かつてキングレコードからLP3枚で発売されていた貴重な音源が、2枚組CDとなって甦りました!音源堂は、こういう企画を心から待っていたのです!
(2011.2.2.発売)
これは山田 一雄cond. 東京吹奏楽団による往年の名曲・愛奏曲集であり、1978年の録音です。
「70年代、オリジナル吹奏楽集として発売された、なつかしき吹奏楽曲の数々。1960年代~70年代に吹奏楽のコンクールやコンサートなどで取り上げられたオリジナル吹奏楽作品の人気曲がずらりと並んだ2枚組。
全日本吹奏楽コンクールの課題曲にも選ばれたA.リードの「音楽祭のプレリュード」をはじめ、60~70年代の吹奏楽人気曲を山田一雄が録音したファン必聴のアルバムです。」
(発売元サイトより)
【収録曲】
吹奏楽のための民話(コーディル)
ポンセ・デ・レオン/イシターの凱旋/バラの謝肉祭(オリヴァドゥティ)
西部の人々/ジャマイカ民謡組曲/リートニア序曲/
フーテナニー(ワルタース)
序奏とカプリス/ラプソディック・エピソード(カーター)
皇帝への頌歌/組曲「百年祭」(モリセイ)
黄金の像(ハレル) 壮麗なる序曲(エドモンソン)
チェルシー組曲(ティルマン)
コラールとカプリチオ/序曲変ロ長調(ジョバンニーニ)
「良い娘」序曲(ピッチーニ) 音楽祭のプレリュード(リード)
ヒッコリーの丘(フランカイザー)
吹奏楽のためのトッカータ(エリクソン)
序曲「チェスター」(シューマン)
…よくぞ復刻CD化してくれた、と思います!
今となっては本当に貴重な音源ばかり。価格も抑えられていますので、この時代の吹奏楽曲がお好きな方は、ぜひ購入されては如何でしょうか?
こうした企画がヒットすることで、吹奏楽の未CD化音源の
CD化がドンドン進んでくれたら…と願って已みません。叶うならば、アメリカ盤LPやお蔵入り録音などもCD化してれたら、言うことなしですね…。
ともあれ本企画を実現して下さった KING RECORDS X TOWER RECORDS には心から感謝したいです!
待望のLP音源CD化!
アルメニアン・ダンス パート I
Armenian Dances Part I
A.リード (Alfred Reed 1921-2005)
Tzirani Tzar (The Apricot Tree) -
Gakavi Yerk (Partridge's Song) -
Hoy, Nazan Eem (Hoy, My Nazan) -
Alagyaz (Alagyaz) - Gna, Gna (Go, Go)吹奏楽界の巨星、アルフレッド・リード畢生の名作「アルメニア舞曲」の第1楽章として、1972年に作曲された。続いて「パート II」が1975年に作曲され、1976年には全4楽章から成る「アルメニア舞曲」として全曲初演されている。
リード自身は当初より4曲から成る”アルメニア民謡による吹奏楽のための組曲”を想定して作曲しており、”パート I”と”パート II”とに分かれているのは、単に出版社が異なったという事情による。アルメニアン・ダンス パート IはCBSソニーが毎春発売していた「コンクール自由曲集」1976年盤(左画像)に収録され、広く本邦にも知られるようになった。同年早くも全日本吹奏楽コンクール大学の部で2団体が演奏したのを皮切りに、野庭高(1983年)・淀川工(1986年)をはじめコンクールでの名演も多数。日本人に愛されている吹奏楽曲の筆頭に挙げられる傑作だ。
♪♪♪リードに「アルメニア舞曲」の作曲を委嘱したのは、イリノイ大学バンドの指揮者
ハリー・ベギアン※(Harry Begian
1921-2010 /左画像)だった。
アルメニア移民の子孫であるベギアンは、アルメニア民謡の蒐集・研究家であるゴミダス・ヴァタベッド(Gomidas Vartabed 1869-1935 /Vartabed は「修道長」の意)の蒐集したアルメニア民謡集をリードに提示し、これを題材とした吹奏楽曲を委嘱したのである。
※ベギアンはゴミダス研究の権威であり、「ゴミダス・ヴァタベッド -その生涯
とアルメニア音楽における重要性 (Gomidas Vartabed, his life and
importance to Armenian music)」との著作も遺している。
そんなベギアンとリードとの関係は、1950年代にベギアンがキャス工業
高校(デトロイト)バンドを指揮していた頃に始まる。「ロシアのクリスマス音
楽」「アルトサクソフォーンのためのバラード」などを演奏したのがきっかけと
いう。
ベギアンはリードの音楽と技量に惚れ込み、既に1963年には「アルメニア
民謡に基づく作品を書いてほしい。」と依頼している。ただ、その第1楽章で
ある「アルメニアン・ダンス パート I」が完成するまでには8年以上の歳月を
要しており、その間ベギアンは待ち続けていたわけだ。
ベギアンは一度も督促することはなかったが、7年が経過した1971年の
ミッドウェスト・クリニックにて、遂にリードに作曲の進捗状況を尋ねた。
「今やってるところだから、心配しなくていいよ。」と言うリードに対し、ベギ
アンは「ひょっとして、この作品を委嘱した時、僕が『君はタダ(freebie)で
やってくれる』と期待してたなんて思ってないよねえ?僕は完全に報酬を
支払うつもりだよ。口頭ではあるけれど、約束するよ!」と返したとのこと。
…話のオチは次のベギアンのコメントを。
「そしたらご存知の通り、まさにその翌年に僕は『アルメニアン・ダンス パー
ト I 』のスコアを手にできたんだよ。」
出典:「Alfred Reed : a bio-bibliography」 Douglas M. Jordan 著
♪♪♪
アルメニアは、トルコに接する西アジアの歴史ある国であり、アララト山やセヴァン湖に代表される、美しい景観に恵まれた山岳国家である。
※参考・出典HP
外務省HP 「アルメニア共和国」 日本アルメニア友好協会HP※アララト山
現在はトルコ領(アルメニア国境近く)となっている。
12世紀に入ったヨーロッパではこの山こそが、旧約聖書に登場する”ノアの箱舟の
漂着した場所”だと云われるようになり、 ”アララト山”と称されるに至ったという。
※セヴァン湖
季節ごとに美しい姿を湛える。
ローマ・イラン両帝国の「緩衝国」であった時代のさなか、301年の国教化により世界最古のキリスト教国家となったアルメニアは、現在でも周辺がイスラム教国に囲まれているにもかかわらず、アルメニア教会(単性論キリスト教会の一つ)を信仰するアルメニア人が人口の大半(約98%)を占める国である。
その歴史の深さは、ヘレニズム文化の影響を強く受けたとされるガルニ神殿(1世紀/下左画像)や、初期アルメニア教会の珠玉と称されるフリプシメ教会(現イラン領・618年/下右画像)などの建造物の見事さが、端的に表している。こうした威厳を感じさせる歴史的建造物を数多く遺し、また独自の文字を持つ公用語(アルメニア語)を有することなどは、小国ながらアルメニアが強力なアイデンティティを持つことの証左であろう。
”アルメニア人は商才に長ける”などとも云われるが、さすればこれも単なる風説とは云えないのかもしれない。
また美人の多い国として、さらに特産のワインとアルメニア・コニャックでも有名である。
そんなアルメニアは、民謡にも確固たるアイデンティティと魅力を有していた。だからこそ、リードはアルメニア民謡から多大なインスピレーションを得て、その研究の中から名作を生み出したのだ。
「アルメニア舞曲」のほか、「エルサレム讃美」も、リードのアルメニア音楽※研究の成果が表れた名作として知られている。
※アルメニア人の音楽家
最も有名なのは、何といってもアラム・ハチャトゥリアン(Aram Il'ich Khachaturian
1903-1978、出身はグルジア)であろう。ハチャトゥリアンにも「アルメニア舞曲」(Armenian Dances)
という吹奏楽オリジナル曲がある。これは2つの舞曲から
成り、より民族色の強い楽曲である。
収録CD:
フレデリック・フェネルcond.
イーストマン・ウインドアンサンブル
他には「トランペット協奏曲」で有名なアレクサンドル・アルチュニアン
(Alexander Grigorevich Arutiunian 1920-2012)や、「第4交響曲」にて吹奏楽界
でも有名なアルメニア系アメリカ人、アラン・ホヴァネス(Alan Hovhaness
1911-2000)が挙げられる。
♪♪♪
このように、アルメニア民謡は絶好の素材であった。
しかし、如何に優れた素材を得ていたといっても、リードの仕事は単に”アルメニア民謡メドレー”的なものに止まることはなかった。そこには極めてレベルの高い二次創作が存在しているのだ。
現在、ゴミダスが蒐集したアルメニア民謡は幾つかの音源※―ゴミダス自身の歌唱という歴史的録音もあれば、ピアノ伴奏の歌曲(男声・女声)として奏されるもの、また弦楽四重奏で奏されるものがある―でその姿を知ることができる。
それらはいずれも素朴なものだ。そしてその”素顔”と比較すると、リードが実にオリジナリティのある”仕事”をしたことが、確りと認識できよう。
※ゴミダス・ヴァタベッド、ならびに彼が蒐集したアルメニア民謡音源の
詳細については、次稿「アルメニアン・ダンス パート II」にて紹介する。
パート I 冒頭「あんずの木」は、原曲と同じ楽句で始まる。(冒頭画像参照)
リードはこの楽句を、いきなり爽快なシンバルの一撃を伴う、あの輝かしいファンファーレによって開始させるのだ。
-この選択からして、素晴らしい!
まさに吹奏楽ならではのオープニングを用い、一気に「アルメニア舞曲」の世界に引き込んでしまう。
そして、全編に亘り散りばめられたキャッチーなフレーズが、民謡の旋律を彩っていく。反復された「あんずの木」冒頭の高揚を締めくくるTimp. ソロ(22小節目)なども地味ながら気の利いた印象的なフレーズだし、続く抒情的なOboeソロに絡むA.Sax.のオブリガートは、胸に迫る切なさだ。
第2曲「やまうずらの歌」への導入部では、そよぐ風のようなグロッケンの音色が…。
こうしてリードによって加えられた名フレーズは、それこそ枚挙に暇がない。
ソロ楽器の配置やサウンドの変化、効果的な打楽器の使用により音色の変化とコントラストが鮮やかなことも、聴く者の耳を喜ばせる。
リードの創意が最も顕著に現れているのは第3曲「ホイ、私のナザン」であろう。原曲は規則的な12/4拍子の歌だが、リードはこれを5/8拍子 -しかも2+3と3+2を自在に組み合わせた変拍子と成し、また打楽器群を伴うことで一層民族的色彩を強め、変化に富んだ音楽に仕上げた。結果、この「ホイ、私のナザン」はテンポが速めでも遅めでも、それぞれに味があるという懐の深さをも備えたのである。
構成感も素晴らしい!
この「パート I 」は、明確に分かれた5つの部分が連続して演奏され、単一楽章の楽曲を形成しているわけなのだが
1. あんずの木
吹奏楽の特徴を活かした、鮮烈かつ雄大なオープニ
ング。しかし曲調自体は憂愁を帯びたシリアスなもの。
2. やまうずらの歌
一転して”優しさ”に満ちた流麗な曲調。どこかユーモ
ラスで癒される愛らしい歌。
3. ホイ、私のナザン
変拍子の”濃い”音楽に転じる。エキゾティックなリズ
ムが強く印象付けられ、”聴かせどころ”を形成。
4. アラギャズ
穏やかでスケールの大きな音楽が、安寧なテンポと
リズムで朗々と歌われる。しみじみとした抒情性。
5. ゆけ、ゆけ
活力に満ちた終曲。第1曲と呼応するように吹奏楽
の特長が存分に発揮される曲調であり、強力なダ
イナミクスとエキサイティングなリズムで締めくくる。
という流れで進む楽曲の構成は、対比に富むと同時に起承転結が確りと示されている。各曲の接続部も、遠くから徐々に近づいてくるようであったり、また或いは突然の場面転換であったりと、それぞれに意が尽くされていることは見逃せない。
全曲が俯瞰された上で創られているから、充実した”全体感”が生まれており、それが楽曲を高次元なものへと押し上げているのだ。
以上のように、民謡を素材とした作品でありながら、堂々たるオリジナリティが備わっていることが、リードの代表作と評される所以なのである。
♪♪♪
それではフルスコアに記されたヴァイオレット・ヴァグラミアン※による解説(「 」)を引きながら、楽曲の詳細を見てみよう。
※Violet Vagramian : アルメニア出身の女流音楽学者
当時はフロリダ国際大学音楽学部助教授
1. あんずの木 Tzirani Tzar (The Apricot Tree)
「ゴミダスが1904年に、3つの歌を組みあわせた構成にて編曲した楽曲。ここでは雄弁なる冒頭、生命力に溢れたリズム、そして音楽的な装飾とが、この歌をとても表情豊かなものとしている。」
輝かしいファンファーレに続き、複数の旋律が同時進行的に現れる冒頭。最初のシンバルは優れた音色と過不足のない音量が要求される、”一世一代の一発”だ。豊かなサウンドに包まれつつも、旋律は憂愁を帯びているのが印象的。最初のファンファーレが再び現れる部分も、単なる繰返しとはなっておらず、よりスケールの大きな音楽へと拡がるさまを味わわせるのが凄い。
2. 山うずらの歌 Gakavi Yerk (Partridge's Song)「1908年にグルジアのティフリスで出版されたゴミダスのオリジナル曲。元々は児童合唱を伴う独唱曲として、後にピアノ伴奏による独唱曲として創られた。その素朴で繊細な旋律は、山うずらがちょこちょこと歩くさまを描写するものと思われる。」
楽曲の題材となったヨーロッパヤマウズラは、画像の通りとても愛らしい鳥だ。この歌は、可愛らしさとともに長閑さや優しさも感じさせ、のびのびと歌われる。Hornのシンコペーションの伴奏に乗せて、木管楽器とコルネットに旋律を応答させ、リードは清らかに音風景を描く。
終わりにはずっと伴奏だったHornをソロで登場させて締めくくるのが、また心憎い。
3. ホイ、私のナザン Hoy, Nazan Eem (Hoy, My Nazan)
「活き活きとして、かつ抒情的なこの曲は、一人の若者がその恋人(ナザンという名の少女)を讃じて歌う様子を描いたもので、ゴミダスはこれを1908年に合唱曲に編んでいる。ここでは舞曲的なリズムと装飾により、印象的でキャッチーな音楽に仕上げられている。」
遠く聴こえてくる変拍子(2/8+3/8、3/8+2/8)の打楽器が歌を導き出して始まる。この「ホイ、私のナザン」は、前述の通り原曲以上に変化をつけ、民族色を強めたアレンジとなっており、「パート I」全体に、とても効果的なアクセントを与えている。
くるくると目まぐるしく入替る変拍子のみならず、ダイナミクスの大きな変化、そしてとりわけ鮮やかなサウンドとが混然一体となって、エキサイティングでコントラストに富んだ曲想を演出していくのだ。
4. アラギャズ Alagyaz (Alagyaz)「アラギャズとはアルメニアにある山の名前である。最も愛されているアルメニア民謡で、ゴミダスはピアノ伴奏つき独唱、ならびに合唱とに編曲している。その息の長い旋律は、題材となったアラギャズ山と同様の威容を誇っている。」
アラギャズ(アラガッツ)はアルメニア中西部に位置する(前掲のアルメニア地図参照)標高4,090mの高山であり、古くよりアルメニア人の敬愛を集めてきた。全曲を通じ、最も原曲のイメージをそのまま残した楽曲となっている。雄大でふくよかなこの曲の魅力を、リードは率直に伝えようとしたものであろう。
5. ゆけ、ゆけ Gna, Gna (Go, Go)
「この曲はユーモラスで、軽いテクスチュアな(響きの密度の軽い)歌である。ゴミダスはもっとゆっくりとした「ジャグ」(The Jug)という歌と、この歌とを組合せて奏していた。この曲に出てくる、繰返される楽句は笑い声の調子を表すものである。この歌も”叙唱”(レシタティーヴォ)の形式の楽曲となっている。」
名残り惜しげな「アラギャズ」の終結部。ここはまるでドアの向こうからかすかに光が洩れてくるような-そんなイメージ、”予感”があるのだが、それを感じた途端、いきなり元気よくぱあっと開けて、「ゆけ、ゆけ」がスタートする。ゴミダス自身による原曲の歌唱も、解説通り”笑い”をイメージさせるものであり、そもそも明るく陽気な楽曲である。快速なテンポで朗らかに奏される音楽は、その名の通り推進力に満ちている。リードは呼びかけるような4分音符2つを応答し合わせ、場面を先へと進めていくのだが、これがとても印象的である。
遠くからだんだんと近づいてくるようにクレシェンドするフレーズが繰返され、これが楽曲全体も高揚させていく。
遂にリム・ショットの鞭が入って、ほどなくFuriosoに突入するや、目まぐるしい木管群や吼えるHornも相俟って、エキサイティングさを極めた全曲のクライマックスへ!
Oboe&Cornetが旋律を再現し、興奮を一旦落着かせたのも束の間、Trumpetの高らかなハイ・ノートとともに更にダイナミクスとテンションを上げ、烈しいリズムとともに音楽は全速力でゴールへ駆け込んでいく。
♪♪♪
音源は以下をお奨めしたい。アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
まず押さえておくべきスタンダードである作曲者自作自演盤。メリハリのあるダイナミックな演奏だが、エレガントでもあるのはリードの志向を端的に表している。アントニン・キューネルcond.
武蔵野音大ウインドアンサンブル
若々しい演奏で、「ホイ、私のナザン」の快速さが特徴的。このテンポもあり得ることを通じ、楽曲の懐の深さを示した。また強力なHornパートを擁し、終盤はその活躍が聴きもの。佐渡 裕cond.
シエナウインドオーケストラ(Live)
Liveならではの熱気が活きた好演。パートII を含めた全曲が演奏されているが、殊にこのパートI の演奏に、魅力が溢れている。
尚、NHKホールにて開催された(2006.8.6)、山下 一史cond. NHK交響楽団員+豪華エキストラによる吹奏楽団の演奏会の模様は放送もされたが、ここでの「アルメニアン・ダンス パート I」の演奏も素晴らしい!
高みに達した優れた音色と明晰な発奏、リズムの良さなど、とにかく”美しい”のだ。これに加えて幅広いダイナミクスを備えているのだから、演奏の次元は圧倒的に高くなる。集約された一体感こそ欠くものの、素敵な”歌”も随所に聴けるこの演奏には、唸らざるを得ない。
【その他の所有音源】
イアン・マクエリオットcond. 英国落下傘部隊軍楽隊
鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー(Live)
新田 ユリond. 大阪市音楽団
アルフレッド・リードcond. オランダ陸軍軍楽隊
大橋 幸夫cond. フィルハーモニア・ウインドアンサンブル
ウォルター・ボイケンスcond. サヴォイエ吹奏楽団
松元 宏康cond. ブリッツ・ブラス
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
アルフレッド・リードcond. 東京佼成ウインドオーケストラ(Live)
ヤープ・コープスcond. オランダ海軍軍楽隊
佐渡 裕cond. シエナウインドオーケストラ
ベルト・ミンテンcond. デーメル・エン・ラーク吹奏楽団
マックス・シェンクcond. アーラウ初年兵音楽隊
山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ(Live)
ハリー・ベギアンcond. イリノイ大学シンフォニックバンド(Live)
金 聖響cond. シエナウインドオーケストラ(Live)
北原 幸男cond. 大阪市音楽団
ドナルド・ショフィールドJr. cond. アメリカ空軍ミッドアメリカバンド
ウイリアム・バーツcond. ラトガース・ウインドアンサンブル
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
ユージン・コーポロンcond. ノーステキサス・ウインドシンフォニー
アルフレッド・リードcond. 洗足学園大学シンフォニックウインドオーケストラ
現田 茂夫cond. 大阪市音楽団(Live)
小林 恵子cond. 東京佼成ウインドオーケストラ(Live)
汐澤 安彦cond. 東京吹奏楽団
(Revised on 2012.7.8.)
