずれにしてもあまりに微々たる報酬であった。
かかる困窮にあってもエルガーを作曲に専心させ、物心両面で支え続けたのが8歳年上の妻アリスその人である。そしてアリスの存在こそが、エルガーを一流の音楽家へと羽ばたかせた「エニグマ変奏曲」の誕生にも、直接的に深く関係しているのだった。
1898年10月のある夜のこと。エルガーはピアノの前に座り、アリス
は編み物をしていた。エルガーは何の気なしに旋律を色々と弄ん
でいた。するとアリスが手を止めて「エドワード、それは何?」と聞
いてきた。
「何でもないさ。でもこれで何かできそうだ。」するとエルガーは別
のパッセージを弾いて「誰を連想する?」と聞いた。「彼は、ピアノ
を弾く時、こうやってウォーミングアップするだろ?」それは正にエ
ルガーとよく合奏を楽しんだ友人ヒュー・ステュワート・パウエルの
仕草そのものであった。「じゃあ、これは?」と荒々しい別のパッセ
ージを弾いてみせる。「ビリーがドアを開けて出て行くところソック
リだわ!」とアリス。それは軍人のウイリアム・ミース・ベイカーの
威圧的な口調を表現したものだった。
このようにエルガーは次々と友人たちの仕草を音楽で表現してみ
せた。アリスは言った。「あなたがやろうとしていることは、誰もした
ことがない全く新しいことだわ。」
-「エドワード・エルガー 希望と栄光の国」(水越 健一 著)より
これこそが「エニグマ変奏曲」誕生のきっかけである。アリスがふと気に留めたメロディと、彼女とエルガーのやりとりから紡ぎ出されたアイディアが、この曲を生んだのだ。
この曲に秘められた第一の「謎」とは、各変奏に付された”C.A.E.””Ysobel”などの副題が何を表すか?であるが、これらはエルガーの親しい友人たちのイニシャルや愛称なのであった。「中に描かれた友人たちに捧ぐ」との献呈がある通り、エルガーは友人たちそれぞれのキャラクターを表す変奏曲集として、この楽曲を構成したのである。(熱心な研究者がこの謎に挑み、後にエルガー自身もコメントを発してそれを裏付けたことから、現在では謎解きは完了したと云ってよい。)(上画像:Litton盤CDリーフレットより転載/各人の写真を元に、これをイラスト化したもの)
「エニグマ変奏曲」を作曲した頃、エルガーはいよいよ逼迫した状況にあった。上掲のアリスとのエピソードと同日の朝、エルガーは新作について問合せてきた記者に対し「私は創作活動の一線を離れて自ら引き籠るか、或いはそうしろと聴衆に言われてしまうだろう。」という趣旨の自嘲的な手紙を書いていたという。そうした作曲家としての苦難と絶望的な日々を乗り越え「エニグマ変奏曲」は作曲された。
この傑作は当時の高名な指揮者ハンス・リヒターに認められてその指揮により初演され成功を収め、イギリスのみならず世界的にエルガーの名を高めることとなった。「イギリスの管弦楽曲が国際的に通用し、トスカニーニやワルターらの大指揮者のレパートリーに入った、最初の作品である。」と評される。初演後の改訂を経て更に完成度を増し、殊にドイツ楽壇で高く評価されたという。
-かくも劇的なエピソードが秘められた楽曲なのである。
♪♪♪
「エニグマ変奏曲」は主題とそれに続く14の変奏曲から成っている。エルガー自身「種々の変奏と主題の外見上の関係がしばしば極めて浅いことを諸君に警告する。」と述べているように、”主題の変奏”から遊離することなく楽曲を組み上げている一方で、厳密な変奏ばかりではなくさまざまな曲想・表情を持った多彩な楽曲の集合体となっている。その自在さもこの曲の魅力の一つと云えるだろう。エルガー自身のコメント(「 」)にも触れながらご紹介する。
■主題 Andante
深遠にして憂いを帯びた短調の楽句と、夢想的で高揚感のある長調の楽句という対照的な2つの部分から成る10小節の旋律である。エルガーはこれを「芸術家の孤独を表現するもの」と説明した。前述の通り、この主題には ”Enigma”(謎)との表記が付されている。弦楽器を中心としたシンプルな提示。
■第1変奏(C.A.E.)L'istesso tempo
最初の変奏で描かれたのはエルガーの愛妻=キャロライン・アリス・エルガー(Caroline Alice Elgar)。主題に応答するオーボエとファゴットの3連符のパッセージはエルガーが帰宅の合図に吹いた口笛とのことで、この部分は愛情に包まれた二人の関係を象徴するもの。主題はヴァイオリンによるたおやかなシンコペーションの伴奏やさまざまな楽句、楽器でふくよかに彩られている。
「この変奏は実際には主題の延長である。ロマンチックで繊細なものを付け加えたかったのだ。C.A.E.を知っている者なら、ロマンチックで繊細な霊感に満たされた彼女を現したのだと、すぐ判ると思う。」
あたたかで優しいアリス夫人の人柄を反映した変奏である。
■第2変奏(H.D.S.-P.)Allegro
続いてやや気忙し気な速いパッセージの音楽。エルガー(ヴァイオリン)、ネヴィンソン(チェロ/第12変奏のB.G.N.)とともにしばしばトリオでの演奏を楽しんだアマチュアのピアニスト、ヒュー・デヴィッド・スチュアート=パウエル(Hew David Steuart-Powell)を表す。「演奏を始める前に彼が必ず手馴らしにやる全音階の楽句が、ここでは16分音符のパッセージによってユーモラスに戯画化されている。」
■第3変奏(R.B.T.) Allegretto
古典学者にしてアマチュア劇団の名優、リチャード・バクスター・タウンゼント(Richard Baxter Townsend)を表す変奏。その裏声を巧みに操るさまを「彼の低い声が時々裏返って”ソプラノ”の音に飛ぶ。」とエルガーは評した。
前奏部分のリズミックなオーボエの楽句と、タウンゼントの朗々とした声を表すファゴットとが対照を成す。主部は3拍目にアクセントのあるマズルカ風の音楽で、生きいきとしたリズムの中に描かれる自然な音楽の起伏が魅力的である。
■第4変奏(W.M.B.) Allegro di molto
ここでダイナミックな音楽に転じる。速い3拍子の雄弁な曲想は「大地主の田舎紳士で学者」のウイリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)が「素早く決然とパーティーの計画を作り、手筈を指示するやドアをバタンと閉めて慌ただしく音楽室を出て行く。」様子である。大のワグナー党にしてきびきびとした仕切屋、活気のある精力的なこの人物の勢いそのままに、どこかユーモラスに一気呵成の音楽で描く。
■第5変奏(R.P.A.) Moderato
リチャード・ペンローズ・アーノルド(Richard Penrose Arnold)は19世紀の高名な詩人マシュー・アーノルドの息子で学者。アマチュアのピアニストにして室内楽を愛した彼をエルガーは「気まぐれで機知に富んでいる。」と評す。シリアスな会話を好んで交すのに、それが彼の気まぐれやウイットでしばしば途切れるのだとか。
エニグマ主題を従えた弦楽器の深く真剣な旋律に始まるが、やがてまるで子供の笑い声のような愛らしいオーボエ(+ホルン)のパッセージと入替る。交互に繰返されるこの二つの対照的な楽想をつなぐ伸びやかなクラリネット・ソロがまた美しい。
■第6変奏 (Ysobel) Andantino
エルガーのヴァイオリンの弟子、イザベル・フィットン(Isabel Fitton)を指す。イザベルの古風な言い方である”イゾベル”を使用したあたりは親近感を込めたエルガーのユーモアであろう。「ヴァイオリンはありふれている」とヴィオラに転じた彼女を表すこの変奏では、それ故に全曲を通じヴィオラが大活躍である。冒頭の弓が上下して弦を渡るヴィオラのフレーズは、ヴィオラ初心者のための”課題”なんだとか。これに呼応するファゴットのソリが何ともほのぼのとして味わい深い。
クラリネットの上向型楽句でアクセントを加味しつつも終始悠々とした音楽であり、ヴィオラが冒頭のモチーフを再び奏して締めくくられる。
■第7変奏(Troyte) Presto全曲中最も速く、また最も烈しい音楽。急激にクレシェンドするティンパニ(+低弦)のエキサイティングなリズムに始まるこの曲は、終生エルガーの親友だった建築家アーサー・トロイト・グリフィス(Arthur Troyte Griffith)を表す。エルガーはトロイトにピアノを教えていたが、あまり上達しなかったらしい。このティンパニのリズムは、ドタバタとした「ピアノを弾く彼の不器用な全て」の描写。但し、楽曲としては決して無様なものなどではない!「エニグマ変奏曲」全体を俯瞰しても、この曲の存在は大きなアクセントだ。
金管中低音の力強いフレーズ、飛び交う花火のように華々しいトランペットや弦楽器…洵に鮮烈な印象を与えている。
■第8変奏(W.N.) Allegretto
ズバッと締めくくられた烈しい「トロイト」から、再び柔らかな音楽に転じる。クラリネットをはじめとした木管群が描く可愛らしい楽句と、落着きのある弦楽器の旋律とは対照的だが、しかし不思議と一体となり”平和”をイメージさせて已まない。「モルヴァーン近在の18世紀からある邸宅に住むノーベリー家の女性」ウィニフレッド・ノーベリー(Winifred Norbury)の肖像であるこの曲に描かれたのは、まさに平和と安寧に包まれた幸福な家庭そのものだ。彼女はエルガーの楽譜浄書を手伝った女性たちの一人であり、2本のクラリネットが奏する変奏はその親切さ・心細やかさを象徴する。
続いて現れるトリルを伴ったオーボエのフレーズも「独特の笑い声がほのめかす彼女の愛すべき人柄」を表すもの。ピッコロを加えたおやかなフレーズも実に素敵で印象に残る。好適な楽器用法による音色対比においても傑出した一曲なのである。
■第9変奏(Nimrod) Adagio
全曲中最も有名な変奏で単独でとりあげられるほか、歌詞を付し歌曲※として演奏されることも多い。エニグマ主題の変奏であることはもちろんながら、さらに劇的に歌い上げ抒情を極める名旋律である。
※”We will stand together”或いは”Lux Aeterna”の標題でそれぞれに歌詞
が付されており、さまざまな演奏形態・編曲で広く愛奏されている。”ニムロッド(ニムロデ)”とは旧約聖書に登場するノアの曾孫で狩りの名人。エルガーは大親友にして助言者でもあった出版社(Novello)勤務のオーガスト・ヨハネス・イエーガー(August Johannes Jaeger)のことを描いたこの変奏にこの標題を付した。ドイツ語でJaegerが”狩人”の意であることに因んだのである。
イエーガーは当時失意にあったエルガーを励まし、苦難と闘い勝利した大作曲家の例(ベートーヴェンの「悲愴」ソナタを題材に語りあったと云われる)を挙げ、作曲活動の再開を促したというエピソードが伝わっている。イエーガーはまた「エニグマ変奏曲」の初演後に最終変奏の加筆改訂を助言し、現在の完成形を導いたことでも知られる。
「君の外面的な様子を省き、いいところ-つまり愛すべき魂だけを見る。」とエルガーはイエーガーに伝えた。二人の繋がりは心の置けない、洵に深いものであったことが窺い知れよう。
前変奏から途切れることなく、静謐に始まるこの変奏はその気高さに特筆すべきものがある。音楽はうねりながら全体として放射状に高揚し、終始烈しい情熱を秘めていて感動を誘うのだが、決して気品を失うことはない。荘厳にして堂々たるクライマックスの後には静かで豊かな余韻を湛え、曲を終う。
■第10変奏(Dorabella)Intermezzo:Allegretto後に第2変奏で描かれたパウエルの夫人となるドラ・ペニー(Dora Penny)を描いた愛すべき間奏曲、”ニムロッド”の熱を静かに冷ます心憎い楽曲配置である。”ドラベッラ”はモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」のヒロインの一人で、エルガーは彼女にこれに因んだ愛称を贈った。リズミックだが柔和な曲想には彼女を見守る、優しさに満ちたエルガーの視点が感じられよう。
一音目にテヌートを付したオーボエ(+クラリネット)の16分音符の楽句は、どもりがちな彼女の話し方を愛情をもって表すもの。これに気づいたペニー嬢は「嬉しさと誇らしさで、ほとんど恥ずかしくなるほどだった。」と述べたという。
この変奏にも第6変奏で活躍したヴィオラにソロが現れるのだが、その抒情にもすっかり魅了されてしまう。
■第11変奏(G.R.S.)Allegro di molto標題が示すのは1899年にヘリフォード大聖堂のオルガニストに任命されたジョージ・ロバートソン・シンクレア(George Robertson Sinclair)。しかし実は「この変奏曲はオルガンや大聖堂とは関係なく、シンクレア本人とも関係が薄い。最初の数小節は彼の飼っている大きなブルドッグ、ダンを表している。」というものである。