アルメニアン・ダンス パート II
Armenian Dances Part II
A.リード (Alfred Reed 1921-2005)
I. Hov Arek (The Peasant's Plea)
II. Khoomar (Wedding Dance)
III. Lorva Horovel (Songs from Lori)
「アルメニア舞曲 -アルメニア民謡による吹奏楽のための組曲」の第2-4楽章として1975年に作曲された。先行して作曲された第1楽章「アルメニアン・ダンス パートI 」(1972年)と併せ、アルフレッド・リードの代表作として、その内容が高く評価されているとともに、人気も絶大である。まさに吹奏楽オリジナル曲を代表する作品と云えよう。
「パートII 」が広く本邦に紹介されたのは1979年。既に「パートI 」が絶大なる支持を集めていたため、「パートII 」の登場は今か今かと待望されていた。ところが最初に音源を提供したCBSソニーは、終楽章「ロリからの歌」のみを収録するという残念な対応(「コンクール自由曲集」というコンセプトに徹したのだろうが…。)をとったため、早く全楽章を聴きたいというファンの想いは一層強まるばかりであった。ただ、その全貌を明らかにしてくれたのもまたCBSソニーだった。パートI・II 全曲が収録された「武蔵野音楽大学ウインドアンサンブル'79」のリリースである。演奏もなかなかに素晴らしいこの名盤が、大喝采を浴びたことは云うまでもない。
そして、この演奏を飽きることなく聴き続けた私の中には、
「いつの日か、アルメニアン・ダンスを全曲演奏するぞ!」
という想いがずんずん募っていったのであった-。
♪♪♪
リードはこの「アルメニア舞曲」を作曲するにあたり、ゴミダス・ヴァタベッド(Gomidas Vartabed 1869-1935)※が蒐集・作曲したアルメニア民謡をもとにしたわけだが、ゴミダスとその生涯はアルメニア音楽のみならず、アルメニアの歴史における重大な側面とも関わりが深いものであり、知りおくべきものと思う。
※アルメニア語はアルメニア国内でもその東西で発音が異なるため、
これを反映し英語圏ではKomitas Vardapet(コミタス・ヴァルダペット)
と表記されることも多い。私は「アルメニア舞曲」のプログラム・ノート
の表記に合わせることとし、Gomidas Vartabed(ゴミダス・ヴァタベッド)
を採用している。このプログラム・ノートはアルメニア出身の女流音楽
家、ヴァイオレット・ヴァグラミアンが執筆したものである。オスマン帝国統治下のアナトリア(現トルコ領)のアルメニア人家庭に生まれたゴミダスは、本名をソゴモン・ソゴモニアン(Soghomon Gevorki Soghomonyan) という。
不幸にも幼くして孤児となったのだが、その音楽的才能と美しい歌声は早くから認められ、アルメニア正教の聖地エチミジアンの神学校に入って音楽を学んだ。
「ゴミダス」の名は音楽家でもあった7世紀のカトリコス(アルメニア正教の大主教)の名に因んで名乗るようになったものである。ゴミダスは神学を修め、修道僧となってからも音楽の研鑽を続け、遂にはベルリンに3年間留学して音楽学の博士号を取得している。
孤児という境遇ゆえか、父母の祖国であるアルメニアの教会と文化とに一心に帰依することとなったゴミダス。そのアルメニアに対する想いは尋常でなかったという。
トルコ語圏に生まれたことによる言葉のハンディを撥ね返し、アルメニア独自の記譜法や、アルメニアの宗教音楽・民謡の旋律構造を研究して論文を著し、また講義を行うなど精力的に活動していく。アルメニア民謡の蒐集は4,000曲以上にのぼったが、その中には未知、或いは忘れ去られた何世紀も前の古い旋律をも数多く保存しており、ゴミダスの最大の遺産であると評価されている。
こうした研究をバックボーンに自らも作曲を行い、一定の評価を得ていたゴミダスだが、アルメニア教会内での保守派からの風当たりも強く、実際の音楽活動はアルメニア人の多いグルジアのティフリスや、オスマン帝国のコンスタンティノープルといった国外で行っていたという。
そんな彼とアルメニアを、1915年に身の毛もよだつ悲劇が襲うこととなる。-オスマン帝国によるアルメニア人迫害※である…!
コンスタンティノープルに居たゴミダスは、オスマン帝国によって他のアルメニア知識人とともに、アナトリア東部のチャンキリへ強制移送され迫害を受けることとなった。(このときゴミダスとともに強制移送されたアルメニア人291人のうち、生き残ったのは40人だけだそうだ。)
ゴミダスは奇跡的に生き残ることができたのだが、迫害の記憶によるPTSDに起因した精神変調を引き起こし、音楽活動はできなくなっていったという。そしてコンスタンティノープルで精神科に入院するも病状は回復することなく、最後は失意のまま転院先のパリで没してしまう。
苦しみぬいたゴミダスの姿は、アルメニアが受けた悲劇の象徴とされているのである。
※オスマン帝国によるアルメニア人迫害
アルメニアのみならず、トルコサイドを除く国際社会からは「アルメニア
大虐殺」と謂われ、激しく非難されているアルメニアの国家的悲劇。
ゴミダスが直面した事件に先立つ19世紀末には、オスマン帝国のスル
タン/ハミトII世によるアルメニア人殺戮事件も発生している。これは
「エルサレムのキリスト教徒を保護する」ことを口実とした列強(ロシア・
フランス・イギリス)によるオスマン帝国への干渉が、オスマン帝国内
土着のキリスト教徒とイスラム教徒との軋轢を激しくしており、これが
その背景だった。スルタンは列強の圧力の前に「改革」を約しながら、
実際にはアルメニア民族の一掃を目論んでいたとされる。
洵におぞましくも、このオスマン帝国による迫害・殺戮はさらに「本格化」
してしまう!
1915年4月に惹起した在コンスタンティノープルのアルメニア知識人・指
導者の”強制移送”に始まり、最終的に多くの人命(のべ150万人とも)
を奪ったこの迫害は、アルメニア民族の殲滅を企図したものと云われ、
1923年まで続いた。
この惨劇は現在でもアルメニアと(オスマン帝国の後継国家である)
トルコ両国の関係において大きく深い断崖となっているとともに、トルコ
による「アルメニア大虐殺の承認」(トルコは「虐殺」を否定)は大きな
国際問題となっているのである。
これ以外にも、少数民族国家アルメニアは多くの苦難に苛まれてきた。
「アルメニアの歴史は(中略)建国と大国による亡国のくり返しで
あり、これでは民族意識の維持のため他国への同化拒否も無理
ないと思い知らされた。」
(大島 直政/トルコ文化研究家)
-アルメニアの音楽に触れる以上、上記に総括されるアルメニアの深い
悲しみについても、思いを巡らすべきものと思う。
【参考・出典】「アルメニアを知るための65章」
中島 偉晴、メラニア・バグダサリヤン 編著
(明石書店)
アルメニアの歴史・自然・文化を総覧できる良著。
リードの「アルメニア舞曲」は本書でもアルメニア音楽を身近に聴くことのできる代表的な楽曲として紹介・言及されている。「悲劇のアルメニア」
藤野 幸雄 著 (新潮選書)
アルメニアの悲劇的歴史を丹念に辿り、アルメニアが確固たるアイデンティティを持つに至った経緯を、その側面から明らかにしている。
「歴史につねに裏切られてきたアルメニア人は、自分がどうしてアルメニア人として生まれてきたのかの問題を考えつづけてきたに違いない。」
(著者”まえがき”より)「悲劇のアルメニア人音楽家、コミタス」
ものろぎや・そりえてる (Weblog)
ゴミダス関連の重要著作 ”Archlogy of Madness : Komitas, Portrait of an Armenian Icon" (Rita Soulahian Kuyumjian) の優れた読後評。同書に基く史実を端的に知ることができる。相応数の資料にあたってみた結果、ゴミダスの生涯については資料ごとに微妙な内容の違いがあったが、こちらに所載の内容が最も適切と判断し、本稿ではこれに拠り記述した。
♪♪♪
ゴミダスの最期はかくも悲劇的なものであったが、彼が愛し、採譜・純化・研究したアルメニア民謡及び自作の歌は確りと遺され、永遠のものとなった。そうした彼の蒐集は、彼自身の肉声録音(”Voice of Komitas”)を含め多くの音源で聴くことができる。
「アルメニア舞曲」の鑑賞・演奏にあたっては、ぜひこの”原型”たる民謡たちも聴いてみていただきたいものだ。Hommage à Komitas
Hasmik Papian(Sop.)
& Vardan Mamikonian(pf.)
[収録曲]
パートI:「あんずの木」「山うずらの歌」
「アラギャズ」Komitas-Aslamazian
Chilingirian Quartet(弦楽四重奏)
[収録曲]
パート I:「あんずの木」「山うずらの歌」
「ホイ、私のナザン」
パートII:「クーマル(結婚の舞曲)」Komitas: Armenian Songs & Dances
Armand Arapian(Bar.)
& Vincent Leterme(pf.)
[収録曲]
パート I:「ホイ、私のナザン」
パートII:「農民の訴え」Komitas
Merlin Virtuosi(弦楽四重奏)
[収録曲]
パート I:「ホイ、私のナザン」Music of Komitas Vartabed
Yerevan Chamber Choir(混声合唱)
[収録曲]
パートII:「ロリからの歌」Voice of Komitas
Komitas Vardapet
(ゴミダス本人の肉声)
[収録曲]
パート I:「アラギャズ」「ゆけ、ゆけ」
パートII:「農民の訴え」
【参考・出典】
「アルメニアンダンス」
The Musicmakers' Paradise (村上 泰裕氏HP)
「アルフレッド・リードの世界」(佼成出版社)の著者である村上氏のサイト。この「アルメニアンダンス」の項も大変示唆に富み、参考になる。常に事実を積み上げていく村上氏のスタンスは真摯で、内容には説得力があり、信頼に値する。
♪♪♪
それでは”パートII”についても、フルスコアに寄せられたヴァイオレット・ヴァグラミアンによる解説(「 」)を引きながら、楽曲の詳細を見ていこう。
※尚、「アルメニア舞曲」のスコアにも、リードのオーケストレーションの基本要素と
いうべき考えが述べられているので、押さえておきたい。
リードは金管楽器を”ブリリアント”(Brilliant=Trumpet, Trombone)、”メロウ”
(Mellow=Cornet, Euphonium, Tuba)、”ホルン”(Horn)の3群に大別し、夫々が
対比的に音色を発揮するよう求めている。特に最高音部を担当するTrumpetと
Cornetの明確な区別にはこだわりがあり、かつバランスについてはTrumpetが
3パート×2名=6名、Cornetが2パート×1名=2名とすべきと明記している。
Cornetは抒情的で他とブレンドしやすい楽器との認識の下、主として木管や
Hornとともに用いようというものだ。この音色の対比やブレンドという考え方は、
私自身も非常に共感できる。
リードの楽曲は大半がこのコンセプトでスコアリングされているので、その演奏に
あたっては(制約があって実現不能な場合もあろうが)、このことを念頭に置く
必要があるだろう。
I.農民の訴え Hov Arek (The Peasant's Plea)
「ホヴ・アレク(=”風よ、吹け”)は抒情的な歌であり、一人の若者が「山々よ、風を送り給え、そして我が苦悩を取り払い給え。」と懇願するものである。幅広い表情を備えたその繊細なメロディーラインは、深い感動をもたらしてくれる。」
Harp、Vibraphone、Glockenspielを伴った幻想的なサウンドの序奏に始まる。これに続いて哀愁に満ちた、実に美しい旋律をコールアングレが歌いだす。これを包み込むのが木管主体のアンサンブルなのだが、その透明感がまた美しい!透明で幻想的なサウンドはそのままに歌は高揚していき、遂に大らかな風が吹き渡るイメージのあるクライマックスとなる。ここで旋律にこだまするHorn(+T.Sax.)には、その切なさに胸がきゅーっと締めつけられてしまう。
楽曲は抒情を湛えながら来た道を戻るように前の楽句を辿っていくが、伴奏に微妙な変化がつけられ、違ったニュアンスに示しているのが素晴らしい。
最後は再びコールアングレのソロで歌を終い、序奏部が再現されてその幻想的な響きが、遠く遠く消えていく。
II.結婚の舞曲 Khoomar (Wedding Dance)
「クーマル(=アルメニア女性の名前)はゴミダスが混声合唱つきのソプラノ独唱に編曲した歌で、活気に満ち、そしてうきうきとした気分の舞曲である。二人の若い恋人たちが出会い、そして結婚する-そんな喜ばしいアルメニアの農村風景を描写するもので、生命感あふれるリズム・パターンが特徴的である。」この歌は他で聴くことのできない個性を持っており、特に魅力的だと思う。楽しげなのだが単に浮ついた楽しさではなく、とてもしっとりとして謹厳な佇まいがある。神妙な表情をしながらも、やはり喜びは隠し切れない-まさにそうした奥ゆかしく微笑ましい雰囲気を感じさせるではないか。リードは木管楽器の音色を活かしてその魅力をさらに増幅させている。
リードはさらに、”華燭の典”の輝きをダイナミックに聴かせるクライマックスや、切なさも感じさせる短調の部分を挟むことで、楽曲の奥行きを拡げた。それでいて前述の楽曲が根源的に持っている魅力は、一切損なっていないのである。楽曲を”昇華”させたリードの手腕は実に見事!と云うほかない。
III.ロリからの歌 Lorva Horovel (Songs from Lori)
「ゴミダスが広汎な調査を施したこのロルヴァ・ホロヴェル(=ロリ地方の農耕歌)は複雑かつ即興的な旋律を持っており、そのリズム・旋律の両面において豊かな構成の中には、キリスト教が誕生する以前の時代に遡る要素も現れている。
歌の内容は作業に従事する農夫の肉体と精神とに関するものであり、それは牛たちにかける声や耕す際に発する叫びなど、彼らの労働から直接生じたものである。流れるような旋律とともに、この美しい歌の持つリズムや音程の構造によって、そうした労働の情景のイメージを持った音楽が響き渡るのだ。」序奏を持った急-緩-急の形式に成り、「アルメニア舞曲」全曲を通じて最も強烈な印象を持つ終楽章。オーケストレーションも凝っていて、その分パート間のバランスは難しい。尚、「ロリ」は同名の山脈があるアルメニア北部の地方である。
(上画像:ロリ地方の風景)
5/8拍子(♪=104)、サスペンションシンバルの一撃と喨々たるTrp.&Cor.のD♭音で開始、これを木管群の強奏が受けて高揚し(冒頭画像参照)、遂にはドラとともにぶつかりあう低音がごーっと轟きわたる- 緊迫の序奏である。
一層スケールを拡大してこれが繰返されたのち、荘厳な歌が朗々と奏されていくが、ここではClarinetの黒々とした音色が大変印象的だ。
快速な主部(2/4拍子 Presto)に入っても緊迫は一切緩まず、今度は鮮烈で野性味のある音楽となる。非常に幅広いダイナミクスの変化の中で疾駆する曲想は、文字通り”血沸き肉踊る”ものである。
これが鎮まってテンポを落とし、玲瓏なFluteの音色に始まる中間部(5/8拍子 Molto meno mosso)。さらに哀調を帯びた旋律が現れ、緩やかなビートを内包して揺蕩う夢幻的な舞曲が続く。再び清々しいFluteの音色が戻ってきて中間部を終い、唸り声の応酬のようなブリッジを挟むと、主部の再現となる。
ここからはエキサイティングな音楽が、テンションを上げ続けつつ突き進む。その頂点を示すTromboneの咆哮はまさに聴きものだ。終幕の予感をドラマティックに強めてコーダに突入し捲りに捲った末、ビートを消した金管群の吹き延ばし(+Saxのトリル)に続いて、全合奏による鮮烈なエンディングが響きわたる- Bravo !
♪♪♪
音源は以下をお奨めしたい。アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
パートI同様、パートIIにおいてもまず押さえておくべきスタンダードであることは間違いない。「ロリからの歌」においても、各パート間のバランスが良く、楽曲の構造が存分に発揮されているのは、やはり作曲者自作自演ならではと云えようか。アントニン・キューネルcond.
武蔵野音大ウインドアンサンブル
前述の通り、本邦に於いて「アルメニア舞曲」の全貌を明らかにした録音。”歌”に淡白な印象を受ける部分もあるが、この楽曲のそれぞれの楽章が持つ雰囲気は確りと把握されており、伝わってくる。コントラストにも優れた好演。
【その他の所有音源】
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ[1986]
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ[1996]
アルフレッド・リードcond. 洗足学園大学シンフォニックウインドオーケストラ
加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
佐渡 裕cond. シエナウインドオーケストラ(Live)
アルフレッド・リードcond. ウインドカンパニー管楽オーケストラ(Live)
汐澤 安彦cond. フィルハーモニア・ウインドアンサンブル(「ロリからの歌」のみ)
♪♪♪
3年=幹部の年、所属する大学の吹奏楽団で学生指揮者を務め、選曲の責任者でもあった私は、満を持して「アルメニア舞曲」(全曲)を定期演奏会のメインプログラムに据えた。私自身が渇望していたこの大好きな楽曲の演奏に、遂に全力で取り組むことができるのだ。
新しい常任指揮者を迎え、また名手の1年生が加入してくれたこともあって春のコンサートでも手応えのある演奏ができていた。定期演奏会ではその延長線上で楽団として更にレベルアップした演奏ができるはず!と意気込んで、選曲そして練習に臨んだのである。
所謂コンクール自由曲としての関わりではないが、それゆえに全曲ノーカットで演奏できる悦びがあった。ダブルリードのパートを欠いたバンドであったが、いつも居る仲間と”自分たちの「アルメニア舞曲」”を創り上げたくて、エキストラは招かずソプラノ&アルトサックスとバスクラリネットへパートを移し、練習を重ねていく。
常任指揮者との相性も良かった「アルメニア舞曲」は、練習の段階から我々にメイン曲に相応しい歯応え、音楽的興味を追求していく楽しさ、そして何より楽曲の持つ魅力による、音楽的満足を存分に与えてくれたのだ。
しかし、迎えた本番のステージは-。
結果として、バンドのレベルと人員からすればプログラミングが無謀すぎた。3部構成の3部に「アルメニア舞曲」を配したのだが、そこまでの負担が重すぎて”パートII”に入ったあたりから、奏者のスタミナが耐えられなくなる。アクシデントも少なからずあり、演奏はこれまで重ねた練習を確りと発揮したものとはならなかったのだ。
惚れ込んでいた「アルメニア舞曲」の出来に大きな不満が残ったことは、まだ”コドモ”だった私にはショックであり、大きな悔いとなった。選曲・演奏の責任者である学生指揮者としても大失敗だ -そうした自責の念もあって、私は演奏会が終わって打上げ会場に向かう段階で既にふさぎこんでしまう。
…今思えば、何という馬鹿だったのだろう。
学生指揮者としてあの時まず果たすべきことは、もちろん自責などではなかった。自分の熱意につきあい、ついてきてくれて、共に練習を重ねてきたメンバーたちへの感謝と労いを心から示すこと、そして夫々に想いを込めた準備を経て「本番」を共有できたことを喜びあうこと-。
それしかなかったはずではないか!