快速でめまぐるしい弦楽器のパッセージの冒頭は、このダンがワイ川の堤を駆け下りて急流に飛び込むさまを描いたという。ダンは主人の杖を取りに飛び込んだのだとか、単に落っこちてしまったのだとか、諸説定まらない。ともあれ、最後のティンパニを伴う一音がダンの得意気な一吠えであることは間違いないだろう。音楽はエネルギッシュで生命感に溢れ、「エニグマ変奏曲」全曲に於ける終盤の効果的なアクセントとなっている。
■第12変奏(B.G.M.)Andante
「親愛なる友に捧げる」とあるこの変奏は、第2変奏で描かれたパウエルと共にしばしばエルガーと合奏を楽しんだチェロ奏者、バジル・G・ネヴィンソン(Basil G. Nevinson)の肖像。短調のエニグマ主題をもとに一層メランコリックに仕立てた旋律が胸を打つ。そしてこれがチェロという楽器の持つ抒情性にこの上なく合致しているのである。
■第13変奏(***)Romanza:Moderato
草稿には”L.M.L.”との表示があったが、エルガーは後にそれを消し去りアスタリスク3つのみを残した。エルガーの音楽仲間であったメアリー・ライゴン(Lady Mary Lygon)を指すものと推定※されているが、確定はしていない。
※メアリー・ライゴンが既に旅立っていて許可が得られなかったからとか、妻
以外の女性に”ロマンツァ”を捧げることを慎んだとか、これも諸説ある。
またジュリア・ワーシングトンというアメリカ人女性を念頭に置いていたので
はないかという全くの異説もあるが、エルガーがジュリアと出会ったのは作
曲より後の1905年であり、この説は採り得ないとされている。
前変奏と切れ目なく始まるこの”ロマンツァ”は、その名の通り全曲中最もロマンチックな情感を持つと評される。クラリネット・ソロにメンデルスゾーン作「静かな海と楽しい航海」序曲からの引用が現れること、そして船の機関音を示すスネアドラムの撥によるティンパニのロールや、たゆたう波のような低弦のフレーズが度々登場することなどから、当時オーストラリアへの航海に出発していたレディ・ライゴンにその無事を祈念して捧げられたと考えられているのである。「静かな海と楽しい航海」からの引用とはいっても安易なものでないのがさすがであり、原曲とはイメージの違う密やかさを有するのが印象的。この変奏が醸すのは幻想的な音楽の風景だが、重々しい足取りで緊迫のクライマックスを迎える。それがまた本変奏の最初に戻り、徐々に遠ざかっていよいよ全曲のフィナーレに向う、というセッティングがまた素晴らしい。
■第14変奏(E.D.U.)Finale:Allegro
全曲の掉尾を飾るにふさわしいクライマックスとなる最終変奏はエルガー自身の自画像である。標題はアリス夫人のつけたエルガーの愛称、エドゥー(Edu)に基いている。
リズミックだが密やかに始まる序奏部は放射状に高揚し、遂に視界が開け金管の音色を効かせたパワフルなサウンドが響き渡る。-そこに至る息の長いクレシェンドを9小節目からリードしていくオーボエの音色には、ゾクゾクするような感動を覚えずにいられないだろう。ここからは2小節ごとの楽句の応答がみられるが、対比がありつつも分断せずその全てが一つの音楽の流れを形成する大きなフレージングの演奏が期待される。一旦poco piu tranquilloで静まり優美で幅広い音楽を挟んだ後、”Nimrod”の旋律が再現される劇的なGrandiosoのポリリズムへ。ティンパニの3連符を合図に一層重厚なサウンドとなって足取りを速め、本変奏冒頭部の再現となる。すると今度は第1変奏に現れた”エルガーの口笛”に導かれて静まり、妻アリスを表す第1変奏が再現されるのだ。実に周到な構成である。
トランペットのファンファーレが吹き鳴らされてからは、楽曲は栄光の輝きに包まれた終幕まで、悠然たる足取りでスケールを拡大していく。複数の楽句が交じり合いエネルギー溢れる音楽のうねりの中で、あの憂鬱な短調主題のモチーフが堂々と奏され、それがやがて確信に満ちたマルカートとなるさまが聴き取れよう。エルガーの抱えていた憂鬱が晴れやかに昇華した、と云うのは言い過ぎだろうか。
音価を拡大した最終盤は例えようのない高揚感が充満する。力強いユニゾンがsfpから壮大にモルト・クレシェンドされ、最後はGのコードを輝かしく放って全曲を締めくくる。
「エニグマ変奏曲」は、まさにエルガーによる”音楽讃歌”だ。
また音楽を愛する者への讃歌でもあるだろう。そこには音楽や、さまざまな楽器とその奏者たちに対する深い愛情も感じられて已まない。
この曲を聴き終えたとき、「ああ、音楽って何て素晴らしいんだろう!」という叫びが心の奥底から湧き起こるのを、私は止めることができないでいる。
♪♪♪
さて「エニグマ変奏曲」には、もう一つ大きな”謎”が込められていることが有名である。
「(前略)全曲を通じて別の更に大きな主題が存在しているけれども、それは演奏されない。即ちこの曲の真の主題は決して姿を現さないのである。これは例えばメーテルリンクの戯曲『侵入者』や『七人の王女』において、本当の主役が現れないのと同様である。」
このエルガーのコメントは、エニグマの主題が一層重要なもう一つの主題へ対位的な役割を果たしていることを示唆すると云われる。
14の変奏に付された副題の”謎”は、熱心なファンの研究に加えエルガー自身のコメントも得られて解明されたが、こちらについてエルガーは「『謎』については説明しまい。その意味は不明のままにされておかねばならない。」として、一向に明かそうとしなかった。
秘められた主題としては「イングランド国歌」「ルール・ブリタニア」「オールド・ラング・ライン(スコットランド民謡/「蛍の光」)「交響曲第38番『プラハ』(モーツァルト)」などが研究者たちから候補に挙げられているし、また音楽の父・バッハの名に基くB,A,C,Hの4音を用いたことを意味するのだという説もあるが、いずれも決定的なものではない。
そのため、もはや純然たる音楽的技法を離れ、エルガーのいう「主題」とは概念的な-”友情”や”愛”、はたまた”道徳心の亡霊”といった比喩に至るまで-ものではないか、との説も生まれた。
「聴き手は音楽だけを聴かなければならず、複雑な”プログラム”で悩まされてもいけない。」とエルガーは総括した。こちらの”謎”の答えは、そんなエルガーの望み通り現在も解明されていないのである。
♪♪♪
既に40歳を超えていたエルガーだが、この「エニグマ変奏曲」による成功後、「威風堂々」「チェロ協奏曲」などの名作を次々と上梓し、押しも押されぬ大作曲家となっていく。祖国からもナイトに続き「英国王の音楽師範」にも叙され、遂にはバロネット(准男爵)に叙されるという栄誉を受けるのである。
…しかし一方で第一次世界大戦を境にエルガーの音楽は「時代遅れ」との厳しい世評を浴び、高く評価してくれていたドイツ楽壇とも国家の敵対関係から縁が切れ、エルガーは再び失意の日々にさらされることになった。1920年には最愛の妻アリスも失い、創作活動に致命的な打撃を受ける。
「時代遅れ」とは、今となっては全く不当な評価だが、芸術家の人生に光と影はつきものだ。エルガーも実に波乱万丈な生涯を送ったのだった。【出典・参考】
「エドワード・エルガー 希望と栄光の国」 水越 健一 著
「最新名曲全集」(音楽之友社) 所載の解説 太田黒 元雄 著
「エニグマ変奏曲」(オイレンブルクスコア)所載の解説
エスター・キャビエット=ダンスピー 著/三橋 圭介 訳
浅里 公三、藤野 俊介、エリック・L. ダドリー(小林 誠一 訳)、
吉成 順、スティーヴン・バンフィールド(福田 弥 訳)、
満津岡 信育、柴田 克彦、ニック・ジョーンズ(木村 博江 訳)、
安田 寛、出谷 啓、大木 正純、三浦 淳史 各氏によるCDリーフレット解説
♪♪♪
「エニグマ変奏曲」は比較的録音が多く、さまざまな演奏を聴くことができる。(演奏も録音も前時代的ではあるが、エルガー自身の指揮による録音も遺されており参考になるだろう。)これまでに33の音源に接することができたが、これほど”聴き比べ”の愉しみがある曲もないように思う。どの演奏もそれぞれに趣があり、ただ演奏しただけ、といったものは殆どなかったと言ってよい。
例えばバーンスタイン盤やストコフスキー盤はそれぞれの個性のもとに楽曲が確りと消化されたことを示す演奏であり、あとは”好み”である。
私個人として概括すれば、この曲に関しては饒舌過ぎない演奏の方が好きということになる。その観点から、音源は以下をお奨めしたい。ベルナルド・ハイティンクcond.
ロンドンフィルハーモニー管弦楽団(Live)
大きなフレーズで音楽が捉えられていることが全編に亘って感じられる好演。アクの強さはなく、それでいて各変奏の個性がそれぞれにふさわしく表現されており実に説得力がある。「完璧」といった演奏ではないが、全曲を俯瞰しての構成感も素晴らしく、最終変奏の劇的な感動は聴く者を音楽の悦びに包み込んでくれる。スネアドラムの装飾音譜を伴う最後の一音が”スタタタジャーン”と鳴り響く瞬間はまさに圧巻!BRAVO !ゲオルグ・ショルティcond.
シカゴ交響楽団
明晰で生命感に満ち、メリハリの効いたまさにハイレベルな名演。殊にさすがはショルティ&シカゴ!というべき金管群の演奏レベルの高さは惚れ惚れさせられるもの。文字通り”群を抜いて”いる。チャールズ・マッケラスcond.
ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団
気品があり、それでいて骨太で隆々たる一本の芯が通ったように感じられる演奏。あくまで素顔のまま、ガツンと魅力を伝えてくるような好演。シャルル・デュトワcond.
モントリオール交響楽団
饒舌な語り口の演奏の中でも、バランスの良い構成感と明快な表現で一気に聴かせる。「トロイト」の金管中低音は抜群のサウンド、お見事!アンドリュー・デイヴィスcond.
フィルハーモニア管弦楽団
各変奏をそれぞれ表情豊かに演奏し、くっきりとコントラストを描く。表現力豊かな一方で、明晰さと知性に貫かれた落着きを感じさせる好演。
【その他の所有音源】
レナード・バーンスタインcond.BBC交響楽団
アンドレ・プレヴィンcond. ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ロジャー・ノリントンcond. SWRシュトゥットガルト放送交響楽団
コリン・デイヴィスcond. バイエルン放送交響楽団
オイゲン・ヨッフムcond. ロンドン交響楽団
エイドリアン・リーパーcond. チェコスロヴァキア放送ブラスティラバ交響楽団
サイモン・ラトルcond. バーミンガム市交響楽団
ウラディーミル・アシュケナージcond. シドニー交響楽団
ジョン・バルビローリcond. フィルハーモニア管弦楽団
ダニエル・バレンボイムcond. ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
エイドリアン・ボールトcond. ロンドン交響楽団
ジョン・エリオット・ガーディナーcond. ウイーンフィルハーモニー管弦楽団
ジェームズ・レヴァインcond. ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(Live)
アンドリュー・リットンcond. ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ピエール・モントゥーcond. ロンドン交響楽団
パーヴォ・ヤルヴィcond. シンシナティ交響楽団
ジュゼッペ・シノーポリcond. フィルハーモニア管弦楽団
スタニスワフ・スクロヴァチェフスキcond. ザールブリュッケン放送交響楽団
レナード・スラットキンcond. ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
ゲオルグ・ショルティcond. ウイーンフィルハーモニー管弦楽団
レオポルト・ストコフスキーcond. チェコフィルハーモニー管弦楽団
デヴィット・ジンマンcond. ボルティモア交響楽団
ネヴィル・マリナーcond. アカデミー室内管弦楽団
マルコム・サージェントcond.BBC交響楽団(Live)
アルトゥーロ・トスカニーニcond. NBC交響楽団
エドワード・エルガーcond. ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団
アレキサンダー・ギブソンcond. スコットランド゙国立管弦楽団
ジョージ・ハーストcond. ボーンマス交響楽団
「エニグマ変奏曲」を、例えば吹奏楽コンクール自由曲としての演奏や”ニムロッド”のみの抜粋で耳にする場合、それは当然ながら全曲演奏に30分を要するこの楽曲のごく一部でしかない。
そうしたものをきっかけにこの曲をお知りになった方には、ぜひとも全曲を、管弦楽原曲を聴いてみていただきたい。完全な姿に触れればこの曲の魅力が遥かに深いことが感じられるはずだ。どの部分も決して捨て置けないキラメキに満ち溢れた音楽なのである。
更新情報
2013.12.22. エニグマ変奏曲 upしました
すっかりハマって聴き比べをしまくりました!