♪♪♪
あの演奏会が終わり、何ヶ月か経った頃だっただろうか。同期メンバーが集まり我々の演奏した「アルメニア舞曲」の録音を聴いていると、誰かが呟いた。
「まあ、(演奏の)出来は良くないけど、俺たちがやろうとしてたことは判るじゃん。」
全くその通りだ。あの時あの瞬間に「”我々の”アルメニア舞曲」は確かに存在した。努力は未だ不充分だったかもしれないが、我々の想いと重ねてきた練習、個性がこもった演奏がそこにあった。そのことを、率直に喜ぶことも大切だったのだ。それに気付き、私はまた別の意味で苦い思いを重ねることとなってしまった…。
この想い出は、「アルメニア舞曲」がくれたあの輝きに満ちた音楽の悦びと表裏一体になって、今も私の心に深く刻まれている。
マナティー・リリック序曲
Manatee Lyric Overture
R.シェルドン (Robert Sheldon 1954- )
瑞々しく、爽やかな印象の素敵な序曲である。要求する演奏技術のレベルは抑えながらも、音楽としての魅力を充分に発散する重要なレパートリーだ。作曲者ロバート・シェルドンは米国フロリダ州を拠点に音楽教育に永年注力してきた人物だが、吹奏楽界に非常に多くの愛すべき楽曲を提供しており(作曲者HPの作品リストに所載のもののみでも160曲を超える)、その活躍は既に”全米”を超え国際的なものとなっている。
「フォール・リヴァー序曲」「ダンス・セレスティアーレ」「メトロプレックス」「ロングフォードの伝説」「飛行の幻想」などが代表作として挙げられるが、明快で演奏効果が高く(”演奏効果が高い”とは聴き手への訴求力が強く、キャッチーということである)、かつモダンな曲想を備えた作品ばかり-多作なのに”ハズレ”のないその手腕は刮目すべきものだ。
私もシェルドンの作品は大好き!接するたびに、演奏技術的にも音楽的にも”無理”がないことや、それでいて楽曲ごとにアイディア・創意工夫というものが確りと盛り込まれていることが感じられて、嬉しくなってしまう。
マナティー・リリック序曲はそんなシェルドンの名声を確立した作品で、フロリダ州マナティー郡のシヴィック・センター※の落成を祝い、1985年に委嘱作曲されている。
※現在の正式名称はManatee Convention & Civic Center。4,000席を
擁する多目的アリーナとコンヴェンション・センターを持ち、地元バスケ
ットチーム(Florida Stingers)、及びインドア・アメフトチーム
(Florida Scorpions)の本拠地ともなっている。
マナティー郡のその名は、フロリダ州の河口から沿岸に分布するアメリカマナティー(人魚のモデルとも云われる海獣「マナティー」の中でも最大種のもの)に因んだものとのことだが、この曲自体は海獣の「マナティー」と直接関係なく、標題音楽としての意味はまずない。
それでも、まさに抒情的(リリック)でロマンティックな曲想から、この曲を聴いてフロリダの美しい自然、そしてそこで悠々と暮らすマナティーたちの姿を想起したとしても、決してまずくはないであろう。
♪♪♪
楽曲は、急-緩-急-コーダの典型的な序曲形式。
Con spirito(4/4拍子、♩=144-160)のビート感にあふれた快活な序奏に続き、Trumpet&Tromboneがユニゾンで主題を提示して開始する。(冒頭画像参照)華やかな音色でリズムを刻むXylophoneをはじめとした打楽器の活躍と、Horn(+T.Sax)の実に効果的なカウンターには、思わず胸が躍ってしまう。スピード感は維持しつつ、旋律は木管に受け継がれこの上なくしっとりと歌われる。シンコペーションがモダンな印象を与える金管群の鮮やかなファンファーレ風楽句でダイナミクスを拡大し、さらに視界が開けて爽快なサウンドが響きわたる。
Trumpet3本による印象的なハーモニーに導かれて安寧なブリッジ(Gently♩=72)となり、いよいよ中間部(3/4拍子、Moderato♩=92)に入り、Trumpetソロが現れる。…このソロが何ともいえず、いい!この中間部では、旋律の抒情性がファンタジックなサウンドに包まれて、ますます深められていくさまが堪能できる。そしてその抒情性は寄せては返す波の如く、音楽的に抑揚を付されて聴く者に迫ってくるのである。
チャイムが穏やかに打ち鳴らされ、ややテンポを上げた(Andante♩=120)ブリッジへ。音楽が徐々に徐々に遠くから近づいてきてスケールを拡大し、遂にはじけるその瞬間はまさに”スプラッシュ!”
瑞々しい曲想が戻ってくると、ほどなく金管群が朗々と中間部の旋律を呼び戻す(3/2拍子)。ここで快速部のリズムをスネアが刻み、ポリリズムとなっていることも見逃せない。これに続いて冒頭が再現され、最後は堂々とした足取りのコーダとなって低音部が朗々と旋律を奏で、曲を締めくくる。
まさに明快、爽快!聴後感の良さは申し分ない。
♪♪♪
私の所属した大学の吹奏楽団には全くの初心者も結構いた。2年後輩でTrumpetのI君もその一人である。中高生のクラブとは違い、毎日毎日練習する楽団でもなかったから、半ば強制的に上手になっていったり、吹奏楽にのめりこまされるわけではない。中学からTromboneを抱え馬鹿みたいに熱中してきた私には、大学から楽器を始める人の楽器や音楽に対する”感じ方”が実感できなかった。
だから、上達に苦労していたI君が「買っちゃいました~。」とBach(しかもSilver !)を持ってきた時には、率直にほぉーっと驚いたのである。同時に、彼の中で楽器そして我がバンドというものが、それなりの位置を占めていることが判って、同好の士として嬉しく思った。
そして彼らが幹部の年、OBとなって定期演奏会のリハーサル(当時は大阪勤務で、本番には来れなかったので…)を見に訪れた私は、とにかく感動した。
-I君が「マナティー・リリック序曲」のあのソロを、堂々と吹いていたのである!
休憩時間に入り、I君に「やったな、立派だぞ!」と声を掛けると、彼は満面に笑みを浮かべて「ありがとうございます、何とかソロをやれるまでになりました!続けてて良かったっす。」と語ってくれた。
(そもそも彼はとってもいいヤツで、童顔に浮かぶ笑顔が抜群に可愛い男だった。^^)
音域的にも無理のないこのソロは、大学初心者の彼にとって好適だったわけだが、彼の同期たちがこの曲を選び、彼にソロを吹かせようとした-その想いが即座に判って、私にも嬉しさがこみ上げてきた。それに応え準備をしてきたI君の姿も想像でき、それがまた良かった。
これぞ、アマチュアが音楽をやることの醍醐味だよなあ、と実に感慨深い。
I君にとっても「マナティー・リリック序曲」は、きっと一生の思い出の曲になってくれたと思うのである。
♪♪♪
音源は以下をお奨めする。汐澤 安彦cond.
東京アカデミック・ウインドオーケストラ
終始よくまとまったサウンドで演奏され、フレーズのつながりも音楽的。スネアにもう少し明晰さがほしかったが…。(録音のせいだろうか?)フレデリック・フェネルcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
場面ごとのコントラストが鮮やかで、切り替えも早い。生気にあふれた演奏である。フェネルの優れた演出はこうした小品でも見事に活きている。
【その他の所有音源】
汐澤 安彦cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
真っ直ぐな道を
In Rechet Baan !
J.ヴィッヒェルス
(Johan Wichers 1887-1956)
高まり続けるワクワク感…。それとはうらはらに、客席のライトが落ちたと思ったら、あっけないほど直ぐに緞帳は上がってしまう。そして、眩いステージの光景が目に入るや否や、輝かしいマーチが始まった!
するとさっきまでの”ワクワク”が”ウキウキ”に切り替わり、私はあっという間に音楽に吸い込まれていく-。
生まれて初めて聴く「コンサート」。小学生まで音楽に興味がなく、中学校に上がってから吹奏楽部のTromboneで音楽教育を受けた私にとってのそれは、やはり吹奏楽だった。1977年冬、兄の在籍する大学バンドの定期演奏会を福岡まで聴きに来ていた中学1年生の私である。
そしてその記念すべき第1曲こそが、行進曲「真っ直ぐな道を」であった。
♪♪♪ヨハン・ヴィッヒェルス※1は”オランダのマーチ王”と称される作曲家。ドイツに生まれ、ドイツ軍楽隊の在籍経験もあるヴィッヒェルスは、第一次世界大戦後にオランダに移住し、そこから作曲家としての活動を本格化させたのだという。最初のマーチを作曲したのは1928年=41歳の時であり、以来生涯で69曲に及ぶマーチを遺している。
代表作として「メディチ」(Mars der Medici : 医師の行進曲)「ご無事で!」(Gluck Auf !)などが知られるが、”癒し系マーチ”とも評される※2その作風は、純朴さや豊かなスケール感のある悠々としたもので、独特の個性を持っている。
※1 Wichersの日本語表記は定まっていない。「ウィヒェルス」「ウィッヘルス」
の他、「ウィチャーズ」との英語的発音表記もあるが、オランダで実際には
どのように発音されているかが不明なのである。(蘭日辞典から推定すれ
ば「ヴィクサーズ」もあり得るか。)本稿では「MBレコード」の渡辺オーナー
が使用されている「ヴィッヒェルス」を採った。
また”In Rechet Baan !”の標題邦訳もまちまちで、「まっすぐに」「真っ直ぐ
な道で」」「真っ直ぐな道に」などがあり、このことは音源検索などの足枷と
もなっている。
※2 参考・出典サイト :「JO-JO マーチの夢。」
本邦で唯一ヴィッヒェルスについて詳しい記述のあるサイト。スーザ、ブラン
ケンブルクについても詳述があるが、それに止まらず”マーチ”とその魅力
について幅広く触れられている。管理人さんのマーチに対する熱い、或いは
暖かい想いがいっぱいに詰まったHPである。
♪♪♪
この「真っ直ぐな道を」も、ヴィッヒェルスの傑作である。
堂々としたサウンドと上向型の楽句が、実にポジティヴな印象の序奏。(冒頭画像参照)続く第1マーチからして悠然としてスケール豊かな音楽で始まる。これを受け金管中低音が奏する第2マーチも実に野太く、スケールが大きい!
それでいて、どこか愛らしさにも包まれているのが、ヴィッヒェルスの素晴らしい個性であろう。
トリオではEuphonium(+Cl.)に旋律が移り、また悠々と進んでいくが、木管の応答による可愛らしいオブリガートも見逃せない。それが小気味良く高揚して、3連符が特徴的なクライマックスのフレーズが高らかに奏される。
3連符によって高まったダイナミクスとテンションが、次の瞬間にはふわっと緩んでより幅広い音楽となるさまに、すっかり魅了されてしまう。
最後は旋律にファンファーレ風のカウンターが応酬する終結部となり、あくまで悠々たる音楽のまま曲は閉じる。
♪♪♪
生まれて初めて行ったコンサートで聴いて以来、その演奏のライヴ録音はあったものの、永らくそれ以外で「真っ直ぐな道を」を耳にすることができなかった。音源を求めて探し続けたがどうしても見つけられず、私は遂に「MBレコード」の門を叩く。
この”軍楽隊音源の楽園”にて、渡辺オーナーに「実際、曲名をどう発音すればいいのかも判らないんですが、大好きな曲で…。”いん・りひと・ばーん”(?)というマーチの録音を探しているんです。」とお尋ねしたところ、何と即座に「ああ、ありますよ。」とのご返事!
「最近、CD化もされたんですよ。この曲でしょう?同内容でLP版もあります。私はLPの音の方が好きでしてね、LPを聴ける環境をお持ちでしたらLPの方をお奨めしますが…。」
と丁寧にご説明いただいた。渡辺オーナーの仰ることはよく判り、後ろ髪を引かれる思いもあったが、直ぐにでも聴きたいので…と私はCDを選択したのだった。
-こうして大好きなこのマーチと再会できたのが2003年頃だったと思う。実に四半世紀ぶりであったが、これもひたすら渡辺オーナーのおかげであり、改めて心から感謝申し上げたい。
そのCDが、こちら。アン・ポスチューマスcond.
オランダ陸軍軍楽隊
マーチ12曲を収録したヨハン・ヴィッヒェルス作品集。充実したサウンドで、悠々たるヴィッヒェルスの世界を堪能させてくれる。
尚、兄の大学バンドはこの録音より早めのテンポで演奏していたが、それはそれで溌剌として良かったなぁ…と思う。このマーチは懐の深い楽曲なのである。
【その他の所有音源】
山田 哲朗cond. 海上自衛隊東京音楽隊 (表記題名:「まっすぐに」)
SHURE SE535 V-J (2011.4.16.)
買ってしまいました!
私の酷使に耐えてきた同じSHUREのSCL4が遂にヘタってきましたので(ケーブルのドライバユニットの接続部がボロボロに…。)思い切って評判高き高級機種・SE535を購入したのです!
※ SHURE社 HP
結構高いので、夏のボーナス払いです。
しかし、それだけの価値はあります!透明感のあるクリアな音、低音から高音まで滑らかにつながる感じはSHUREがまた進化したことを感じさせますね。
-大満足☆
時間的制約・住環境的制約から、音楽鑑賞においてiPodとイヤホンへの依存度が極めて高い私にとっては、やらねばならない設備投資なのでした。
「音源堂」の”商売道具”ですからね♪
リートニア序曲
Leetonia Overture
ハロルド・L・ワルタース
(Harold Lawrence Walters 1918-1984)
今となってはまさに”レトロ”な用紙と印刷- 私と同世代かそれ以上の年代の吹奏楽経験者だと、そんなRubank社の(或いは日本版=共同音楽出版社の)譜面の数々にお世話になった方も多いと思う。「リートニア序曲」(1957年)の作曲者ハロルド・ワルタース※はアメリカ海軍軍楽隊のテューバ奏者・アレンジャーを経て自立し、後にこのRubank社専属となった作編曲家で、送り出した楽曲は1,500曲にのぼるともいわれる。
その盟友ポール・ヨーダー(Paul van Buskirik Yodar 1908-1990)とともに1950-1970年代の吹奏楽レパートリーを支え、現在の吹奏楽隆盛の礎を築いた功労者の一人であり、その作品は本邦でも広く演奏された。
技術的には平易でかつ安定感のあるサウンドを持ち明快なその音楽は、常に教育的見地に立ったものと云えるが音楽の本質に適ったものばかりであり、聴いていてもとても愉しい。
※英語の発音としては”ハロルド・ウォルターズ”あたりが適当と思われるが、
本稿では永く慣れ親しまれた”ワルタース”を採用している。本邦では”ワル
ターズ””ワルター”といった表記も見られる。「ジャマイカ民謡組曲」「日本民謡組曲」「マリアッチ」「西部の人々」「コパカバーナ」「ジャングルマジック」「フーテナニー」「インスタント・コンサート」…アメリカのみならず全世界の民謡やリズムが吹奏楽曲になっており、実にヴァラエティに富む。そこにはワルタース自身の幅広い音楽的興味とともに、おそらく”若い奏者たちをさまざまな地域のそれぞれ個性ある音楽に触れさせたい”という思いがあったに違いない。
(上画像:アメリカ第5陸軍バンドとレコーディング中のワルタース)
♪♪♪
「リートニア序曲」はワルタースの作品中、最もがっちりとした骨格と充実したバンド・サウンドを持つ楽曲で、彼の代表作の一つと云えるものである。
作曲の経緯等を詳しく示す資料は見当たらない。かつては「ギリシャ神話に由来するのではないか」との説もあったが、実際にはアメリカのオハイオ州コロンビアナ郡にあるリートニア村(標題に同じ Leetonia)と関係していると考えるのが自然である。おそらくワルタースはリートニア村自体、或いはこの村で活動するバンドから作曲委嘱を受けたのであろう。
北アメリカ”五大湖”の一つであるエリー湖に接し、北側にカナダを望むオハイオ州-その東北部に位置するリートニア村は、南北戦争直後の1869年に創設されている。史跡と自然に恵まれた、人口2,000人(2000年時点)ほどの村だそうである。
※リートニア村HPはこちら。尚”リートニア”とは、かつてかの地にあった製鉄・
製炭会社の創業者の名に因んだものとのこと。
♪♪♪
スケールの大きなMaestosoの序奏(冒頭画像)に始まり、直ぐにAllegro con brioの主部- Euph.(+木管低音)とCornetが掛け合う真摯な表情の第一主題だ。これが2度繰返されると、長調に転じ快活で勇壮な低音群の主題に引き継がれ、前半のクライマックスとなる。
そして続く中間部のWaltzがとても愛らしく、美しい!
Clarinet低音の豊かな音色を巧みに活かしており、このことはClarinetが伴奏に回った途端に一層強く感じられる。
夢見るようなワルツが終わり再び険しい表情を挟むと、今度は憂いに満ちた旋律が木管楽器に現れ、Euph.(+ T.Sax, Fag.)の対旋律とともに存分に歌う。
この旋律が長調に転じ金管群によって高らかに奏され、遂に全曲のクライマックスへ。サウンドに濃厚さを増し、堂々たる足取りのコーダで曲を閉じる。
♪♪♪
形式・手法とも常套的な作品だが、優美だったり溌剌だったりと豊かな表情を持つ旋律を備えており、且つ確りとした聴かせどころを有した佳曲である。
音源は朝比奈 隆cond. 大阪市音楽団
をお奨めする。
明確な構成の、メリハリが効いた好演で各楽器の音色配置や場面場面の表情の変化なども丁寧に演奏されている。
【その他の所有音源】
山田 一雄cond. 東京吹奏楽団
♪♪♪
当時あれほど愛されたワルタースの作品だが、その数の多さとはうらはらに、録音は非常に少ない。その希少な録音の中で、代表的なものにも触れておこう。ハロルド・ワルタース
& B. G. クックcond.
アメリカ第5陸軍バンド
本人の吹奏楽作編曲家生活25周年を記念した”ワルタース作品集(LP)”。
「マリアッチ」「日本民謡組曲」「ジャマイカ民謡組曲」「リングマスター・マーチ」の自作自演を含む、全11作品を収録。指揮者不詳
ザ・グレート・アメリカン・
メインストリート・バンド
”サーカス音楽の100年”と題されたこのアルバムには「コパカバーナ」を収録。これはサンバのリズムによる愉快な小品で、サーカスでのジャグリングを想起させる楽曲。
この他にもサーカス音楽を多数収録しているが、”サーカス音楽”もまた吹奏楽の一形態だったことを、改めて感じさせる一枚。成田 俊太郎cond.