2013.10.4. 薬師丸ひろ子 35th Anniversary Concert 2013
upしました
彼女の美声に酔いました…
2013.8.15. フラッシング・ウインズ upしました
2013.7.15. ザ・シンフォニアンズ upしました
2013.7.3. たなばた 全面改訂upしました
七夕も間近となった今宵、upできたことを嬉
しく思います。
この愛すべき作品がいつまでも楽しまれ続
けられますようにと祈って已みません。
※改訂前旧記事にいただいていたコメントもこちらに移設しました。
2013.7.1. 天使ミカエルの嘆き upしました
今年1月、惜しまれつつ他界された作曲者・
藤田 玄播氏のご冥福を心よりお祈りします。
2013.6.13. カートゥーン 全面改訂upしました
この愉しい作品がもっと演奏されることを
願っての全面改訂です。本文中にLinkを貼った
別ファイルもご覧いただけたら幸いです。
2013.5.6. London Concerts 1965 &1966 -Dizzy Gillespie
upしました
理屈抜きに音楽の愉しさが味わえます!
2013.4.19. シンコペーテッド・マーチ「明日に向って」
upしました
2013.4.14. バンドのためのビギン upしました
2013.4.2. 探し求めていた「ポール・クレストン作品集」
遂に入手しました!
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
序曲「ルイ・ブラス」
Ruy Blas
- Overture to the Stage Work op.95
F.メンデルスゾーン
(Felix Mendelssohn-Bartholdy
1809-1847)
ドイツロマン派の大作曲家、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディが戯曲「リュイ・ブラース」※のライプチヒ慈善興業にあたり、その上演に先立ち演奏するため1839年に作曲した序曲である。
※本楽曲の本邦表記は「ルイ・ブラス」が一般的。一方、ユゴーの戯曲の名称
としては「リュイ・ブラース」の方が一般的である。本稿ではそれぞれ一般的
な表記を使用し、敢えて統一しないこととした。「リュイ・ブラース」は「レ・ミゼラブル」をはじめとする名作の数々で知られるフランスの文豪ヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo 1802-1885 :左画像)が1838年に著したものだが、実を云うとメンデルスゾーンはこの戯曲が全く気に入らず「恥ずべき作品」「まったくけがらわしく」「まったくくだらない」と母宛の書簡に書き残しているとのこと。(メンデルスゾーンは音楽に関しても辛辣な批評家であった側面を持っていたと伝わっている。)
従ってメンデルスゾーンはこの作曲受諾に難色を示したようなのだが、それに対して委嘱者の劇場年金基金側が「そのような序曲の作曲には確かに時間がかかりますからね…。」という趣旨の理解を伝えたことが、メンデルスゾーンにはカチンときたらしい。それにあからさまに対抗して僅か数日のうちにメンデルスゾーンは序曲「ルイ・ブラス」を書き上げてしまったという。
戯曲「リュイ・ブラース」の内容は概ね以下のようなものである。舞台は16世紀のスペイン。王妃の侍女に”お手付き”したことを咎められ、王妃に追放されることとなったドン・サリュスト侯爵は逆恨みし、王妃を不倫の罪に陥れようと心に誓う。折しも時の王は専ら趣味の狩猟に明け暮れており、政治も王妃も省みることなく、スペインが危機的な状況にあった時代である。
そこにドン・サリュストの従兄弟で永く出奔していた放蕩な浪費家、ドン・セザールがやってくる。侯爵は丁度良いとばかりにドン・セザールへ金銭的援助を申出、その代わり王妃に近づき誑し込むようにと持ちかける。放蕩だが義侠心には厚いドン・セザールがこれを拒否すると、ドン・サリュストは人さらいに命じてドン・セザールを海外に連れ去らせ、代わりに使用人の平民リュイ・ブラースを呼ぶ。そして予て王妃に思慕の情を抱くリュイ・ブラースに対し、貴族”ドン・セザール”を名乗って宮中に入るよう命じるのだった。リュイ・ブラースは当惑しつつも王妃への想いを胸に、ドン・サリュストの指示するまま仕官することとなった。
ところがリュイ・ブラースは秘められていた政治的手腕によって宮中でめきめきと頭角を現し、スペインの窮状を救うべく次々と改革を断行していく。今やリュイ・ブラースは宰相ともいうべき地位に登りつめていたが、そこには彼の手腕を評価し、また好意も寄せている王妃の後ろ楯があったことは云うまでもない。まさにリュイ・ブラースは人生の絶頂に居た。
しかし-そこにドン・サリュストが舞い戻ってくる!