航空自衛隊南西航空音楽隊
おそらくワルタース最大のヒット作である「インスタント・コンサート」を収録。本作はクラシックの名曲から民謡から、さまざまな30曲※を3分間にとにかく詰め込んだもので、くるくると目まぐるしく曲が変わるそのさま=音楽的ユーモアには脱帽である。
※メドレー楽曲:「instant_concert_contents.jpg」をダウンロード山田 一雄cond. 東京吹奏楽団
過去LP3枚で発売されていた音源を復刻CD化!「西部の人々」「ジャマイカ民謡組曲」「リートニア序曲」「フーテナニー」の4曲を1度に聴くことができる。
♪♪♪
あの頃吹奏楽部の部室に備えてあったワルタースの作品は、ヨーダーの作品(例えば”Dry Bones”とか)や兼田 敏によるYBSブラウン/グリーンシリーズ(”ピクニック””草競馬”など)と並んで、まさに奏者たちが演奏を楽しむためのものだったと思う。
もちろん行事で用いたり、曲によってはコンクールで演奏されるものもあったのだが、それ以上に奏者自身が”棚から一掴み”的に、「今日は、これ演ってみっかー!」というノリで取組む位置付けの楽曲でもあったと思うのだ。
-あれは、ある意味で最も音楽的な活動だったのかもしれない。
ウェールズの歌
Songs of Wales
Suite in Three Movements
A.O.デイヴィス
(Albert Oliver Davis
1920-2005)
I. Hen Wlad fy Nhadau
- Morfa Rhuddlan
II. Mentra Gwen
III.Hob y Derry Dando
- Codiad yr Hedydd
- Cwm Rhondda
他ジャンルと比較しても、吹奏楽曲に於いて世界各地、或いは自国に伝承された民謡・民族音楽を題材とした作品は非常に多い。しかも楽曲の一部に民謡を取り入れるにとどまらず、全面的にフィーチャーされているものが多いのもその特徴である。
これは、作曲にあたり音楽上の”新鮮な”興味を(古の自国文化も含めた)異文化たる民謡・民族音楽に求めていった結果だろう。歴史が浅く「現代音楽」の一形態でもある吹奏楽に於いて、これまでに存在する楽曲に対峙し得るそうした”新鮮な”興味(=オリジナリティ)を一から創作することはなかなかに難しいという現実があるからと推定されるのだ。更に
・グローバリゼーションと情報化の進展が”異文化”
との接触やそれに対する興味の深化、そして”異
文化”に関する資料の入手を容易にしていったこと
・吹奏楽には教育的見地に立った作品が求められる
側面があり、その題材として世界各地の民謡・民族
音楽、伝承された自国独自の音楽は格好のもので
あったこと
・委嘱された際に作曲者が委嘱者の”ご当地”音楽を
取り入れる傾向があること
などが、これを後押ししたとも云えよう。
「ウェールズの歌」はこうした数多い民謡・民族音楽を全面的にフィーチャーした吹奏楽作品の中でも、屈指の傑作に挙げられる。
♪♪♪
作者アルバート・オリヴァー・デイヴィスは米国オハイオ州クリーヴランドを拠点に活躍した作編曲家で、バンド教本の名作”First Division Band Method”編者の一人として知られる。「万霊節」(R.シュトラウス)をはじめとしたクラシックアレンジ、「ファンファーレとジュビリー」「パームハーバー・マーチ」などのオリジナル曲のほか、「エリザベス女王時代のキャロル」「スコットランド民謡組曲」「フランス民謡組曲」「ライン地方民謡の祭典」といった民族音楽を題材にした楽曲など、Eric Hanson(ペンネーム)名義で書かれたものも含め400曲を超える作品を遺した。
安定した手腕で定評のあるデイヴィスだが、「ウェールズの歌」はその代表作として愛されてきた作品であり、標題通り英国ウェールズの民謡・古謡を吹奏楽にアダプトしたものである。
♪♪♪
ウェールズはイギリス=グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland : 略称 U.K. )の構成国※の一つであり、グレートブリテン島の南西部を占める。(冒頭画像参照)本邦の四国より一回り大きなその面積(20,761km2)はイギリス全土の8.5%にあたり、また人口(2,921千人)はイギリス総人口の4.7%である。
※イングランド、スコットランド、北アイルランド、そしてウェールズの4ケ国。
海外領土や、英国王室属領であるマン島・チャネル諸島は連合王国
自体には含まれない。南をブリストル海峡、西・北部をアイリッシュ海に接し、温暖多湿な気候のウェールズは、カンブリア山脈を中心とした高地とムーア(背の低い草木の茂った水捌けの悪い荒地・沼沢地)とで国土の2/3を占めるが、南部の低地や主要河川沿いは肥沃な土地で、農耕が盛んである。
山地や渓谷、或いは海岸が織り成す自然、郷愁に満ちた農村風景、また13世紀を中心に多く建造された古城の佇まいなど、いずれも絵画のように美しいさまざまな景観に恵まれている。
※左上:カーディフ城 右上:ウェールズの美しい海岸
左下:コンウィ川に架かる石橋 右下:スノードニア山
20万年以上前に原始人が生活していたことが判明しており、紀元前2000年までには現在のドイツから渡って来た青銅器文明を有する民族が定住するようになった。ビーカー族(小型の器=ビーカーを死者とともに埋葬した部族)や巨石文化を有した部族がその代表であり、ウェールズには多くその遺跡が見られる。
現在のウェールズへと繋がる著変は、紀元前300年頃に鉄器文明を擁してこの地を征したケルト人の登場である。1世紀から5世紀初までローマ人の侵略・属州支配を受けこそしたが、ローマ支配の崩壊後は他民族からの相次ぐ侵略から防衛するためにケルト人は団結し、幾つかの強い王国を分立させて外部勢力に対抗していた。
特にケルト王国とアングロ・サクソン領土(イングランド)側との対抗関係は続き、この状況を反映して8世紀にはアングロ・サクソン側のマーシャ王国が「オッファの防壁」を作り、ケルト王国との境界を定めている。この頃、英語の母体となったアングロ・サクソン側の言葉で同防壁の西側(ウェールズ側)の人々を指すようになった「外国人」という意の言葉-それこそが”Wales”なのである。その後もイングランドやヴァイキングからの侵略を受けたウェールズだが、懸命の抵抗と外交努力によってギリギリの自治を守り、独自の法律・言語・芸術を維持し続け、民族の個性を保っていったのだった。
しかしそのウェールズも遂に1280年代、イングランドを収めたノルマン人の王・エドワードI世※の手中に落ちることとなる。
※エドワードI世がウェールズ併合後、世継を身籠った王妃をウェールズ領内
のカーナヴォン城に連れて行き、そこでエドワードII世を出産させてこの王子
に”プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)”の称号を与えた(1301年)
エピソードも有名。これはウェールズ人にエドワードII世を”ウェールズ生まれ
の”支配者として受け入れさせ、反抗を抑えようと腐心したものである。
以来、イングランド次期国王(=イギリス次期国王)がプリンス・オブ・ウェール
ズとなる慣例は現在も続いている。
イングランドに併合された後のウェールズにとっては、ヘンリー・テューダーがイングランドの内戦たる薔薇戦争(1455-1485)で最終的に勝利し、テューダー朝の始祖=イングランド国王ヘンリーVII世として即位したのが大きな出来事だった。
ウェールズ王家を父方の祖先に持つヘンリーVII世は、ウェールズ人の軍隊を自軍に合流させることで相手側を打ち破り、薔薇戦争に勝利することができたわけで、王となってからもウェールズのことは忘れず、ウェールズの復権に意を尽くしていった※のである。
※ウェールズはそれまでイングランドから圧迫され続け、特にこれに反発した
「グリンドゥアー(Owain Glyndwr)の反逆」が鎮圧されて以降は、さまざまな
厳しいウェールズ人の権利制限が行われていたのだが、ヘンリーVII世に
よって政府内要職にウェールズ人が就くようになり、更に次王ヘンリーVIII世
の時代には、権利制限の緩和が実施されるとともに、ウェールズは13州に
再編され、イングランド議会へその各州から代表を送ることも認められたの
であった。
以上のような歴史的経緯の中、イングランド-ひいては連合王国(U.K.)への併合がスコットランド・北アイルランドと比較して早かったにもかかわらず、ウェールズは”不屈の精神”によって独自の文化を守ってきたと評されている。現在でもウェールズ人はケルトの祖先に誇りを持っており、ケルトの祝祭は大勢の人手で賑わい、子供にはケルトの英雄に因んだ名がつけられることも多い。ケルト語から派生したウェールズ語※を守り、前述のようにアングロ・サクソン側が「外国人=Wales」と呼んだのに対し、自国のことはCymru(カムリ)と称する。領内では道路標識もウェールズ語が併記されているのである。
※1967年からはウェールズ語の教育も再開され、公用語にも制定されて
現在に至る。現在も約20%の国民がウェールズ語も使うという。
尚、連合王国旗(Union Flag)とは別にイギリス国王から認められたウェ
ールズ国旗(上掲)には、赤い龍が描かれている。ブラスバンド/吹奏楽
曲の傑作として名高いフィリップ・スパークの”The Year of the Dragon”
のDragonとは、この赤い龍を指している。
そして、ウェールズが守り続けてきたケルトの流れをくむ文化の中でも特筆されるのが、まさに「音楽」。ウェールズではその年最高の吟唱詩人・音楽家・歌手を選ぶナショナル・アイステズボッド(National Eisteddfod)という音楽・詩・舞踊の祭典が毎年行われているが、そのパフォーマンスも全てウェールズ語で行われるという。(上画像参照)
この祭典は少なくとも12世紀以前に発祥した吟唱詩人コンテストを起源としている。その当時からウェールズで愛されてきた歴史的な楽器はハープであり、常に吟唱詩人とともにあったとのことである。
【参考・出典】「目で見る世界の国々47 ウェールズ」
メアリー・M・ロジャース 著 桂 文子 訳
(国土社 1997)
ウェールズが総攬できる1冊。まずはこれを読んで
おきたい。
ヴィジュアル的にも楽しめるようになっており、非常
に判り易い。「ウェールズ イギリスの中の”異国”を歩く」
田辺 雅文 著 旅名人編集室 編
(日経BP社 2005)
”大自然と住民が調和し、共存したウェールズの
魅力”(本文より)がいっぱいに詰まっている。
収録された景観はどれもどこか懐かしく、そして
実に美しいものばかりであり、ウェールズを訪れ
たくなること請け合い!
「図説 イギリスの歴史」 指 昭博 著 (河出書房新社 2002)
「図説 イギリスの王室」 石井 美樹子 著 (河出書房新社 2007)
「イギリスを知るための65章」 近藤 久雄・細川 祐子 著 (明石書店 2003)
♪♪♪
このように伝統ある豊かなウェールズの音楽を題材にして、楽曲にその美しく魅力あふれた旋律をいっぱいに詰め込んだ作者デイヴィスは
「ウェールズの丘、そして谷- 世界で最もメロディアスな民謡の多くが、そこから生まれた。豊かな歌唱の伝統に恵まれて、ウェールズの人々は卓越した歌唱法を身につけている。”ウェールズの歌”に登場する正格旋法※による旋律は、最上の民謡から選りすぐったものである。」
とのコメントをスコアに寄せている。
※正格旋法
初期の教会旋法による旋律は1オクターブ以内に収まるよう作られている
が、その中で終止音から1オクターブ上の終止音までの音域を用いる旋法
をいう。終止音の5度上を属音(ドミナント)としており、「変格旋法」と比較し
高い音域で歌われるものである。
「ウェールズの歌」はデイヴィスが計6曲のウェールズ民謡を選びこれを3つの楽章にまとめたものであるが、まずもって選曲からして大成功している。デイヴィスのウェールズ音楽への愛着はとても強かったようで、この曲とは別に「ウェールズ民謡組曲」(Welsh Folk Suite)を編んでいるのだが、これと比較しても「ウェールズの歌」に収められた曲がまた一段上の魅力ある旋律を持つ、まさに選りすぐりのものであることがお判りいただけることだろう。
各ウェールズ民謡については、内容や背景・原曲の姿に迫るべく別ファイル※に詳述したのでご覧いただきたいが、度重なる侵略からの防衛の歴史に曝されてきたことを反映してか、愛国の想いや郷土への愛着を歌うものが多い。神や王家への讃美も見られるが、これらも民族性を強く反映したものであるから、全編に亘りウェールズ人としてのアイデンティティを色濃く示すものばかりと云える。
※「ウェールズの歌」の原曲たち
第1-2楽章登場曲 : 「6_songs_part1.doc」をダウンロード
第3楽章登場曲 :「6_songs_part2.doc」をダウンロード
それでは楽章を追って、楽曲の内容を見てみよう。
Ⅰ. ウェールズ国歌”我が父祖の地”-リズランの湿原クラリネット群のふくよかな音色で歌い出すウェールズ国歌(Moderato ♩=96)はこの楽曲のオープニングとして洵に相応しい。
(「ウェールズの歌」全体を通じて云えることだが)デイヴィスが素朴な原曲をより音楽的に純化し、魅力を高めているのは見逃せないところである。
木管から金管への遷移、チャイムを初めとした打楽器の効果的な使用により色彩を巧みに変化させ、またカノン風のモチーフの積上げなどを用い、穏やかにしかし確実に音楽を高揚させているのが見事。楽器用法としてはソロによるカウンターなどに見られるEuphonium(Baritone)の活躍が印象に残る。
47小節からテンポを速め(Andante ♩=136)一層感傷的な「リズランの湿原」に入る。この歌い出しでもClarinetの美しい音色が生かされ、統一感も醸成されている。第1楽章に現れる両曲ともが命を賭してウェールズを守らんとする愛国の決意を歌った曲であり、77-78小節あたりのクライマックスでは決然としてやや強ばった表情が求められて然るべきであろう。
曲は再び穏やかなウェールズ国歌が戻ってきて、鐘の響きとともに安寧を湛えつつ締めくくられる。
II.挑まれよ、グウェン
原曲には2種類の内容の異なる歌詞があり、軽妙なテンポで演奏されるヴァージョンもあるが、ここでは悠然として優しい音楽(Andantino ♩=92)となっている。何といっても、6小節の前奏が素晴らしい!
小節内のcresc.・decresc.で印象的に歌うFlute+Oboeの清らかな音色に始まり、楽器が加わって表情を緩めながらスケールを大きくしていくさまは、デイヴィス渾身の出来映えと思う。すっかりその世界に惹きこまれてしまうのだ。
美しくどこか懐かしい旋律を、寄せては返す波のように抑揚と対比を見せながら、編み上げてゆく。デイヴィスからは「注意深く、オルガンの如きサウンドのクオリティを持って演奏してほしい。」との要求もあり、この楽章は敬虔なイメージのある音楽に成す必要があるだろう。終盤のクライマックスで高らかに歌い上げフェルマータとなった後、遠く聴こえてくるClarinetの低音(52-53小節)がまた…何とノスタルジックなのだろう!
これにHorn、Fluteと応答し懐かしさがこだまして、最後はOboeソロが終う。
III.ホビ・デリ・ダンド-あげひばり-ロンザの谷
掉尾を飾るのは吹奏楽曲らしく”マーチ”。2/2拍子 Allegro Marcia、テンポ108の快活な終楽章だ。デイヴィスからは「一定のテンポで演奏してほしい。最後はラレンタンドしてもOKだけど、少しだけね。」との指示である。序奏に「ホビ・デリ・ダンド(Hob y Derry Dando)」、21小節目からの第1マーチに「あげひばり(Codiad yr Hedydd)」、39小節目からのTrioに「ロンザの谷(Cwm Rhondda)」を使用してマーチに仕上げるというアイディアと巧みさが凄い!まさにデイヴィスの優れた構成力・編曲手腕が発揮されている。
打楽器ソリに導かれて始まる序奏部の陽気さには、誰もが気分をぱあっと明るくするだろう。輪をかけて快活さを増した第1マーチでは木管楽器のオブリガートが印象に残る。続くTrioは素朴な旋律がTrombone(+ Baritone)によって朗々と奏でられる。Trumpetのファンファーレ風のカウンターも加わり厚みの増したサウンドとなって終幕へ向かって行き、最後は大げさにクレシェンドする打楽器ソリで4/4拍子のコーダ(77小節)に突入、木管楽器の奏でる16ビートに乗り、エネルギッシュにして堂々たるエンディングを迎える。
♪♪♪
素材であるウェールズ民謡の原曲自体ももちろん素晴らしい。しかし重ねてになるが、その素材を料理してより音楽的に次元の高いものへと成しているデイヴィスの創意工夫と手腕には感心するほかない。センスの良さはもちろん、並々ならぬ熱意も感じられて已まないのだ。
結果として「ウェールズの歌」はとても音楽的で、多彩な表情を持つ名作となった。難易度は決して高くはないだろう。しかし、この曲を安易な演奏で片付けてほしくはない。コンクールで演奏される機会は少ないと思われるので、そこから離れて広く末永く、愛奏されてほしい作品である。
音源は多くない。私としてはやはり汐澤 安彦cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
の演奏を推す。
この曲の持つ抽斗を的確に把握しており、現れる多彩な表情をそれぞれに相応しく表現している。音楽的興味を満たしてくれる好演である。
【その他の所有音源】
小澤 俊朗cond. 東京シンフォニック・ウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
汐澤 安彦cond. 東京吹奏楽団
(Revised on 2012.7.8.)
Fostex / HP-P1 ALO Audio / IPOD-USB (2012.2.26.)
…またもやってしまいました☆
音楽を聴くことは私にとって最高の悦び、そしてさまざまな音源を聴きまくることは「音源堂」のライフワーク -従って、出来る限りイイ音で聴きたいのは当然なのであります!
そんな私ですが、時間的・物理的そして家庭的制約から、もはやAudioは専らiPod頼みです。そこで迷った挙句、遂にポータブル・ヘッドホンアンプ(w/DAC)とハイスペックUSBケーブルの導入に踏み切ったのでした。
ポータブル・ヘッドホンアンプ:Fostex社 HP-P1
ハイスペックUSBケーブル:ALO Audio社 IPOD-USB持ち歩く時にはiPodと一まとめにして附属のキャリングケースで。(左画像)
iPod Classic 160GB + SHURE SE535 + HP-P1 + ALO Audio IPOD-USBのラインナップが完成し、実にイイ音なんです!
クリアで、音楽の息吹が感じられる「音」を、いつでもどこでも聴けるのです。「音源堂」の”商売道具”が漸く揃った感じ。これなら散財も惜しくはありません!
…次の夏のボーナスでもらえる”私の分”まで、完全に吹っ飛んでしまいましたけれど。^^;)
ミュージック・メーカーズ
The Music-Makers
-Concert Overture for Band
A.リード
(Alfred Reed
1921-2005)
吹奏楽のコンサート -その始まりに皆さんはどのようなイメージをお持ちだろうか?
私にとって真っ先に思い浮かぶ「オープナー」は生命感と輝きに満ちた楽曲だ。何といっても、吹奏楽が本質的に持っている”元気”というものが伝わってくる曲がいい。
そして指揮者としてもプレイヤーとしても、私の経験から言えば”よく鳴る”曲、サウンドが厚く伸びてくる曲がいい。渋い曲で始められないのは、多分に技量が足りず不安感が拭えないからなのだが、それを除いてもやはり客が入ってリハーサルの時とは音響も変容したホールでは、響きが試せる曲がいい。そして始まるや否や演奏者も聴衆も一気に高揚する=”ノれる”曲がいい。
例えるなら…たっぷりのサウンドで満ちた湯船に、服を脱ぐやいきなり飛び込むような、そんな感じで始められたら最高だと思うのだ!アルフレッド・リードはそんなイメージに合致した序曲や前奏曲をたくさん遺した作曲家である。中でもこの「ミュージック・メーカーズ」(1967年)はオープナーとして出色の出来映え。リードはほぼ終始快速に駆け抜けていく単一楽章のこの曲の中に、ダイナミックで輝かしいサウンドそして多彩な音色の変化を巧みに織り込んだ。それでいてシンプルであるがゆえの爽やかさと快活さを一切失わせてはいない。それこそがこの曲最大の魅力なのである。
リードは後年、規模や形式はもちろんのこと、音楽の喜びを主題とした点も同一の「ヴィヴァ・ムシカ!」(Viva Musica ! / 1983年)という優れたオープナーも作曲しているが、私の好みはよりシンプルなこの「ミュージック・メーカーズ」の方である。
♪♪♪
「この曲は2小節の導入に続くアレグロの単一楽章の形式を取っており、7つのモチーフによって組上げられているが、そのモチーフのうち1つだけが完全な旋律へと発展している。残りのモチーフは時に勇ましく、時に抒情的にと、絶え間なくその形・雰囲気・色彩を変えながら、輝かしいコーダへと高揚していく。
人生に求められる最も高邁なものに夢を馳せること、そしてその夢の達成に向けて精神を高めてくれる音楽の力- この曲は喜びをもってそれを謳い上げるものである。」
作曲者リードはスコアにこのようにコメントを記し、”We are the music-makers”の一節で始まるアーサー・オショーネシー(Arthur William Edgar O'Shaughnessy 1844-1881)の「頌詩(Ode)」冒頭部分を掲げている。もちろん「ミュージック・メーカーズ」は、この詩にインスピレーションを得て作曲されたものである。オショーネシーは大英帝国として繁栄を極めたヴィクトリア朝のロンドンに生まれ、大英博物館で翻訳の仕事に就きながら活躍したイギリスの詩人。
1874年に著した詩集「音楽と月光(Music and Moonlight)」に収録された「頌詩」はその代表作であり、かのエドワード・エルガーも本作を題材とした”The Music Makers, op.69”という合唱・管弦楽伴奏つきの歌曲を作曲するなど、多方面に影響を与えた名作として知られる。
※アーサー・オショーネシーのプロフィール:詳細近年でも1989年のアメリカ映画「いまを生きる」のナンシー・クラインバウム(Nancy H. Kleinbaum)によるノベライズ小説にこの詩が登場、強い印象を与えている。
同小説は白石 朗によって翻訳されており、以下に原文と白石訳による「頌詩」前半部分を掲げる。「頌詩」は全編に亘り美しい韻を踏み、とても音楽的なものとなっている。内容もリードが言及したように音楽の”喜び”とその”力”を信じ讃えるものであり、音楽に携わる者・音楽を愛する者に広く共感を抱かせるだろう。
※映画「いまを生きる」(原題 Dead Poets Society)
舞台は1959年のアメリカ。抑圧された日々を送る全寮制名門高校の
男子生徒たちの前に、型破りな国語教師が赴任してきたことから物
語は始まる。彼に”今を生きる”ことの大切さを気づかされた生徒たち
は、嘗てその国語教師が結成した詩の朗読会を復活させ…。
青春の夢と挫折、生と死を描いて真の”生きる意味”を問う。ロビン・
ウイリアムズ主演。
尚、映画本編には「頌詩」は登場しない。現れるのはノベライズ小説
の中のみである。内容的にはノベライズ小説の方が深みがあり、ス
トーリーの落とす陰影も深い。映画はこれを抑制しており、ロビン・
ウイリアムズの表情豊かな演技のおかげもあって、ストーリーの持つ
”闇”にも救いが生じている印象。
※「頌詩」 全原文 : 「ODE.jpg」をダウンロード
♪♪♪
Broadlyで奏されるTrp.+Trb.の4つの二分音符に続いてAllegro brillianteに転じ、決然としたTimp.の打込みに導かれて文字通り輝かしい音楽がほとばしる- 「ミュージック・メーカーズ」の鮮やかなスタートである。(冒頭画像)
一旦静まって、ギャロップ風の軽快な伴奏とともにクラリネットが歌いだす旋律は、思わず頬が緩む愛らしさだ。そしてこれに連なるOboe+Flute(+E♭Cl. or Muted Cor.)によるカウンターの瑞々しさがたまらない!
これがこの曲の白眉と断言したい。ふくよかだが爽快な楽句が”これしかない”という音色配置で奏されており、実に幸福な気分にさせてくれるのだ。
旋律が直線的なものに変わると、ここからはMuted Brass、Sax、スネアオフ・ドラムなど一層多彩な音色の変化とダイナミクスの変化が応酬され、耳を楽しませる。要所で響きわたる重厚なリード・サウンドが、楽曲に迫力と確りした重心を与えていることも見逃せない。
スネアオフ・ドラムのリズムが遠ざかって再び前半の陽気さが再現された後、各モチーフが重なり合い、応答を繰返して徐々に終盤へと放射状に高揚していくと、遂にギャロップ風のリズムが強奏され、拡大された旋律とともに渾然一体となるクライマックスへ!(上画像)
さらには全合奏によるモチーフとシンバルとのリズミックでダイナミックな掛合いに続いて、Hornがベル・アップし高らかに凱歌を歌うのだ。終結部では冒頭を回想させる濃厚なBroadlyを僅かに挟むが、すぐに一層勢いを増したAllegro moltoとなって、ベースラインとTimp.の奏でる快活なリズム
に導かれ、ハッピーで鮮烈なエンディングを形成し曲を締めくくる。
♪♪♪演奏はリードの自作自演が文句なしに素晴らしい。
アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
まさに”色とりどり”の多彩さと鮮やかなコントラストを描き、楽曲の魅力を存分に発揮している。
【その他の所有音源】
アルフレッド・リードcond. 洗足学園大学シンフォニックウインドオーケストラ
指揮者不詳 コールドストリーム・ガーズ軍楽隊
♪♪♪
吹き抜けた一陣の風の如く一気に駆け抜け、音楽の喜びを謳い上げるこの曲の聴後感はどこまでも爽やか。
この愛すべき素敵な作品に込められたリードの共感=”音楽の夢””音楽の力”を信じる想いを、私もずっと持ち続けていたいと思う。
インヴィクタ序曲
Invicta, Overture for Band
J.スウェアリンジェン (James Swearingen 1947- )ジェームズ・スウェアリンジェンは吹奏楽界に数多くの作品を提供している作曲家で、その楽曲は出版されたものだけでも既に160を超えている。所謂「教育的」な=若い世代が実際に取組み楽しめる、技術的にも内容的にも無理のない作品で占められているが、メロディアスで構成は明快、モダンなリズムを利かせた作風であり、聴く者・演奏する者の心をごく自然に捉えてくる。
1981年から1983年にかけ、CBSソニーから発売された「吹奏楽コンクール自由曲集」が“狂詩曲「ノヴェナ」”“インヴィクタ序曲”“チェストフォード・ポートレート”とヒット作を立続けに紹介したことで、日本でもスウェアリンジェンの人気がブレイク!以降、確実な書法による“スウェアリンジェン・スタイル”の作品を次々と送り出し、その人気は不動のものとなった。リズミックな急緩急の典型的な三部形式作品が多いが、“ロマネスク”や“ディープ・リヴァー”といった美しい旋律を持ったスローで穏やかな楽曲にも大きな魅力がある。
♪♪♪
インヴィクタ序曲(1981年)は、前述の通りスウェアリンジェンの典型的な作品にして、彼の人気を決定付けた出世作。親しみやすい旋律と、エキサイティングでモダンなリズム、そしてダイナミックな序奏部と終結部が印象的なこの曲は、米国オハイオ州にあるボーリング・グリーン州立大学バンドの指揮者、マーク・S.ケリーへの献呈作品として作曲された。
プログラム・ノートも「18年に及ぶ私の公立学校生活において、ケリー教授は私に対し教師としてのキャリア形成に資する指導を幾度もしてくれた。云うまでもなく、私の成功はケリー教授の有益なアドバイスに負うところが大きいのである。」というスウェアリンジェンの謝辞のみとなっている。
曲名Invictaはラテン語で「無敵」「不敗のもの」を意味する言葉だが、ケリー教授への謝意を示す作品である以上、ケリー教授の人となりを象徴する賛辞としての題名であろうか?或いはもしかすると“贈り物”の楽曲なので、ケリー教授のお気入りのブランド名(ダイバーウォッチ/男性用バッグ/スポーツカーに “INVICTA”の名を冠したブランドがそれぞれ存在する)に因んで名付けた、というあたりが実際のところなのかも知れない。いずれにしても直接的な標題音楽としての意味はまず無いと思われる。
♪♪♪さて「インヴィクタ序曲」をめぐっては定番の話題がある。
それは…第一主題が嘗て東京12チャンネル(現・テレビ東京)系で放送された時代劇「大江戸捜査網」(1970~1984年放送)※のテーマにそっくりという事実である!旋律線も、コード進行も、ビートも…。
同番組の放送終了から随分時間の経った現在では「大江戸捜査網」自体を知らない世代も多いから、必ずしもそうでもなくなっただろうが、私の世代以上なら直ぐに気付く。だから「インヴィクタ序曲」を初めて聴いたり、音出ししたりすると「これ、大江戸捜査網やん!」の声が飛び交うのだった。
※大江戸捜査網
松平定信の秘密組織である「隠密同心」の活躍を描くテレビシリーズ。1970年の放送
開始から前半は杉良太郎が主演を務め、後に里見浩太朗→松方弘樹と主演を移しな
がら1984年まで続いた人気作であった。時代劇らしく勧善懲悪の明快な結末に向かい
つつも、正義の味方に“隠密”という影のある密やかさを演出したところが特色。
悪との対決シーンの直前に、「隠密同心心得の条」として滔々と三度朗じられる
“死して屍拾う者なし”のフレーズはあまりにも有名。「大江戸捜査網のテーマ」を作曲したのは玉木 宏樹(1943-2012)。
ヴァイオリン奏者としての活躍を先行させた後、ヴァイオリン曲や映像分野の音楽で数々の作曲を遺した音楽家だ。
生前のコメント・文章を読むと、実に幅広い音楽に興味を持って楽曲を聴きまくり、また研究して深い造詣を持っていたことが窺える。
「大江戸捜査網のテーマ」は、高らかに旋律を奏でるHornの音色が印象的なスピード感あふれる管弦楽編成の楽曲で、8/8・4/8・6/8・7/8拍子が入り乱れる主部と5/8・3/8拍子が組合わさった中間部とに現れる変拍子、そして効果的な転調とが綾なす息もつかせぬエキサイティングさが興味深い。規模も位置づけも違う楽曲だが、「インヴィクタ序曲」より更に斬新なのはこちらとも云えるだろう。
尚、「大江戸捜査網」サントラCDにある玉木 宏樹のコメントは以下の通りとなっている。
…何と「大江戸捜査網のテーマ」は、「雨にぬれても」「サンホセへの道」「遥かなる影」などで高名なアメリカン・ポップスのヒットメーカー、バート・バカラック(Burt Bacharach 1928- )をイメージして作られた楽曲だったのである!確かにサントラCD(左画像)には劇中BGMとして用いられたという「大江戸捜査網のテーマ」のスロー・ジャズワルツver.(3/4拍子)とラテンver.も(4/4拍子)収録されており、これを聴くとバカラックをイメージしたというのも納得できる。いずれもポップでイージーな、実に小洒落た音楽になっているのだ。
♪♪♪
スウェアリンジェンが極東のテレビドラマ音楽を耳にしたことがあったかどうかは判らないが、この事実を踏まえれば、スウェアリンジェンもまたバカラックあたりの影響を受けていたことにより、「インヴィクタ序曲」のメロディーが生まれたのかもしれない -とも考えられよう。
※尚、玉木 宏樹は「インヴィクタ序曲」の存在を認識しており、「大江戸
捜査網のテーマ」作曲者本人として、「スウェアリンジェンは事前に
”大江戸捜査網のテーマ”を耳にしていたに違いない。」という見解に
立ったコメントを残している。
私自身、スウェアリンジェンの作品を実際に相応演奏してきたが、その経験に照らしても彼が「ちゃんと判って曲を書いている」作曲家であり、手堅い手腕を持っていることは疑いない。易しい中にもモダンな感覚と音楽的“意味”を盛り込んだ作風はどれも愛すべきものばかりだ。
ポピュラー音楽に通じるノリがよくて推進力のあるリズム・パターンの使用や、効果的な打楽器ソリの挿入など、「インヴィクタ序曲」はそうした”スウェアリンジェン・スタイル”を完全に確立した作品であり、愛すべき佳曲たることは間違いないと評価できる。
♪♪♪
「インヴィクタ序曲」は序奏とコーダを伴った急-緩-急の典型的な序曲形式の楽曲で、スケールの大きな序奏により開始される。(冒頭画像)
ここでは中低音に現れるシンコペーションのカウンター(2/4拍子)が印象的なのだが、実は正確なリズムで且つ雄大さを示すように演奏するのは難しい部分である。序奏はさらに幅広い音楽となって、あたかもせり上がってくる舞台のように視界を拡げながら高揚し、Allegro con motoの主部に突入していく。
快速な主部では、まず伴奏のシンコペーションの効いたモダンなリズムに心躍らされることだろう。ここではスネアドラムがテンポと抑揚、ダイナミクスの全てを確実にコントロールして音楽を牽引していかなくてはならない。
このリズミックな伴奏に載り、Clarinetの低音(+Baritone)によってまろやかに奏される旋律が現れる。これが木管楽器全体に広がった後、全合奏によるシンコペーションの楽句と打楽器ソリとが1小節ごとに応答して、エキサイティングなクライマックスとなる。
これが繰返されてブレイクし、テンポを緩めたAndante sotenutoのブリッジを経て2/4拍子Moderato espressivoの中間部に入る。ここで現れる旋律は第一主題から派生したものだが、さらにずっと抒情的な旋律となっている。
これが繰返されだんだんとダイナミクスを拡大して幅広い音楽となるのだが、徐々に伴奏にシンコペーションのリズムが忍び込んできて、これがクライマックスでは全開となり楽曲最大のクライマックスを演出していく流れも見逃せない。
悠々と奏でられたスケールの大きな音楽はファンファーレ風の楽句で締めくくられると、Allegro con motoに転じ鮮やかにクレッシェンドしてくる打楽器ソリ!
そしてこれに続くベル・トーンでブレイクして快速な主部を再現する。コーダは高音楽器群と中低音楽器群のファンファーレ楽句の応酬となり、今度は中間部旋律のモチーフを壮大に奏するMaestosoを挟むが、直ぐに全合奏でスピード感を取戻しエンディングへ。最後は鮮烈なsffpクレシェンドが吹き抜ける。
♪♪♪
「インヴィクタ序曲」の演奏に関しては、前述のようにこの曲の持つポピュラー音楽に通じる推進力の”生きた”リズムが感じられること、中間部クライマックスへのアラルガンドやコーダに現れるMaestosoが決然と大きなスケールで奏されるといったことがポイントと思う。その観点から汐澤 安彦cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
の演奏を推したい。
メリハリの利いた好演で楽曲の魅力を伝えている。
【その他の所有音源】
エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
北原 幸男cond. 大阪市音楽団
コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディ
Rhapsody for Concert Band and Jazz Ensemble
P.ウイリアムズ(Patrick Williams 1939- )作曲
S.ネスティコ(Samuel”Sammy”Lewis Nestico 1924- )編曲
ともにフル編成の吹奏楽団とビッグバンドとが共演する特異な吹奏楽曲=全編に亘りアフロを含む”ジャズ”をフィーチャーした「現代音楽作品」である。作曲者パトリック・ウイリアムズはエミー賞4度、グラミー賞2度の受賞に輝くアメリカ・ポピュラー音楽界の大御所で、映像関連音楽の分野でも幅広く活躍している作・編曲家。ジャズ・カルテットと管弦楽のための「アメリカン・コンチェルト」(An American Concerto)が1977年のピューリッツァー賞にノミネートされるなど、交響管弦楽にもジャズバンドにも精通していることで知られる。
参考:作曲者HP ”patrick williams music”コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディ(1975年)は、世界的にみても随一のテクニックを誇るアメリカ空軍ワシントン・バンドの委嘱によりパトリック・ウイリアムズが書き下ろし、これにカウント・ベイシー・オーケストラのコンポーザー/アレンジャーとして高名なジャズ界の大御所、サミー・ネスティコが吹奏楽曲としてアレンジを施したものである。
ネスティコは1968年から1984年までの間カウント・ベイシー・オーケストラのために楽曲を提供、同楽団を鮮やかに甦らせ、ベイシー後期の音楽を彩った。その代表作「ストレイト・アヘッド」(Straight Ahead/1968年)だけを見ても”Basie Straight-Ahead””Lonely Street””Fun Time””Magic Flea””Switch in Time”と名曲の目白押し!自身Trombone奏者としてのキャリアを持つネスティコの作品には、管楽器奏者のハートを惹きつけて已まない”高揚感”に溢れた楽句が鏤められている。
ネスティコもまたジャズとクラシックの融合に高い関心を示し続けており、作曲者パトリック・ウイリアムズの意図に共感するところも大きかったであろう。「コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディ」はそんな巨匠二人のタッグによって生まれたのだった。
特に、自身がアメリカ空軍ワシントン・バンドに所属しアレンジャーとして、またその別働隊ビッグバンド”Airmen of Note”のリーダーとして活躍した経歴を持つネスティコ※が吹奏楽へのアレンジを受け持つなんて、あまりにピタリと嵌り過ぎというものだ!
※この経歴ゆえ、ジャズ界の巨匠たるネスティコには少なからず吹奏楽
作品がある。モダンで生気に満ちた快速なマーチ「銀色の翼」
(The Silver Quill/Dale Harphamとの共作)や、カウント・ベイシーの世
界を吹奏楽にアダプトした「トリビュート・トゥ・ザ・カウント」(Tribute to
the Count)などがそれである。そして初演はアメリカ空軍ワシントン・バンドと”Airmen of Note”の共演により行われたと想像されるのだが、名手を揃えたその演奏は、さぞかしスリリングだったのではないだろうか?
( 上画像 : USAF Washington D.C. Band & Airmen of Note )
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編成と構成に大きな特徴があるので、まずそこを整理しておこう。編成は上掲の通りで、コンサートバンドは重複すべきパートも考慮して45名以上、ジャズアンサンブルが17名と最低限でも60名を越える編成となる。全般に現代吹奏楽ならびにビッグバンドのオーソドックスな楽器構成だが、HarpとElectric Bass(Fender Bassとの表記あり)も効果的に用いられている。
構成は上図の通り。ごく大きく俯瞰すると、序奏-Swing-Afro-エンディングから成る接続曲なのだが、メドレー風に切り替わるのではなく、各部分部分で(現代)クラシックとジャズとが入り混じってめまぐるしく応酬し、対比されている。そしてそれらは終盤に向かうにつれ溶け合って、シームレスに融合の色を濃くすることがご理解いただけるだろう。
尚、中間部に現れるアドリブは24小節×2をTrumpetが奏する(書譜なし)のがオリジナルの指定であり、リピート後の2回目にはジャズアンサンブルのバッキングとSaxセクションによるカウンターが絡む作りになっている。但しこの部分は延長しても良いし、逆に全てカットすることも可と表記があり、それに伴いアドリブ担当楽器※にも自由な選択が許されていると解されよう。
※実際、バンドによって「Vibraphone&Trumpet」「Piano&Trumpet」
「Vibraphone&Sax Soli」「Vibraphone&Trombone」「A.Sax&Sax Soli」
などの組合せを聴くことができる。
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コンサート・バンドのテュッティ・ユニゾン- ダイナミックにモチーフが奏されて曲は開始する。(冒頭画像)Timp.ソロが密やかに静まってJazzの匂いが漂う経過句へ。これに続きモチーフが更にダイナミックに繰返されると、もがくようなHorn+Euph.+Bassoonの咆哮が轟いて序奏部を終える。楽器の組合せといい音域の低さといい、”咆哮”としては限界的なものを敢えて用いたそこには、抑制されたが故に凄味のある猛りを感じてしまう。
その余熱の中から、クールなJazzのフレーズが聴こえてくる。序奏部のスピードもそのままに、鋭利な変貌を見せるのだ。このフレーズに誇張されたクレシェンドは必要ないだろう。どこまでもクールなムードの演奏がいい。
繰返され厚みを増したJazzのフレーズがエキサイティングにヒート・アップしてブレイクすると、木管楽器のストイックな伴奏※を従えてコラールが奏される。
コンサート・バンドが担当するこの部分も実に現代的な響きを持っており、センスの良さに驚かされる。このコラールがいよいよ息長いフレーズとなって高揚し、壮大な前半のクライマックスを形成していく。
※これは、あくまで1小節ごとのフレーズとして奏されるべき。一部で耳に
する小節跨ぎのフレージングでの演奏は作為的であり、違和感を禁じ
得ない。
パワフルなJazzフレーズと息を潜めたコラールとの頻繁な応答に続き、Jazzベースに導かれた経過句でエネルギーを高めて一層本格的なSwing Jazzが姿を現す。スコアには”NICE & TIGHT”(精密で締った感じで)の表記 -これはここの楽想をピタリと指し示している。高いエネルギーを発散し突き進む一方で、コントロールされたクールさも必要な部分であり、そのムードのまま個人技の炸裂するアドリブへと突入する。スリリングなソロが聴きたいところである。
アドリブの終了とともに、特徴的なヘミオラのリズムをパーカッションが打ち鳴らしAfroへと転じる。パーカッションが静まって木管群の3連符が幻想的な響きを醸すと、やがてそこからTromboneの美しいソロ※が姿を現すのだ。この音域のTromboneソロは透明にしてテンションが効き、他では得られない魅力にあふれたもの。洵に堪えられない!
サブリミナルに刻み続けられていたヘミオラのリズムが完全に消え、柔らかにたゆたう伴奏の中でTromboneのソロは徐々に動きを止め、やがて長い一息で終う。
※このTromboneソロはアマチュアにとって非常に厳しい音域でもあり、
Trumpet(Flugelhorn)やSaxに置換えられてしまうケースが多い。
その事情は直ぐに察せるものではあるが、Tromboneソロと比べると
魅力が矮小化してしまうので残念である。
幻想的な余韻を受けて木管低音域が再びAfroのリズムを呼び戻し、SaxがFluteへと持替えた※ジャズアンサンブルによる穏やかにして伸びやかな旋律を導く。ここでは一層幻想的なサウンドの美しい音楽となり、安寧を深めていくのが印象的である。
※この部分では、スコアの指定通りだと後にコンサートバンドのFluteパ
ートも加わってくるため、ジャズアンサンブルのSax奏者の持替えも含
めると、少なくとも7人のFluteで3パートしかない譜面を演奏することに
なる。しかし、「大人数で賑やかに」という意味とは思えないので、ここ
は最小限の人数で奏された場合の”薄さ”を嫌った、くらいに考えて実
際の対応をすべきだろう。-しかし、この夢見心地がたった1小節の強烈なクレッシェンドにより、本作品最大のクライマックスへと向かうのだ。この凄味こそを刮目して見よ!
細かな音符で動き回る木管群をバックに、コンサートバンドとジャズアンサンブルがダイナミックに応酬する-。音楽が大胆にスケールを拡大して鳴動するさまは、最高に感動的である。ここを”張った音”で、しかし荒れることなくテンションの高い音楽に”キメ”るのは並大抵のことではないが…。
そして存分に鳴動した音楽は、きつく締めた紐を緩めるように再び穏やかさを求め、名残惜しげに遠くなっていく。
最後は静寂を打ち破るBassDrumの一撃とともに、突如強烈なエンディングへ。一気呵成に突っ走り、あくまでAfroの部分を締めくくる形で鮮烈に、そしてあっという間に全曲を閉じる。
やや唐突な感を受けるエンディングとなっているが、変貌を繰返し刺戟を与え続けて進んできたこの音楽に予定調和的な終末はあり得ない。進み続けたままに終わりを迎えるのが必然なのであろう。
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一般編成の吹奏楽団でこの曲を演奏する場合には、ジャズアンサンブルを別建で編成し得なかったり、ジャズアンサンブルメンバーの楽器持替えの指定があったりという問題のため、、どうしても全編に亘るスコアリングの見直しを迫られてしまう。これは周到な「設計」を要する作業であり簡単ではないはずだが、それでも吹奏楽コンクールで採り上げられることも多い。※
全日本吹奏楽コンクールでも5団体が演奏(内4団体が金賞受賞)しており、アドリブ部分をはじめとして、それぞれ実に個性あふれる演奏を聴かせているのも、この曲ならではの特性を表していると云えよう。
※出版譜が絶版となったことに加え、コンクールにおいてエレクトリッ
ク・ベースが使用不可となったこともあって足下では減少。
ノーカット音源としては以下が挙げられる。加養 浩幸cond.