リュイ・ブラースの行った粛清により追放された貴族がドン・サリュストに泣きついたのだ。幾ら誠意と大義を以って務めてきたとはいえ、名前も身分も偽って王妃に近づいたことに変わりはない。謀の仕掛け人にしてその全てを知るドン・サリュストの前では、リュイ・ブラースも蒼白な顔で命令に従うしかなかった。
本物のドン・セザールが戻ってきたことによる混乱※もあって行違いも生じ、後日の深夜、思慕を募らせた王妃はドン・サリュスト侯爵も潜む屋敷にリュイ・ブラースを訪ねて来てしまう。王妃とリュイ・ブラースは決してやましい関係ではなかったが、これでは嫌疑は拭えないとドン・サリュストは迫り、リュイ・ブラースと王妃に国外へ逃避行するよう仕向ける。金銭的に不自由しないよう援助もつけるし、何よりお前は愛する王妃を自らのものにできるのだ-と。今まさにドン・サリュストの復讐は完成しようとしていた。
しかし、既にリュイ・ブラースの覚悟は決まっていた。
リュイ・ブラースは王妃を守るため剣を抜きドン・サリュストを殺し、自らも用意してあった毒をあおる。遠ざかる意識の中でリュイ・ブラースは王妃に名や身分を偽ったことの謝罪と、偽りのない王妃への愛を伝える。王妃に許され、遂に王妃から本当の名を呼んでもらえたリュイ・ブラースの最期の声が響き、物語は終幕となる。
…「もったいのうございます!」
※この部分では、お互いが相手の言うことを取違え、”本来かみ合うはずのな
い対話がなぜか変にかみ合ってしまう”というユーモラスな場面が続く。
(お笑いコンビ「アンジャッシュ」がよくやるあのネタだ。^^)
作者ユゴー自身、異なるタイプの観客がそれぞれ戯曲に対して抱く期待
の全てをこの「リュイ・ブラース」に盛り込もうとしたと序文で述べており、ま
さに「恋あり、冒険あり、陰謀あり、ユーモアあり、しかもリュイ・ブラスの男
らしい悲恋が中心となった」(三島由紀夫 評)作品となっている。
リュイ・ブラースの王妃への愛は、もともと美しく高貴な「一人の女性」に向けられた一般的な恋、情愛と云うべきものだった。しかし徐々にそれを超えて「スペイン王妃」という国家的存在に対する敬愛とそれを守ろうとする想いへと昇華し、リュイ・ブラースは正々堂々と私利私欲のないその愛に殉じた-と総括できるだろう。
三島 由紀夫は「『リュイ・ブラス』の上演は、私の永いあひだの夢であつた。」とのコメントを発し本作を激賞している(三島は池田 弘太郎の翻訳に脚色も加えるなどもしており、よほど気に入っていた)が、それはこの戯曲に示された美意識が三島のそれと合致したからであろう。逆に一方でメンデルスゾーンが嫌気したのも、まさにこのあたりだったかもしれない。
尚、小澤 征爾が1959年にフランスのブザンソンで開催された国際指揮者コンクールに優勝し、世界的指揮者への歩みを開始したのは有名だが、その一次予選の課題曲こそが、この序曲「ルイ・ブラス」であった。
はからずや、ブザンソンはヴィクトル・ユゴー生誕の地でもあるのである。【出典・参考】
「リュイ・ブラース」-ヴィクトル・ユゴー文学館第十巻
杉山 正樹 訳 (潮出版社)
「メンデルスゾーン 大作曲家」
ハンス・クリストフ・ヴォルフス 著
尾山 真弓 訳 (音楽之友社)
「リュイ・ブラスの上演について」 三島由紀夫全集34 (新潮社)
♪♪♪憂いを帯びながらも威厳と崇高さを感じさせ、品格と輝きを放つファンファーレ風のコラールによるLentoで曲は開始される。
和音構成やオーケストレーションを都度変えてニュアンスを変化させつつ5回に亘り現れるこの”ファンファーレ風コラール”は、いずれも管楽器とティンパニーのみで奏されるのが特徴的。
これに弦楽器がアレグロ・モルトで軽やかに応答し序奏部が形成される。
3度目の”ファンファーレ風コラール”に続き、いよいよ本格的にアレグロ・モルトの軽快な第1主題が現れ、緊迫感を湛えつつも活気のある音楽が展開していく。再び”ファンファーレ風コラール”が現れると長調へ転じ、リズミックな伴奏を従えた第2主題がクラリネットの低音+ファゴット+チェロによってしなやかにそして抒情的に奏される。この朗々たる旋律が大変魅力的である。
これに一層快活な第3主題が続き、徐々に力強く奏されていく。
更にこれら3つの旋律を用いた展開部・再現部が続くが、ここでは活力漲るシンコペーションの鮮烈さがとても印象的である。
そして最後の”ファンファーレ風コラール”を挟み、いよいよ輝かしい終結部へと突き進んでいく。第2主題から第3主題に移りゆく中で、音楽は明快な高揚を発し劇的な光に満ちたクライマックスを形成、堂々たる矜持を示しつつ華々しく全曲を締めくくる。
前述の作曲経緯からすれば、メンデルスゾーンには戯曲の内容を描写的に描こうという意図はほぼなかったと思われる。従ってこの曲の場合「この部分は(戯曲の具体的な)○○の場面」とか「このパッセージはあの登場人物を表す」といったアプローチはナンセンス。
全曲から感じられる最大の印象はやはり”輝かしさ”-ロベルト・シューマンが「およそメンデルスゾーンらしくない」と評したという”輝かしさ”が、この曲を支配しているのである。
その”輝かしさ”とは如何なる性格のものか-それは決然たる矜持の美しさというものに由ると私は感じている。
♪♪♪
この序曲「ルイ・ブラス」の演奏においては、何といっても冒頭をはじめ5回現れる管楽器による”ファンファーレ風コラール”が重要と思われる。ここではサウンドの説得力も必要だがそれだけでなく、4小節間が完全に一つの歌として、抑揚と決して途切れぬ音楽の流れを以って演奏されなければならない。-プロのオーケストラを聴き比べても、これが満足できる水準のものは少ないのだ。
冒頭の”ファンファーレ風コラール”に続く弦楽器のフレーズも、適切な抑揚をつけながらごく自然な音楽の流れを失わず上向していくのは難しい。わざとらしい、或いはややヒステリックにすら聴こえる演奏までもあるのである。
またオーソドックスな手法を用い品格を保ちながら、明確で躊躇のない高揚感をメンデルスゾーンはセットしており、これを余すことなく表現することが求められていよう。以上の観点から、以下音源をお奨めしたい。ウォルター・ウェラーcond.