土気シビックウインドオーケストラ
本格的なJazzの色合いはやや後退しているが、確実にアナリーゼされ整理された好演。難しいこの曲が統理されている印象を与えるのは、“イロモノ”などという安易な捉え方を一切排し、楽曲に正面から真摯に挑んだゆえだろう。アドリブはVibraphoneとトランペット。アフロに現れるハイトーンのTromboneソロも譜面指定通り演奏されている。レイ・クレーマーcond.
武蔵野音大ウインド・アンサンブル
“NICE&TIGHT”の部分の引き締った演奏が印象に残る。ピアノをうまく効かせて端正でセンスのいい演奏となっているが、求められるもう一つの側面である熱狂は抑制気味。アドリブはピアノとトランペット。これもアフロに現れるハイトーンのTromboneソロは譜面指定通り。
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コンサートバンドとジャズアンサンブルという異なる演奏形態が対峙して展開する楽曲なのだが、実際に演奏してみて感じたのは、ジャズ(含むアフロ)の世界が間断なくこの音楽そのものに刺戟を与え続けている存在であるということ。
そして“対比的”に緊張感のある遣り取りが応酬されている一方で、シームレスにあくまで一つの音楽として最後まで繋がっていると感じられること。
この曲はジャズフレーズのハイセンスさを表すことだけでも難しい。加えてミスなく”キマって”いないと、どうにもジャズらしく聴こえてこないこともあり、単なる譜面(フヅラ)以上に結構な難曲である。しかしそれをも踏み超えて、目まぐるしく入れ替わる曲想があくまでも同根=“一つの音楽”として呈示されるべき。それがこの曲の本質だと思う。
「さあ、ここからはジャズ!」といった単純な切替えではない。
登場するのは異なったキャラクターの二人の人物ではなく、同一人物。絵に描いたように紳士然とした人物が、何の前触れもなく瞬時に表情も口調も変え、ギョッとするようなヤクザな笑みをニヤリと浮かべる…「ジキルとハイド」の物語がイメージされる凄みが感じられるものであって欲しい。
同一の楽曲として決して分離することのない中で“変貌”が繰り返されるからこそ感じられる「凄み」-これが生まれたとき、この“二重人格のラプソディ”はより高次元な音楽として昇華されるであろう。
もう一度言おう。ジャズがふんだんに取入れられているのは、”それこそがアメリカのラプソディ(狂詩曲)の題材たり得る”と云わんとしているのであって、冒頭にも述べた通り、この作品は当然単なるポピュラー・ミュージックとして捉えるべきでない「現代音楽」である。
アドリブをはじめとして曲の性格上演奏サイドに委ねられた部分も多く、例えばオリジナルのスコアにない打楽器の追加なども許容し得るだろう。しかしそれだけに曲の本質に迫ったセンスが求められる。
コンクールでの演奏の中には、凡そ相応しくないスコアの変更や解釈を施したものもある。したり顔に見えても浅薄なその演奏は、楽曲を安易に或いは表層的に捉えた結果ではないだろうか?あれではこの曲の本質に迫ったとは言えまい。もっと確りと楽曲に相対すべきと思う。
-ぜひ究極的に高次元な演奏を聴いてみたい一曲である。
コラールとカプリチオ
Chorale and Capriccio
C.ジョヴァンニーニ (Caesar Giovannini 1925-)1960年代当時から「序曲変ロ長調」「ファンファーレ、コラールとフーガ」「ジュビランス」といったモダンな作風のオリジナル曲を吹奏楽界に提供し、異彩を放っていたジョヴァンニーニ。彼の最初の吹奏楽曲にして最大のヒット作となったのがこの「コラールとカプリチオ」(1965年)である。
かつては全日本吹奏楽コンクールでも9団体が演奏し、中でも職場や一般の部で多く採り上げられた。小編成でも演奏効果が高いので、腕達者な少人数バンドに好適なのである。実際、この曲はコンクール以外でもたくさんのバンドに愛奏されたから、人気は相当なもののはず。おそらく懐かしむファンがたくさんいらっしゃることだろう。
※尚、吹奏楽オリジナル曲としては「シンフォニア・フェスティーヴァ」で高名な
アーン・ラニング(Arne Running)も”Chorale and Capriccio”(1976年)という
名の作品がある。
タイトル通り、厳かな(或いは陰々滅々とうなだれた如き)コラールに始まり、これと対比して軽妙な(或いは能天気でエキセントリックな)カプリチオ※が続く構成の楽曲だが、その対照的な楽想が洵に愉しい。それだけでなく、全編に亘りダイナミクスやサウンド・表情が息つく間もなくクルクルと入替わり、豊かなコントラストを見せるのが最大の魅力となっている。打楽器やHornのゲシュトップ(or Muted)の効果的な使用や、ユニゾンとポリフォニックな部分との対比をはじめとして工夫に富みかつ巧みであり、ジョヴァンニーニと吹奏楽曲以外でもタッグを組むオーケストレーション担当のウェイン・ロビンソン(Wayne Robinson 1914-)の手腕は、この作品で一際輝いていると感じられる。
※カプリチオ
「カプリッチョ」「カプリッチオ」とも邦記。邦訳は奇想曲(綺想曲)・狂想曲で、
メンデルスゾーン、ブラームスなど多くの19世紀の作曲家によって、愉快で
気まぐれな器楽小曲につけられた名称。(出典:新音楽辞典/音楽之友社)
リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」やチャイコフスキーの「イタリア
奇想曲」が有名だが、自由な形式による天真爛漫、ユーモアのある楽想の
音楽がイメージされる。
♪♪♪
Andante Espressivoの「コラール」から曲が開始されるが、初手からタダモノではない。たった1小節の序奏に続き直ぐに金管群のポリフォニックなコラールが現れる大胆さも凄いし、これを導き伴奏するG音のオスティナートを最高音と最低音とに奏させ、その間に主題(コラール)を配するというのも斬新なオープニング!(冒頭画像)この曲を語るとき必ず触れられてきた優れた個性の一つである。
まずはうつむき内省的に始まった聖歌だが、やがて意を決したように顔を上げ、チャイムの響きとともに輝かしく強奏される。これが一旦静まると、Fagotto+Euph.に第二の旋律が現れ、楽曲は厳かな表情を深めていく。木管群の静かな歌とこの第二の旋律が行き交いながら徐々に緊張感とダイナミクスを高め、中低音がこんどは重厚に聖歌を奏でる。劇的なカウンターが印象的だ。
そして激烈なTimp.のクレシェンドに導かれて、コラールは最大のクライマックスを迎え、一層高らかに堂々と全合奏で鳴り響くのである。
弱まりながらも充実したサウンドを聴かせながらコラールを終うと、アタッカで2/2拍子 subito piu mossoとなってテンポを速め、打楽器のエキサイティングなソリとともに扇情的な楽句が高揚して「カプリチオ」の序奏部を形成する。カプリチオでは、終始諧謔味にあふれた楽句が続々登場し押し寄せる。最初の木管からして大変ユニークだし、
バックに使われているゲシュトップ(or Muted)Hornなども見逃せない。リズミックな部分とリズムを隠した部分、強奏と弱奏を応酬させながらスピーディーに曲は進み、高揚感のあるダイナミックなクライマックスを迎え同時にブレイクとなる。
次は愉快な伴奏に乗ってクラリネット→Muted Trumpetと剽軽な楽句が移り…そして遂にグリッサンドを効かせた一層コミカルなTrombone Soliの登場だ。
これがテュッティで奏されたのちエネルギッシュな経過句を挟んでこのTrombone Soliがもう一度繰り返されると、急速に曲は終結へと向かっていく。
コーダでは、ダイナミックなTimp.のカウンターと他全楽器による打込みを従え、堂々たるHorn(+Sax、Euph.)のパッセージが轟き、続いてポリフォニックなサウンドが強力に響きわたる。バンドは推進力を籠めた4分音符が並ぶフレーズを全合奏で最後まで吹き切り、全曲を閉じる。
♪♪♪
音源を聴き比べ改めて感じたのは、現在の吹奏楽界に多く聴かれる”丸っこい”サウンドと発奏では、この曲の魅力を充分には発揮し得ないということ。オーケストラ(或いはジャズ)的な、明晰な発奏と管楽器の”原色”サウンドでこそ映える楽曲なのだ。即ち”ウインドアンサンブル”編成で、一人ひとりの音が”立った”バンドなら申し分ないと思われる。
こうした楽曲の特性に合致しているという観点から、お推めの音源はいずれも旧い録音となった。兼田 敏cond.
東京佼成吹奏楽団
野太いスケールの大きさを感じさせる演奏で、鮮やかなサウンド。コントラストの対比もダイナミック。山田 一雄cond.
東京吹奏楽団
より個性的に仕上げられた演奏、音楽の自在な筆運びに説得力がある。
【その他の所有音源】
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
新田 ユリcond. 大阪市音楽団
近藤 久敦cond. 尚美ウインドオーケストラ
”往年の吹奏楽名曲集”といったアルバムにこの曲がたびたび新録音もされているのは、その根強い人気を物語っていると思うが、所詮今となっては「古臭い曲」なのだろうか-。
私にはそう思えない。よく考えられて作られた曲で無駄というものがなく、全体を俯瞰しても実にバランスに優れる。特段難フレーズを繰り出さなくても音楽的興味を最後まで切らさないのが見事で、間違いなく佳曲だと思う。流行の邦人作品などとは趣が違うけれど、ちゃあんとモダンに作られてもいる。
ぜひ再評価を…もっと演奏を!と私は声を大にして訴えたいと思う。
懐かしの「素晴らしきヒコーキ野郎」
私が音楽=吹奏楽に触れその楽しさに目覚めた頃、NHK-FMで毎週日曜日の朝放送される吹奏楽専門番組「ブラスのひびき」は本当に貴重なものでした。
インターネットなどもちろんなく、CDすらも未だなく…アナログレコードを聴くほかには、比較的音質の良いFM音源をカセットテープに録音(=エア・チェックという)して楽しむというのが一般的であり、FMの番組情報を提供する専門誌が幾つもあったという時代です。当時民放テレビは2局のみ・民放FMは受信できなかった私の故郷(大分県の田舎町)で、この番組は吹奏楽曲の貴重な音源を提供してくれる、もの凄く大事な存在だったのです。
この「ブラスのひびき」のテーマ音楽こそが、「素晴らしきヒコーキ野郎」でした。軽快で爽やか、また愛らしくもあるこの曲は、番組を今か今かと待ち構えている私をまず楽しませてくれたものです。
ただ常に途中でフェード・アウトされてしまうのが残念で、全部聴きたいなーと思いつつも音源の入手方法どころか発売されていることさえ知りませんでした。※素晴らしきヒコーキ野郎
1965年公開のアメリカ映画、原題は”Those Magnificent Men in
Their Flying Machines or How I Flew from London to Paris in
25 Hours and 11 Minutes”
20世紀初頭に開催されたパリ-ロンドン間飛行レースを舞台に、
そこに集結した個性的で愛すべきヒコーキ野郎どもと、その痛
快な心意気を描いており、故・石原裕次郎のハリウッド進出作
としても有名です。音楽は「633爆撃隊」「フリーフォール」など
の楽曲で吹奏楽界でもおなじみのロン・グッドウィン
(Ron Goodwin 1935-2003)が担当しました。
インターネットの時代になってから”検索”によりこの音源がダブルパワー・ブラスオーケストラの演奏する「スターウォーズ/スクリーン・マーチ・スペクタキュラー」(1978年)というアナログLP(冒頭画像)に収録されていることを知った次第です。
-それからはずっと、このLPを探していました。
ところがネットオークションにも全然出てきません。随分長いこと探し続けてあきらめかけていた今夏(2012年)、ある中古レコード業者のネット通販サイトで販売されているのを遂に発見!すぐさま注文し無事入手することができました。届いたLPレコードは状態もよく、手にした私が小躍りして喜んだのは云うまでもありません。
♪♪♪
一刻も早く聴きたかったのですが、モノがアナログLPですから、まずは音源のデジタル化が必要です。以前は自前の装備でデジタル化していましたが、
1. 時間と労力がかかり過ぎる
2. その割に装備が充分でなく、音質が良くない
ことから、今は専門業者にお願いすることにしています。費用は相応かかるので、ボーナスを貰うタイミングでまとめて発注するわけです。^^;)
今回も「工房ブルーランナー」さんにお願いしました。優れたオーディオ機器と、(アナログレコードを徹底的にクリーニングする)バキュームクリーナーとを備え、トラック分割とCDサイズのジャケット製作までワンパックでやって下さる※ので大変満足しています。先日デジタル化されたその音源が届きまして、漸く聴くことができたわけなんです。
※カセットテープ音源のデジタル化も対応しているので、学生指揮者を
務めた大学3年時の演奏会録音や、中学時代のコンクール演奏など
もデジタル化して懐かしく聴くとともに、当時の仲間たちにも配布し、
とても喜ばれました。
アナログLPでは海外を含めたネットオークションで落札した「ネリベル
&米第五陸軍」「ワルタース&米第五陸軍」「米沿岸警備隊によるプレ
リュードとダンス(クレストン)」「シャウニー・プレス社サンプル音源(3
枚)」などをデジタル化発注しました。貴重な音源を手軽に聴くことが
できるようになり、とても満足しております。これらの音源についても
またいつか紹介させていただけることと思います。
♪♪♪
久しぶりに聴いた「素晴らしきヒコーキ野郎」は懐かしく、そしてもちろん心躍る素敵な音楽でした。まず、やはりアレンジが素晴らしいんです!
この曲のアレンジを担当したのは山屋 清(1932-2002)-わが国屈指の名門ビッグバンド、原信夫とシャープス&フラッツのバリトンサックス奏者ならびにアレンジャーとして活躍したことで有名ですが、「山屋清と東京ユニオン(3代目リーダー)」「山屋清とオールスターズ」ではバンド・リーダーも務めたジャズ・サクソフォン奏者であり、江利チエミや弘田三枝子などにも好アレンジを提供した人物でもあります。
邦楽(三味線・尺八など)とも接点があるなど活動の幅は広く、イージーリスニングのジャンルでも相当な数の作品を遺したと云われる名アレンジャーでした。
「素晴らしきヒコーキ野郎」はパワフルで活気があり、ユーモアのセンスも感じさせる多彩なアレンジとなっており、実力派アレンジャーを揃えたこのアルバム中でも、出色の出来映えです。そして演奏が素晴らしい!演奏するダブルパワー・ブラスオーケストラは「原信夫とシャープス&フラッツ」と「宮間利之とニュー・ハード」を合体させ(だから”ダブルパワー”)、さらに13人のエキストラを加えた腕利きの集団であり、スピード感のある音色と明晰な発奏・カラフルなハーモニー・パワフルなダイナミクス、さらに実に推進力のある音楽の運び・リズムの良さはさすがというほかありません。
こういう演奏を聴きますと、理屈抜きに愉しいですね☆
最高です!
イーグルクレスト序曲
Eaglecrest -An Overture
J.C.バーンズ
(James Charles Barnes 1949- )「パガニーニの主題による幻想変奏曲」「呪文とトッカータ」「アルヴァマー序曲」や吹奏楽のための7つの交響曲で高名なジェームズ・バーンズが作曲した序曲「イーグルクレスト」(1984年)は、幾つもの面で究極の”典型”な楽曲である。
即ちまず第一に吹奏楽オリジナル曲の、第二にアメリカ的なセンスの、そして第三にバーンズの序曲としていずれにおいても”典型”と云える作品なのである。
急-緩-急のシンプルな3部形式・厚く充実したサウンドと豊かなダイナミクス・ラッパ群の特質を活かしたカッコイイ旋律とカウンター・「管」の息吹の感じられる中間部を併せ持つところなどは吹奏楽オリジナルの極致だし、また「勇壮」と「甘美」という判りやすい魅力をコンセプトとして、ド派手でストレートに伝えてくる明快さは如何にもアメリカ的。そしてそれらをモダンな”バーンズ色”できっちり料理した作品であり、バーンズの美点、手法が惜しみなく投入されている。そうした全ての”典型”を、ナルシスティックなまでに極めた怪作なのだ。
※1986年頃、まだ学生だった私が深夜にぼんやりテレビを見ていたら
「中央競馬ダイジェスト」で馬たちが力走するレースの模様が映し出
される中、この曲がBGMで流れてきたので驚いた記憶がある。明快
な曲想と力感のある勇壮さが見事に画面と合致していた。因みに
この時期、同番組ではオープニングに「チェストフォード・ポートレー
ト」(スウェアリンジェン)を使用していたから、番組制作側に吹奏楽
関係者が居たのかも…。標題の「イーグルクレスト」とは鷲の紋章を意味する。
アメリカという国家の象徴たる国章(左画像)もその一つであるし、鷲の紋章はそれに止まらず広くアメリカ社会の中で親しまれ、さまざまな団体の象徴となっている存在である。また、バーンズは標題の下にウォルター・ホイットマン(Walter Whitman 1819–1892)による「鷲のたわむれ」※という詩の一節を掲げている。(冒頭画像参照)
楽曲はこの詩の内容を直接的に辿るものではないが、標題にしろ、アメリカ文学の象徴であるホイットマンの詩を掲げたことにしろ、そこから感じられるのは、やはりバーンズの念頭にアメリカへの愛情・愛着があって、この曲が誕生したのだろうということだ。
※「鷲のたわむれ」
ホイットマンの代表作「草の葉」に収録。詳細は下記リンクを参照
いただきたいが、一つがいの鷲の”愛の戯れ”を描写的に詠った
ものである。作者の日常風景の中に飛び込んできた高く、速く、激
しい野生の愛の交歓への驚きと、そのあり方をそのまま認め受け
入れる作者の視点が感じられる。卑小なものにも偉大なものにも
区別を認めず、どんな形であれ存在するものをそのままに肯定し
愛着する特異な感性を有した、と評されるホイットマンらしい作品と
云える。この”全ての個別への愛着”(これは強い自己肯定でもあ
る)が”全体という理念”に帰着し、ホイットマンにアメリカという国の
ダイナミズムへの期待をもたらしたという分析もされている。
詩集「草の葉」こそは、アメリカが生み出したものであり、アメリカを
してアメリカたらしめている根源とも評され、文字通りアメリカに根ざ
し、アメリカを象徴するものと捉えられているのである。
原文及び訳文:「eagleswhitman_rev.jpg」をダウンロード
【参考・出典】
「対訳ホイットマン詩集」(木島 始 編/岩波文庫)
「草の葉」上・中・下 (ホイットマン 作 酒本雅之 訳/岩波文庫)
♪♪♪
シンバルに続いてTrumpet(+Horn. Euph.)が主要旋律のモチーフを奏で、これに金管中低音の豊かなサウンドが受ける華々しいAllegro risoluteのオープニング(冒頭画像)。木管楽器のアルペジオをバックに、モチーフがカノンで奏される序奏部がダイナミックに高揚すると、ついに堂々たる旋律が全容を現す。リズミックで鮮烈なカウンターを伴うここの楽想は実に力強く、「勇壮」という言葉が良く似合う。テンポの速過ぎない、スケールの大きな演奏が好ましい。
リズミックな経過句で一旦静まるのだが、この緊張感のある経過句は曲中の要所で効果的に使われている。ここでも重要な役割を果たしているのがTimpaniであり、全曲に亘ってその存在は非常に大きい。音色とセンスの優れた奏者が求められよう。
続いて木管と鍵盤打楽器のアルペジオが今度は雄大なサウンドを醸し、拡大された旋律がHorn(+Euph.、T.Sax、Fagotto)によって伸びやかに奏される。常套的な手法だが感動的である。転調して旋律がTrp.+Trb.へ移り高揚した後、Trb.のファンファーレ風のハーモニーに導かれリズミックな楽想となり、再び転調して勇壮な旋律が再現される。
経過句を挟みいよいよ前半のクライマックスへ進むが、ここでバーンズはなんと全合奏のカウンターに対峙して低音群に旋律を奏させる。豪壮なTubaの音色(破裂音ではなく)が聴けたなら感涙間違いなしだ。
ファンファーレが劇的に高揚し頂点でドラが轟きブレイク!Timp.のダイナミックなソロもすぐに静まって、興奮を鎮める”鐘”をHornが打ち鳴らし中間部Adagioへ向かう。ここではVibraphone - Fagotto - Oboeと移ろう音色の配置が実に巧みだ。
そして甘美さを極めたAlto Saxソロがやってくる-。何というセンチメンタルでスィートな…!この夢見る旋律を品良く、しかし充分に歌ってくれたらうれしい。
これを受けて音楽はさらにロマンティックに発展し、ついには全合奏で歌い上げていくのだが、Piccoloも効かせた木管楽器の対旋律は究極のセンチメンタリズムを示し、豊かなバンド・サウンドと幅広いフレーズに包み込む感動的なクライマックスを迎える。幻想的なAdagioの終わりも、その始まりに呼応したHornの”鐘”で締めくくられ、再び経過句を挟んでコンパクトな再現部となる。
ダイナミックな曲想を呼び返した後は、今度は経過句をテンションの高いTrp.の音色で奏させることにより華やかさと緊張感を押し上げて舞台を調え、そこにHornが終幕への歌を高らかに歌う。最後まで重厚なサウンドの響きわたるエンディングである。
♪♪♪
”典型”的であるということはデフォルメの要素も帯びているということで、この曲はまるで星条旗柄の帽子と衣装を纏ったアンクル・サム(或いはイーグル・サム)※のようでもあり、やや気恥ずかしい感じはあるのだが、それでも私はこの曲が大好きだ。
同じ楽句や同じ楽器の音色を、巧みに変化をつけつつも呼応させることで全編に統一感のある楽曲に仕上がっているので、ストレートな”カッコ良さ””スィートさ”を品良く伝えられたなら理屈抜きに愉しい音楽になると思う。
※アンクルサム(Uncle Sam)
アメリカを擬人化したと云われるキャラクター。衣装はアメリカ国旗そのもの
(ウルトラスターハットにスタータキシード、というらしい^^)であり、1800年代
からアメリカの愛国心を象徴し、鼓舞する存在であった。
イーグルサム(Eagle Sam)は1984年のロサンゼルス五輪マスコットキャラク
ターで、アンクルサムのコンセプトをこれもまたアメリカの象徴である鷲に纏
わせたもの。
画像参照:「UncleSamEagleSam.jpg」をダウンロード
この曲の演奏において一番イケナイのはうつむいたり、逆の意味で格好つけてスカしたりといったこと。CDやネット上の動画で耳にするこの曲の演奏は、実は多くが全然カッコ良くない。こうした曲を軽く見る傾向は吹奏楽界の浅はかさを物語るわけだが、如何にもカッコイイ曲をカッコ良く演奏するのにも技術が必要だし、センスが必要なのだ。「品」を失ってはいけないが、楽曲の特質を的確に摑んで、それぞれを”それらしく”表現しなければちっとも愉しくない。
音源は以下をお奨めしたい。汐澤 安彦cond.
東京アカデミックウインドオーケストラ
楽曲の魅力を大きく捉え、メリハリをもって示した演奏。スケールが大きく、この曲に要求される「推進力」に満ちている。
【その他の所有音源】
汐澤 安彦cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
ジェームズ・バーンズcond. カンザス大学吹奏楽団
第六の幸福をもたらす宿 -組曲
The Inn of the Sixth Happiness,
Suite
I. London Prelude
II. Romantic Interlude
III. Happy Ending
M.アーノルド 作曲
(Malcolm Henry Arnord
1921-2006)
C.パルマー 編曲
(Christopher Palmer
1946-1995)
1958年製作、名女優イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman 1915-1982)主演によるハリウッド映画「六番目の幸福」(The Inn of the Sixth Happiness)の映画音楽による三楽章の管弦楽組曲である。序曲「ピータールー」で完全に火がついた吹奏楽界でのマルコム・アーノルド人気だが、次々とアダプトされ広まっていく彼の作品の中でも、本作の人気は抜群である。メロディー・メーカーたるアーノルドらしい優美で感傷的な旋律の魅力と、ゴージャスな管弦楽で描かれる絢爛豪華さ・壮大なスケール感とが聴くものを惹きつけて已まないのだ。
※標題としては「第六の幸運をもたらす宿」とも。人口に膾炙した同映画
の邦題は「六番目の幸福」であり、そのことに根ざせば本来”管弦楽
組曲「六番目の幸福」”とすべ きとも思われるが、この楽曲を指し示す
題名としては「第六の幸福をもたらす宿」が既に一般化しており、本稿
もこれに従う。
※「六番目の幸福」とは中国五経の一つ「書経」洪範編に登場する”五福”
を捩った言葉。「書経」は孔子編と伝えられる中国最古=神話時代の
歴史書で、理想の天帝たる尭舜らの言行録である。
そこに”五福”=寿(寿命の長いこと)・富(財力の豊かなこと)・康寧(無
病息災であること)・攸好德(徳を好むこと)・考終命(天命を全うするこ
と)が示されている。この中国に古くから伝わる幸福の5つの要素-
「六番目の幸福」とはそれ以外にキリスト教がもたらしてくれる幸福を示
唆するものと思われるが、映画「六番目の幸福」中の科白としては「それ
は、それぞれが自分で探すもの」とされている。
映画「六番目の幸福」は、1930年代にキリスト教(プロテスタント)伝道師として、女性の身でありながら当時欧州にとって遥かに遠い異教・異文化の地である中国に単身乗り込み、布教と現地人のための活動に力を尽くしたグラディス・エイルワード(Gladys Aylward 1902-1970)女史の実話を記したアラン・バージェス(Alan Burgess)著”The Small Woman”を原作としている。エイルワード女史が生活の全てを投げ打ってユンチェン※1に到着したのは1930年10月※2のこと。列強による半植民地化の進行と清の滅亡、辛亥革命=中華民国の成立、国民政府の樹立という矢継ぎ早の大混乱に続き、日本の関東軍による満州事変勃発を経て満州帝国が立ったのが1934年であり、1937年には日本が中国本土に侵入して、遂に日中戦争に突入する。彼女はこのような困難な状況下で、貧しく遠い異国における献身的な活動に身を捧げていったのである。
ユンチェンにて経営する宿屋※3を拠点とした地道な布教、政府に任命された纏足廃止委員としての活動、さらに孤児の救済などに注力した彼女は、彼の地に信頼を得て確りと根を下ろした。ユンチェンに日本軍の侵攻が迫った際、自身の負傷も省みず94人の孤児とともに山越えの脱出に成功したエピソードは、彼女の功績を象徴する美談として語り継がれている。
※1 ユンチェン:运城(Yuncheng)/運城とも。中国のほぼ中央に位置す
る内陸の町で、かの関羽の故郷として有名。現在は山
西省に属する。→地図
※2 エイルワード女史の中国到着を1932年とする資料もある。(纏足禁
止の本格化は1930年頃からとのことで、両説とも成立ち得る。)
※3 中国布教の先駆者であるジニー・ローソン(Jeannie Lawson)女史
が開設し、エイルワード女史に引き継がれたこの宿の名だが、実際
には”The Inn of Eight Happinesses"(八福客棧)であったそうで、
「六番目の…」は映画化に際し名付けられたもののようである。
【出典・参考】
Find A Grave(ウェブサイト/Chris Nelsonによる伝記)
”Chinese Whispers”(Carol Purves 著)書評
Christian, Bible-Based Teaching by Pastor John E. Dubler
♪♪♪
「六番目の幸福」は前述のグラディス・エイルワード女史の実話をもとに、独中混血の中国軍将校・リン大佐というキャラクターを登場させてグラディスと彼のロマンスをストーリーに加え、ハリウッド的に映画化した作品である。
【「六番目の幸福」あらすじ】
熱意が昂じて-逆に云えば熱意のみで危険も顧みず単身中国
に乗り込んだグラディス・エイルワード。母国イギリスと比べ未開
かつ非衛生的な中国の山村・ユンチェンにて、宿屋を経営しなが
ら地道な布教を続ける彼女は、やがて纏足禁止委員としての誠
意ある活動で地元民の信頼を得、ジェナイ(=博愛の人)と呼ば
れるようになる。
さらに孤児たちを引き取って養育したり、刑務所における暴動を
鎮め囚人の処遇を改善したりと、人道的活動にひたむきなグラ
ディスに対する尊敬は、出自や人種の違いなどを遥かに超えて
衆目の一致するところとなった。
当初彼女のことを快く思っていなかった県長マンダリンも今や
すっかりグラディスに心を許し、また行動をともにするうちグラデ
ィスに惹かれていったリン大佐は、やがて彼女と恋に落ちていく。 しかし、遂に中国に向けられた日本軍の侵攻はユンチェンにま
で及んだ。100人もの孤児たちを守るため、グラディスは西安へ
の脱出を図ることを決心する。日本軍の索敵を逃れ、彼らを全
て引き連れて険しい山越えに挑むのだ。
戦争によって愛する友を次々と失う悲しみを乗り越え、また苦しく
不安な山行を歌声とともに乗り切り、グラディスと孤児たちは見事
西安への脱出に成功する!
遠くからかすかに、しかし確かに聞こえるマザーグース”This Old
Man”の歌声。それが徐々に近づいてきて、子供たちの力強い大
合唱となる。凱旋さながらに西安の町に到着した子供たちが市民
の歓喜に包まれる中、グラディスは安堵の表情を浮かべながらも
「きっとユンチェンに帰ります。」と再び強い意志をもって宣言し、
微笑むのだった。
※より詳細なあらすじ : 「synopsys_6th_happiness.doc」をダウンロード
以上のようなストーリーを支えるアーノルドの本楽曲は、2つの主要テーマ(「決意のテーマ」「愛のテーマ」)が全編の骨格を成し、これに中華風の旋律や、或いは危機が迫る苦難のシーンを示す音楽を交えて構成されているのだが、そこにもう一つ、マザー・グースの唄※”This Old Man”が重要な役割を果たしていることは見逃せない。
This old man, he played one おじいさん 数字の1
He played knick-knack on my thumb 親指にコツンとやった
With a knick-knack paddywhack, コンコンピシャリ
Give your dog a bone 犬に骨
This old man came rolling home ふらふら家に帰った
This old man, he played two おじいさん 数字の2
He played knick-knack on my shoe 靴にコツンとやった
With a knick-knack paddywhack, コンコンピシャリ
Give your dog a bone 犬に骨
This old man came rolling home ふらふら家に帰った
”This Old Man”はマザーグースらしく韻(Rhyme)を踏んだユーモラスな数え歌で、歌詞自体に直接的な意味はない、いわば言葉遊びの歌である。歌詞は10番まであって、シンプルかつリズミックに繰返されとても愛らしく、またエンドレスでもある。
この歌は主人公グラディスと子供たちとの温かい触れ合いの象徴であり、困難に直面した場面では子供たちを力強く励ます。さらには脱出に成功し誇らしげに町へ入場する子供たちの凱歌として輝きを放つのである。
※マザー・グースの唄
18世紀後半よりイギリスの伝承童謡を総称してこう呼ぶようになった。
歴史・文字遊び・物語・格言・なぞなぞ・学校生活・子守唄・ナンセンス
等々多岐に亘る内容で、英語圏の生活感覚や言語感覚の機微に満ち、
英語文化の基盤を成すものとされている。代表的なものとして「ロンド
ン橋」「きらきら星」「ハンプティ・ダンプティ」「ピーター・パイパー」などが
あり、本邦でも数多く知られ口ずさまれている。
文学作品への引用も多く、また日常的にも「マザー・グースの唄」をバッ
クボーンとした会話は頻繁に行われていることから「マザー・グースの
唄」に明るいことは英語圏文化の理解の前提の一つともなっている。
(古来から存在するものゆえ一部反道徳的な内容も含むが、過去確実
にあったものの記録であり、そのでたらめさ奔放さも伝承され愛好され
てきた理由の一つ、とする平野敬一氏意見に深く共感する。)
尚、吹奏楽界でも人気のモーリス・ラヴェル作曲「マ・メール・ロワ」はフ
ランス17世紀の童話作家ペローの童話集を題材にした作品であり、
ここで所謂「マザー・グース」と直接の関係はない。このペロー童話集の
副題に登場した「マ・メール・ロワ」は仏語で”鵞鳥おばさん”の意であり、
これが英語で”Mother Goose”と翻訳されたもの。イギリスに古来より伝
わる童謡が18世紀に編纂され書物として出版された際に、編者がペロ
ー童話集から題名借用したことにより「マザー・グースの唄」という言葉
が誕生したのだという。
”This Old Man”はマザー・グースの唄としては比較的新しいものという
ことだが、「6番目の幸福」のほか映画では「ボーン・イエスタディ」(1993)
にも登場しており、また有名なTVドラマ「刑事コロンボ」で主人公コロンボ
が口ずさむシーンがあることも知られている。【参考・出典】
「マザー・グースの唄―イギリスの伝承童謡」
(平野 敬一 著 中公新書)
「映画の中のマザーグース」
(鳥山 淳子 著 スクリーンプレイ出版)
「世界の民謡・童謡」 HP
♪♪♪楽曲の内容に入る前に、この映画音楽を管弦楽組曲に編んだ名アレンジャー、クリストファー・パルマーのことに触れないわけにはいかぬ。
パルマーはシンフォニックな映画音楽の世界において、ウォルフガング・コルンゴルトやミクロス・ローザらから連なる系譜にある。惜しくもAIDSの合併症により夭折(享年48)したこの天才は、「タクシー・ドライバー」(バーナード・ハーマン作曲)をはじめとする数多くの映画音楽のアレンジにより、その手腕が高く評価されている。
またアーノルド作品のみならず、ウィリアム・ウォルトン作曲の映画音楽「メジャー・バーバラ」「ウォータイム・スケッチブック」「ヘンリー5世」などの演奏会用組曲を後世に遺した功績も極めて大きい。名だたる大作曲家たちのパルマーに寄せる信頼が如何に厚かったかを物語るものである。
【参考・出典】
・IN MEMORIAM -Christopher Palmer by Ian Lace
・Christopher Palmer Biography by James Reel
・Biographical History Christopher Palmer by Patrick Russ
「第六の幸福をもたらす宿」においてもイントロダクションからエンディングに至るまで、アイディアに溢れ非常に効果的な楽句がちりばめられた、構成感に優れたアレンジとなっており、聴衆を惹きつける感動的な音楽をアーノルドとともに創造していることが聴きとれる。まさにパルマーの才能を証明するものに他ならない。
♪♪♪
パルマーはこの魅力あふれた映画音楽を3楽章の組曲にまとめている。過不足のない、見事な構成である。
I.ロンドン・プレリュード
中国への布教活動に意欲を燃やすグラディスの強靭な意志と、内に秘めた深い慈愛を表す楽章で、それとともにグラディスがロンドンへと上京した情景と未知の世界への緊張、不安をも表現している。
曲は緊張感漲る高音と低音+Timp.との掛け合い(Andante Maestoso)に始まり、「決意のテーマ」のモチーフが聴こえてきて高揚すると、広く遠く視界が開けて壮大な序奏を形成する。これに続いてHornが凛然と「決意のテーマ」の全容を提示する。高貴にしてスケールが大きく、強靭なメロディである。これが繰返された後、グラディスがロンドン駅に到着したシーンを挟んで第2の主要旋律である「愛のテーマ」が弦に現れる。
このたっぷりと情感豊かな旋律は、音域を上げて一層切なく歌い上げるもので堪らなく感動を誘う。
金管群のファンファーレ楽句や重厚なTimp.、華やかなHarpにファンタジックなチェレスタなどで巧みに彩られつつ全曲を総覧する”前奏曲”は、終盤に向かい徐々に落ち着き穏やかな表情となって、次楽章へ続く。
II. ロマンティック・インタールードTempo rubatoでひそやかに始まるFluteソロが奏でる旋律は中華風だが、続くCelloのソロでそれは一層鮮明になる。PianoやHarpによる伴奏も中華風のムードを醸しているのだ。
遥か中国の地で、さまざまな事件や出来事の合間にマンダリンが催した晩餐会-この”間奏曲”は主人公グラディスが紅いチャイナドレスで現れたその宵の情景を想起させて已まない。バーグマンの奥行きのある美しさをイメージさせる音楽であってほしいと思う。
穏やかで暖かなムードの「決意のテーマ」を短く挟んだ後は、幻想的な曲想で「愛のテーマ」が奏されていく。何とも慎ましやかなのは、グラディスとリン大佐のまだ仄かな恋を描いているからか。旋律のクライマックスへと連なるOboeソロはあまりに切なく、その美しさが胸を締めつける。ひとときの甘き安らぎの時-それは夢のように過ぎ去っていく。
III. ハッピー・エンディング
前楽章からいきなり現実に引戻すが如く、終楽章(Con moto, Pesante)はパワフルで緊張感のあるオープニング。「決意のテーマ」と低音群の伴奏とがポリリズムとなって奏されると、不安感を示すTrb.のグリッサンドや金管群の強烈なffppクレシェンドの繰返しなどが続き、高いテンションのまま推移する楽想となっている。
この曲の前半部分は山越えで安全な西安へと脱出しようとするグラディスと子供たちに次々と迫りくる苦難を描く。険しく苦しい山道、極限の空腹、いつ出会うかも知れぬ日本兵の恐怖、冷たい急流の渡河、愛する友の尊い犠牲…。緊迫のシーンが続く音楽なのである。
壮大なクライマックスを経て、「決意のテーマ」によるFlute+Bassoon+Pianoの軽妙なブリッジを挟んでの後半(Alla marcia ♩=96)は、それらを乗越え西安の街へ”This Old Man”の歌声とともに元気に行進して来る子供たちの姿を描いていく。全曲最大の聴かせどころだ。
まず遠く遠く聴こえるスネアドラムに続き、Piccoloが”This Old Man”を楽しげに歌い出す。(as if distant の指示)
徐々に伴奏が増え、旋律はさまざまな楽器に移って計13回繰返され、実に55小節に亘る息の長いクレシェンドで奏される。その音色配置の巧みさとニュアンスの多彩さに注目したい。旋律はもちろん陽気なものであるが、決して最初から元気いっぱいではない。か細く始まったこの歌が徐々に心身を鼓舞しているうちに、希望の地に近づくにつれ高まる喜びとともに相乗的に高揚してくるさまを、遠くから近づいてくるさまとの両面で描いて欲しい。
Trb.がグリッサンドをかましてくるあたりの陽気さの高まり、続いてマーチ風にTrp.の「決意のテーマ」が絡んできて、遂には眩しいばかりの輝きに満ちた”This Old Man”となる音風景は、理屈なしの感動を与えてくれるだろう。
”This Old Man”はクレシェンドの頂点で最後にLargamenteで雄大かつ情感豊かに奏されて(14回目)締めくくられ、楽曲は静まって「愛のテーマ」が再び現れる。ジェナイ=博愛の人と称されたグラディスの物語の終幕に相応しい帰結である。
コーダは鳴り響く華麗な”鐘の音”が表現され、劇的なTimp.ソロに続いて全合奏のコードとドラが響きわたるや、豊潤なサウンドのクレシェンドに包まれて最高の”ハッピーエンディング”となる。
♪♪♪
アーノルドの魅力的な旋律を生かし、カラフルでスケールの大きな演奏を期待したい楽曲である。管弦楽版の音源は非常に少ないがリチャード・ヒコックスcond.