ロイヤル・スコッティッシュ管弦楽団
管楽器のコラールは確りと大きなフレーズとして捉えられ、説得力のある”歌”となっている一方、これと鮮やかなコントラストを成す快速部分の生命感は特筆もの。輝かしいクライマックスへの設計も秀逸、お見事!シャルル・デュトワcond.
モントリオール交響楽団
管楽器のコラールが示すサウンドの密度の高さ、なめらかさと芳醇な味わいは他の追随を許さない…まさにBRAVO!
全体の構成感にも優れた秀演。フランチェスコ・ダヴァロスcond.
フィルハーモニア管弦楽団
こちらも管楽器のコラールは途切れることのない雄大な歌を聴かせてくれる。全編に亘りスケールが大きくのびのびとして縦横無尽、特に堂々としたクライマックスに輝きが満ちた好演。
【その他の所有音源】
クラウディオ・アバドcond. ロンドン交響楽団
エルネスト・アンセルメ cond. スイス・ロマンド管弦楽団
ネヴィル・マリナー cond. アカデミー室内管弦楽団
クラウス・フロール cond. バンベルク交響楽団
クルト・マズア cond. ライプチヒ・ゲヴァンドハウス管弦楽団
アンドレ・プレヴィン cond. ロンドン交響楽団
レナード・バーンスタイン cond. ニューヨーク・フィルハーモニック
フェルディナント・ライトナー cond. ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
アレクサンドル・ガウクcond. ソヴィエト国立交響楽団
ピエール・モントゥー cond. スタンダード交響楽団
ニコライ・マルコ cond. フィルハーモニア管弦楽団
オリヴァー・ドホナーニ cond. スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団
ニコライ・マルコ cond. フィラデルフィア管弦楽団
ディミトリ・メトロポウロスcond. ニューヨーク・フィルハーモニック
モーシェ・アツモン cond. ニューフィルハーモニア管弦楽団
カール・エリアスベルク cond. レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
ジョン・ネルソン cond. パリ管弦楽団
アンドリュー・リットン cond. ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団
トーマス・ビーチャム cond. ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ルドルフ・ケンペ cond. ロンドン交響楽団
ハンス・ゼンダー cond. 南西ドイツ放送交響楽団
♪♪♪
私がこの序曲「ルイ・ブラス」と出会ったのは1979年の全日本吹奏楽コンクールに於ける阪急百貨店吹奏楽団の演奏であった。課題曲「朝をたたえて」の突き抜けた秀演が有名な同年の演奏だが、この自由曲も実に素晴らしかった。第2主題が始まり、阪急百貨店の誇る卓越したEuphoniumの魅惑の音色と豊かな歌が流れ出すや、そのあまりの見事さはこの上ない感動をもたらした。もちろん”吹奏楽の魔術師”鈴木 竹男氏が創り上げた楽曲全編に亘る訴求力も申し分ない。
殊にコンクールという場面で、この年の阪急百貨店の演奏ほど音楽的な魅力を感じさせるものに出会えることはそうそうない。別稿でも触れたが、当時文字通り全身全霊を込めて臨んだコンクールにて大きな蹉跌を受け、絶望に近い感覚を覚えていた中学3年の私に、吹奏楽のそして音楽の決して離れ難い魅力を改めて認識させてくれたのが、まさにこの演奏だったのだ。
序曲「ルイ・ブラス」はその瞬間から、私にとって生涯忘れ得ぬ一曲となったのである。
尚、同年バンドジャーナル誌のインタビューで、鈴木 竹男氏はコンクールでの演奏が「ミスなくソツなくおもしろくなく」という傾向にあることへの憂慮を表明している。これは全くその通り且つ現在でも当て嵌まる指摘だと思う。
※バンドジャーナル1980年1月号記事:「bj_jan80_suzuki.jpg」をダウンロード
加えて昨今の状況から私が危惧するのは、そういった演奏が「おもしろくなく」とキチンと捉えられているのだろうか?という点である。コンクールにて評価を受けたとはいえ実態は魅力の乏しい演奏を「良い演奏、良い音楽である」と鵜呑みにし、盲信/妄信することに陥ってはいないだろうか、と。
-そのようなことは絶対にあってはならぬのである。
瞑と舞
Meditation and Dance
池上 敏
(Satoshi Ikegami
1949- )
※スコア画像は全て1971年版
犀利にして深遠-1970年に作曲され、1971年のJBA作曲賞を受賞した本邦の誇る吹奏楽オリジナル屈指の名曲の一つである。
「20世紀前半の多くの秀作からの、多くのアメリカ産の吹奏楽オリジナル作品からの影響が露でありすぎる、という反省点はある」との作曲者コメント通り、例えばジョン・バーンズ・チャンス作曲「呪文と踊り」を彷彿とさせるところがあったりするのは事実だが、この楽曲がより現代的でチャレンジングな手法を用い、また鋭い感性で唯一無二の世界観を構築していることもまた紛れもない事実である。
漆黒の全体色の中に生じる多彩、現代的な音響が醸す古代の雰囲気、野性と神秘の同存、本能的なのに知性的、ループする”個”と”群”の集散、躍動と沈静、西洋音楽の手法で描かれる日本の感性-。
対照を成す要素がさまざまに共存するこの楽曲は、実に多元的である。そしてその多元性が底のつきない深みを生み出している一方で、一つの楽曲として見事に集約し、完結した世界観を構築しているのが凄い!沈着静謐な序と終結とに挟む形で凄絶な熱狂を織り込む対比構成は明確であり、そのように楽曲を大づかみできることが劇的感動性を高めているのだが、決して”単純”ではない-その”Cool”さは近時の吹奏楽オリジナル作品ではまず見られないレベルだ。作曲者・池上 敏自身は
「題名については、さしたる意味はありません。何となく気の利いた題名がほしかっただけで、ことさらに”日本的”とか”東洋的”な意味合いを持ったものでないことだけは確かです。」
と述べており、具体的なイメージを持って作曲したものではないようだが、この曲は私に次のようなイメージを抱かせて已まない。
…暗闇に眠る龍とそれを呼び醒ます巫女、民衆。古代宗教的な儀式か祭礼か-岩舞台に張られたしめ縄と真白の御幣、暗闇に煌々と揺れる松明。踊り謡う巫女に覚醒させられた龍神は神酒を食み、舞い始める。酒を食む龍の眼は鋭く、この龍を民衆は畏怖する。その動きはぬめぬめとして生命感に満ち、酒を食んでは舞い、舞っては酒を食む。
緩急を繰り返しながら、その舞は一層激しさを増していき、遂にクライマックスを迎える!龍は大きく口を開く!燃えるように紅い龍の口、民衆の歓喜と湧き起こる歓声!!
やがてしたたかに酔った龍の動きが静かになる。再び呪文が唱えられ、龍の動きはますますゆっくりとなり、塒を巻いていく。龍の瞬きは多くなり、視線は緩む。やがて静かに眼は閉じられ、最後まで揺れていた龍の尾も静かに動きを止める。
神なる龍は再び永い眠りについたのだ-。 (画像:香川県高松市「田村神社」)
作曲者コメントからは、1970年の作曲時にJBA作曲コンクールの時間制限(6分)という制約があったため、構想に随分と苦慮した様子が窺える。多くのアイディアを割愛して生まれたであろうこの楽曲は、1977年に大幅な改訂が実施(後述する富田中の演奏はこの1977年稿によるとみられる)され、また1995年に更なる改訂を加えて決定稿が完成された。いずれも加筆し分量拡大する改訂が重ねられたのは、経緯からすれば必然と云えよう。
♪♪♪
「曲は、序奏と終結部を持った三部形式。序奏(A-B)=主部(C-D-C)=終結部(B-A)。見方によっては、Dの部分(フガート)を中心としたアーチと、とることもできると思いますが。」「主題材料は最初にピッコロに示された12音列的な動機(4,5小節で完全な形で現れますが)に全てを負っています。曲中に出てくる線的な動機は全てこの動機の変奏、ないしは変容として導き出されています。」
(作曲者コメント:1971年初版フルスコアより)
冒頭、神秘的なサスペンション・シンバルのロールの響きの中から、ピッコロのソロが聴こえてくる。遠く、かすかな生命感を感じる、和笛のイメージがあるフレーズだ。(冒頭画像)呪文の如き金管の棒の音をバックに、生命感が抑制され緊張感を湛えた、透明な木管のアンサンブルが続く。クラリネット・ファゴット・フルート・オーボエと受け継がれる音色の対比が洵に素晴らしい。やがてAllegro assai に転じ、打楽器のアンサンブルが遠くから聴こえて密やかに舞が始まる。
聴く者は緊張感と神秘性が充満する中で、研ぎ澄まされていく興奮に巻き込まれていくことだろう。
ここでは神へ祈りを奏上諷誦するが如きバスクラリネットとバリトンサックスの歌とそれに呼応するトランペットが現れる。この木管低音のソロは音色配置的にも実に個性的で出色である。さらにテンションを高めて打楽器の一撃とともにテュッティとなり音楽は激しく舞う。
主部であるこのAllegro assaiは静動を繰り返しながら展開するのだがその対比が見事で、「静」の部分ではバストロンボーンをはじめ各楽器の音色が効果的に発揮されている。その感覚の鋭さ、センスの良さに感嘆させられる。
音色配置という観点からは、トロンボーンのペダルトーンやホルンのゲシュトップが全編に亘り重用され、素晴らしい効果を挙げているのだが、弱奏部だけでなくエキサイティングな主部でも鮮烈な印象を与えている。(作曲者からは「Trb.のペダルトーンやHr.のストップ奏法では充分バランスに注意してください。」との指示あり。)
楽曲が最高潮に向かう前には、一旦静まりフガートが配される。ここで木管楽器の音色とアンサンブルをクローズアップした後、今度はフガートの断片が金管楽器も加えて応酬され、再び激しさを増す踊りは遂に全曲最大のクライマックスへと突き進む。
それは壮烈なレシタティーヴォ!神を讃える地鳴りのような民衆の熱狂、叫び声が、まさにごぉーっという集約感のある音響で示され、劇的さが胸に迫る。ここでの日本的なニュアンスを持つ打楽器の使い方も素晴らしい。
そして舞の終結を告げるトランペットとバスドラムの強奏が聴こえ、音楽はLentoへ帰り静けさを取り戻す。また深い深い眠りへと落ちていくのだ…。
遠のく意識を表す如く断片的になっていく終末のピッコロ・ソロのバックには、トロンボーンのペダル3音(B♭, A, G#)+ベース(G)の異様な音響が在り、消えゆくピッコロの最後の一音にgliss down するバッキングが残響して、全曲が閉じられる。
♪♪♪
音源としては初版稿(1971年版)、及び決定稿(1995年版)がそれぞれ録音されている。 [1971年稿]
木村 吉弘cond.
広島ウインドオーケストラ
本楽曲誕生時の姿を端的に表す。初版では「間(ま)」というものが一層重要視されていたように感じられる。尚、Picc.ソロのバックに鳴るトライアングルは全体の雰囲気に照らせば違和感があり、後にドラ(ビーターで擦る)に変更された改訂は如何にも然り。 [1995年・決定稿]
金 洪才cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
クライマックスへの部分など、より”道行き”も充実させた改訂決定稿により、この曲の有する世界を表現した好演。Allegro assaiはストイックにコントロールされた印象。
♪♪♪
全日本吹奏楽コンクールでも神居中、伊丹東中などがそれぞれに名演を聴かせてくれているが、私にとってはこの曲との出会いとなった1977年の富田中(「邦人の富田」!)の演奏が印象深い。中学生離れした鋭敏な感性の示された演奏で、移ろいゆく木管のソロはもちろん、テュッティ強奏での集約感、そしてAllegro assaiに現れるTrp.のカウンター(左上画像)で示された細やかな抑揚など、随所に多彩なニュアンスを感じさせる「表現」溢れる好演。示された世界観に強く惹きつけられた。
ダウンエンディングが流行らないからなのかコンクールで採り上げられることもなくなり、楽譜の入手が困難なこともあって近年演奏機会が減少していることは非常に残念。本作の内容に真摯に向き合い、掘下げた演奏ができたならば、とてつもない音楽的満足が奏者・聴衆の双方にもたらされことだろうが…。そしてそれには大人にこそ挑んで欲しいと思う。
本作の”表現”に挑むバンドが再び多く現れることを期待したいし、私自身もいつの日にかきっと挑んでみたい。
(Originally Issued on 2006.6.13./Overall Revised on 2014.4.27.)