ロンドン交響楽団
の演奏が大変素晴らしい。色彩が豊かでメリハリがあり、感動的な演奏となっている。特に「ハッピー・エンディング」の”This Old Man”の部分はテンポ設定も抜群で、パルマーがセットした遠近感と色彩の変化を、息の長いクレシェンドの中で存分に示しているのが素晴らしい。エンディングも劇的であり、まさにBravo !映画そのものの音楽風景については、サントラ盤もあるのでそちらを。アーノルドの魅力ある楽曲が映画を支えていることが実感できるだろう。
【その他の所有音源】
ヴァーノン・ハンドリーcond. ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(Live)
キンバリー序曲
Kimberly Overture
J.スピアーズ(Jared Spears 1936- )
今では信じられないことだが、大昔は吹奏楽コンクールでの演奏を会場にて録音しても問題にならなかった。「生録(ナマロク)」ブームを巻き起こしたSONYカセットデンスケの登場が1973年-その頃までは録音機材を持つアマチュアも少ない時代で、権利関係や操作ミスによる雑音発生などに目くじらを立てる必要もなかったからかも知れない。
中学の吹奏楽部の大先輩の一人がその当時に西部(現九州)吹奏楽コンクールの演奏を録音し残してくれていた。おかげで音源も少なかった時代にレコード録音が存在しないものも含め、さまざまな曲を聴くことができたのは本当に有難いことであった。(大好きな曲なのに全くレコーディングされておらず、私にとってはその録音でしか聴いたことのない曲も未だにあるのだ。)
そして- 曲も色々だが演奏も色々、各バンドの思い入れが伝わる演奏は現在のレベルに比べれば拙いが、そんなものを超えて音楽的興味をそそる個性を持つものも多かった。
「キンバリー序曲」を初めて聴いたのもその録音だ。当時まだ小編成(B)の部が開催されていた西部大会にて北九州市の中学が演奏していたのだった。この曲一番の素敵な旋律が出てくる部分(練習番号C及びIから各6小節間)ではAllegroにもかかわらずぐっとテンポを落とし、存分に歌うという非常に大胆な解釈で奏されていたけれど、このバンドがそこを大好きで入れ込んでいることが伝わる演奏であり、強く印象に残っている。
また、他校のこうした演奏をいつまでも残したくて、何度でも聴きたくて懸命に録音した先輩とその仲間(中学生)たちが、眼前の演奏に熱いハートで接していたさまも目に浮かんでくるのである。
♪♪♪「キンバリー序曲」(1968年)は吹奏楽レコードの草分けであるCBSソニーの「吹奏楽コンクール自由曲集 ダイナミック・バンド・コンサート Vol.1」に収録され、1970年代を中心に人気を博した作品である。
作曲したジャレッド・スピアーズはこの「自由曲集」シリーズに多くの楽曲を提供したことで本邦でも有名な作曲家となった。
題名の「キンバリー」について詳細は不明である。
「キンバリー」※は英語圏の女性の名前としてはかなり一般的なものであり、この序曲がスピアーズのお嬢さん=マーシャのために書かれた作品であることからすれば、マーシャのお友だちか、或いは大事にしていたお人形の名前あたりに因むものではないかと私は推定している。いずれにしても、お嬢さんへ愛情を込めてプレゼントされた楽曲であることは間違いない。
※南アフリカ共和国に「キンバリー」というダイヤモンド採掘で有名な街があり、
またそれに準えて命名されたオーストラリア西部の同名都市もあるが、とも
に”Kimberley”とスペルが異なっており、無関係と推定される。
曲名と同じスペルの”Kimberly”としては、製紙とそこから派生したヘルスケ
ア用品製造を手がける米国大手企業キンバリー・クラーク(Kimberly-Clark)
社と、その創業者に因んで名付けられたウィスコンシン州にある村の名前
くらいしか見当たるものはない。しかしスピアーズの経歴にウィスコンシン州
での活動は登場せず、そこにお嬢さんとの特別な想い出があるようにも思え
ないので、これも無関係なのではないだろうか。
♪♪♪
序奏部はAllegro 2/4拍子、中低音によってモチーフがダイナミックに奏され、カウンターのTimp.が小気味良いオープニング。(冒頭画像)
輝きを放つ木管のトリルとともにモチーフが発展し高揚するとリズミックな第1主題が現れ、中低音のカウンターと交互に繰返される。これがスネアのリズムで静まると、シンコペーションを効かせたモダンな伴奏が聴こえてくるのだが、これがとても洒落ていて私は大好き!この伴奏に乗って水晶のような透明感のある第2の主題をClarinetが奏し、
さらにFlute、Oboe、E♭Clarinetも加わってオクターブ上で歌い上げると、キラキラと水しぶきがはじけ飛ぶような楽想がこれに続く。
爽快なサウンドの中で2つの美しい旋律が絡み合うさまには、思わず心がときめいてしまうのだ。
緊張感とダイナミクスを高めたブリッジを挟み第1主題が戻ってくるが、今度は濃厚なサウンドと鳴り響くドラで仕舞われ、Trombone→Cornetと受継ぐSoliにより鎮まって中間部のAndante 4/4拍子に入る。
ここでは落ち着いた雰囲気へと変わり、やや内省的で憂いを帯びた旋律が歌い出す。幻想的な木管低音の響きとTimp.の密やかなSoloとで一旦遠く消えていくのだが、Clarinetの低音が再び歌い出して音楽は徐々に高まり、やがてテュッティとなってサウンドも暖かさを増していくのが実に印象的である。
フェルマータで迎えたその頂点の次には、柔らかにまばゆい、昇りゆく朝日をイメージさせる幅広い音楽となってブリッジを形成し、Allegroの再現部へ。もう一度リズミックで爽快な楽想を繰返して楽しませた後、冒頭のモチーフを応酬してコーダに入り、パーカッションSoliを挟んで最後まで快活なままに曲を閉じる。
急-緩-急のオーソドックスな構成によるシンプルで愛らしい、技術的には易しい小品だが、美爽な旋律に満ち、ハーモニーを活かした効果的な楽句を要所に配した佳曲だ。聴いていると「おっ、いいなぁ!」って幾度もワクワクさせられる、私のお気に入りである。現在は楽譜の入手も困難となっているが、この曲もまた忘れ去るのは惜し過ぎる作品と思う。
♪♪♪
唯一の録音が飯吉 靖彦(汐澤 安彦)cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
の演奏である。よく歌い、曲の魅力を発揮させた好演だが、ぜひ他の演奏でこの曲を聴いてみたいとも思う。
第2組曲 W.F.マクベス
Second Suite for Band
I. Gigue
II. Dirge
III. Entry
W.F.マクベス
(William Francis McBeth
1933-2012)
2012年1月、ウイリアム・フランシス・マクベスの訃報が伝わった。ファンである私の受けた衝撃はもちろん非常に大きかったが、吹奏楽界自体にとっても大きな損失となったことは間違いないだろう。確固たる世界観を持つ吹奏楽曲を送り出せる名作曲家を、また一人失ったのだから。個性的なサウンドと、ダイナミックで劇的な楽想にあふれたマクベスの作風は吹奏楽に実によくマッチしている。そんなマクベスの吹奏楽曲の中で、最初に出版されたのがこの「第2組曲」(1961)。
マクベスの作品中最大のヒット作となったあの「聖歌と祭り」以前に書かれた作曲者初期の作品である。
作曲当時まだ20代であったマクベスは、この曲が出版されるにあたり「(未熟な)新人作曲家」の作品と見られることを避けるため、本来「第1組曲」とすべきこの曲に、何と敢えて「第2組曲」と名付けた- というおもしろいエピソードが伝わっている。
従って「第2組曲」の作曲当時、「第1組曲」は存在していなかったわけだ。現在遺されているマクベスの「第1組曲」は、管弦楽のための作品で後年に作曲されたものなのだとか。
【参考・出典】 Hardin-Simmons University HP
尚、このHP上「第2組曲」の出版年は1960年とされているが、フルスコアには
1961年の出版と記されていることから、本稿はフルスコアに従っている。
♪♪♪
第2組曲は短い3つの楽章から成っており、全体でも6分ほどの作品である。
前述の通りマクベスの”最初の”吹奏楽曲なのだが、既にマクベスらしい美点とサウンドがみられ、個性を放つ楽曲となっている。また曲中にブラスアンサンブルや木管アンサンブル的な”薄い”部分が結構あって際どくも新鮮な響きが聴こえる。そしてこうした部分で楽器の組合せを入れ替えることにより、コントラストを効かせてもいるのである。
I.舞曲
”歓喜に満ちた舞曲”が作曲者マクベスのこの楽章のイメージ。ダイナミックに始まるイントロでは、挿入された2/4拍子のシンコペーションが野性味を演出し、エキサイティングな音楽となっている。(上画像参照)
これが静まるとTrb.+TubaのハーモニーをバックにTrumpetが朗々とSoloがを奏でる。この旋律がなかなかいい!この旋律がCl.のハーモニーをバックにしたFl.+ Ob.のSoliへと受け継がれ、遂には打楽器を含めたフルテュッティで奏されていく。最後はイントロの舞曲が呼び返され、テンポを緩めつつ一層スケールアップして華々しく楽章を締めくくる。
II.葬送
”葬列の薄暗い陰影”を表現した楽章。Hornに始まる哀歌が受け継がれ、陰鬱な響きの中に打楽器が葬列の足取りを示し曲は進む。この哀歌はテュッティで奏でられ高揚するが、最後は再びHornに戻ってきて遠く消えてゆく。
III.入場
打楽器Soliに導かれ、野太い低音から重なっていくTrp.の3声のファンファーレが始まる。この厳かで重厚な入場の音楽をマクベスは”式典の行列が近づいてくる様子”と表現している。ファンファーレはTrb.とTuba(+Bassoon)も加わって高揚するや全金管が鳴り響いて輝かしい頂点となり、さらにテュッテイで劇的なクライマックスを形成する。Horn、そして木管と受け継がれ色彩の変化を示しながらより劇的で幅広い音楽となり、再び打楽器Soliに導かれて堂々たるエンディングを迎える。
色彩に例えれば”黒っぽい”サウンドと楽想に支配された曲なので地味に思われるのかもしれないが。ユニークな世界を持った作品であり、幾らなんでももう少し演奏されて然るべきだろう。私はとても面白いと思うのだが…。
♪♪♪
さて音源であるが…存在しない!m(_ _)m
プロフェッショナルな楽団の商業録音はもちろん、コンクール実況録音や出版社サンプル音源もなく、ネット上にも見当たらない!
「橋本音源堂」のアイデンティティを揺るがす、開設以来初の”音源のない曲”の紹介だったわけである。現在はもちろんのこと、過去コンクールなどでもあまり演奏されたことのない、知られざる佳曲なのだ。
私自身は前稿(「キンバリー序曲」)で触れたように、大先輩が残してくれた西部(現九州)大会の録音でたまたま聴いていたから、この曲を知っているに過ぎない。
それは1972年、本土復帰を記念して沖縄で開催された西部大会での春日中(福岡代表)の演奏である。既にマクベス好きになっていた私は、耳にしたことのないこの曲の題名に喰いつき、(録音状態はあまり良くなかったが)何度も何度もその録音を聴いて、遂には空で歌えるほどになってしまったのだった。
しかし今はそれを再び聴くこともできず、あるのは私の記憶の中にだけだ。改めてちゃんと聴いてみたい一曲である。
現在は楽譜を簡単に入手できることもあり、ぜひこの曲の再評価を…!
そしてもっと演奏され、楽曲の魅力を発揮した好演の録音も登場せんことを、心から祈って已まない。
【2013.1.27. 追記】
CLAさんが早速にコメントをお寄せいただき、米国の高校生バンドによるLive録音音源をご紹介下さいました。折角ですのでLinkを貼らせていただきます。大変貴重な音源と思います。CLAさん、有難うございました。
音源:Lawrence County High School Band (1980)
宝珠と王の杖 -戴冠式行進曲
Orb and Sceptre
W.T.ウォルトン
(William Turner Walton
1902-1983)
1953年、現イギリス国王エリザベス2世の戴冠式のために作曲された行進曲(管弦楽曲)である。
”戴冠式行進曲”というと厳めしく、格式があり良くも悪くも保守的な楽曲がイメージされるが、この「宝珠と王の杖」は高い品格を感じさせることはもちろんながら、よりモダンな音楽となっているところにその魅力がある。作曲者ウォルトンが先行して作曲したもう一つの戴冠式行進曲=「王冠」と比較しても、それが顕著と云えよう。
そのモダンさは第二次世界大戦中に開花した”スウィングの時代”の影響を受けており、”新しい時代の精神”を反映したジャズ的な色彩を持つとも評されるが、そうした斬新な手法をとり入れたウォルトンの意欲が感じられるこの作品は、所謂”戴冠式行進曲”のイメージを超えた輝きを放っている。
”Orb and Sceptre”という標題はウイリアム・シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー五世」第4幕第1場に登場する -正確にはこれを原作にローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier)が監督・主演し、ウォルトンが音楽を担当した映画「ヘンリー五世」(1944)に登場するヘンリー5世の独白※に因むものとのことである。
※ヘンリー5世が、その責任の重さと付随する苦悩を自覚しつつも、王と
しての覚悟を固める場面である。「たとえ戴冠式の栄華に浴しても、王
の責任と苦悩は到底慰められるものではない。」の趣旨の中で、Orbと
Sceptreは王だけが手にし得るものとして、他のレガリアとともに列挙さ
れている。
この科白は映画化にあたって少々改変され、その映画版の科白(下記)
に'orb and sceptre, crown imperial'という、そのものズバリのくだりが現
れるのである。
'Tis not the orb and sceptre, crown imperial,
The throne he sits on, nor the tide of pomp
That beats upon the high shore of this world-
Not all these laid in bed majestical,
1953年6月2日、ウエストミンスター寺院に於ける戴冠式本番での「宝珠と王の杖」の演奏は戴冠式”開始前の奏楽”※として行われた。これはパーセルの「シャコンヌ」に始まり、ウォルトンの「王冠」やホルストの「木星」、エルガーの「威風堂々第2番」にヘンデルの「王宮の花火の音楽」など、イギリス古今の名作とともに、エイドリアン・ボールト(Adrian Boult)指揮の戴冠式管弦楽団により演奏されたものである。
※ウエストミンスター寺院公式HP掲載の曲目リストによる。
→「Coronation-1953-music-full-list-web.pdf」をダウンロード
「宝珠と王の杖」スコアの曲目解説には、戴冠式の女王入場の際に
アーノルド・バックス(Arnold Bax)が新たに作曲した「戴冠式行進曲」
が使用されたとの記述があるが、上記リスト上ではバックスの戴冠
式行進曲は、戴冠式“終了後の奏楽”にて演奏されたと記されている。
ネット上にupされた戴冠式当日の記録映像や、BBC制作の記録番組
(DVD)も視聴したが、女王入場の際にバックスの戴冠式行進曲が演
奏されている様子は確認できず(因みにバックスの「戴冠式行進曲」
は、典型的な儀礼曲というべき、まさに保守的な曲想である)、戴冠
式中の音楽演奏はファンファーレやイギリス国歌、そして宗教的な
音楽で占められていた。従って、当日の演奏楽曲はウエストミンスタ
ー寺院のリスト通りであったと考えてよいであろう。
尚、式中ではC.T.スミスの「ルイ・ブルジョワの讃歌による変奏曲」に
より吹奏楽界でも有名な“Hymn
: All People that on earth do
dwell”
(ヴォーン=ウイリアムズ編)も唱されていたのが印象的であった。
♪♪♪イギリス国王の「戴冠式」は、今日の先進国では本邦の「大嘗祭」を除き他に例をみない”君主即位の宗教儀式”であり、イギリスという国家が千年に亘るその経験の所産として手に入れた、貴重な文化価値を秘めるとされている。
曲名に掲げられた”Orb””やSceptre”はそうしたイギリスの伝承所産の一つであるレガリア(王器)※の中でも主要なものであり、戴冠式においても重要な役割を果たすが、本邦においてはほとんどなじみがない。そのため、この曲の邦訳も決定的なものはなく、「宝玉と王の杖」「宝珠と王笏」「宝玉と勺杖」などが混在する状態となっている。
※レガリア(王器)
王者の証たる宝物のことで、本邦においては「三種の神器」=八咫鏡・八
尺瓊勾玉・草薙剣がこれにあたる。レガリアは他にもロシアをはじめする
世界各国にて伝承されている。
冒頭画像において、エリザベス女王の左手にはOrb、右手にはSceptreが
握られている。この”Orb and Sceptre”という標題の邦訳については、おそ
らく本邦随一の研究文献「イギリスの戴冠式」を著した蒲生俊仁氏に敬意
を表し、氏の採用した訳語に基づき「王珠と王笏」とするのが良いと思うが、
本稿では一般化しているという観点から「宝珠と王の杖」を採用した。戴冠式はウエストミンスター寺院にて執り行われ、新国王の入場である「臨御の儀」に始まり、バッキンガム宮殿への「還御」に至るまで、実に21もの儀式(現在は廃止された「挑戦式」を除く)が厳粛に行われる。一連の儀式を執り仕切るのはカンタベリー大主教であり、ウエストミンスター院長がその介添役を務め、さらに祈祷や説教を分担する5人の主教が大主教に扈従する。
儀式の中で最も重要なのは「聖別式」であり、一見中心的と思われる「加冠式」(聖エドワード冠の授与式)は元々その付随的なものなのだという。
「聖別式」はまさにイギリス国王の椅子たる”聖エドワードの椅子”に初めて着席した新国王に、聖油を塗る儀式である。聖油入れ(Ampulla)から聖油匙に取った聖油をカンタベリー大主教が指に浸し、祈りを唱えつつその指で新国王の頭・胸・そして両掌に十字を描く。「神の御前で聖油を塗られた(神の)御代理者」として新国王を聖別するのである。
さて、本作の標題であるOrb(王珠)とSceptre(王笏)は他のレガリア(王衣・拍車・剣・腕輪・指輪)とともに戴冠式にて新国王に順次授与されるものであり、その授与式は「加冠式」に先立って行われる。■Orb(王珠)
王の地上の統治権とその統治を支配する神=”キリスト教の十字架の下の独立主権”の象徴。
十字架を戴く直径6インチの金色の金属球体で、金のレースやダイヤ・ルビー・エメラルドなど数々の宝石で装飾されており、球頂の大きく美しいアメジストの上に、これもまた美しく宝飾された十字架がある。■Sceptre(王笏)
王の力と正義のしるしである「十字架笏」と、公正と慈悲の笏である「鳩笏」の2本から成り、新国王は授与された「十字架笏」を右手に、「鳩笏」を左手に持つ。ともに3フィートほどの金の棒であり、豪華な装飾が施されている。特に「十字架笏」は王珠が据えられた笏頭に”アフリカの巨星”という530カラットものダイヤが嵌め込まれていることで有名。戴冠式を終え、黄金儀装馬車に乗りバッキンガム宮殿へと還御するにあたり新国王は王衣を改め、王冠も”聖エドワード冠”から”帝冠(The Imperial Crown of State)”へと替える。そして左手に”王珠”、右手に”十字架笏”を手渡されて出発するのである。
ウエストミンスター寺院の中で行われる儀式に参加できる者は限られているが、還御する新国王は何の資格も持たない一般民衆も目にすることができる。※
そこには、帝冠を戴き王珠王笏を手に、威儀を正した新国王の姿があるのである。(冒頭画像参照)
より重要な儀式に用いられる”聖油入れ”や”聖油匙”そして”聖エドワード冠”をはじめとして、戴冠式に登場するレガリアは数多い。しかしウォルトンがイギリス国王に献呈する戴冠式行進曲の標題として、”帝冠”ならびに”王珠と王笏”とを選んだことは、「国民に等しく知られた新国王の姿」と合致するという観点からも、大変ふさわしいものと云うことができるであろう。
※現国王エリザベス2世の戴冠式は史上初めてBBCによりテレビ中継さ
れた。これにより一般国民も戴冠式の様子を初めて目にすることが
できたものである。当時、”開かれた王室”への志向と、王室の権威維
持との軋轢は大きかったようで、その様子はBBC制作の「BBC 世界に
衝撃を与えた日 1~エリザベスII世の戴冠とダイアナ妃の死~」(DVD)
に詳しい。
【参考・出典】「イギリスの戴冠式-象徴の万華鏡-」
蒲生 俊仁 著 (神道文化叢書8/神道文化会)
イギリスの戴冠式を語り尽くした決定版的書籍。総覧的かつ詳密で非常にわかりやすく整理されている。この特殊な題材に対して実に丁寧な調査を施し、品のある筆致で過不足なくまとめあげられており、ひたすら頭が下がる。「エリザベス(上・下)」
サラ・ブラッドフォード 著 尾島 恵子 訳
(讀賣新聞社)
現イギリス国王・エリザベス2世のオフィシャルな伝記で、戴冠式の情景も物語的に描写されている。しかし何より印象的なのは、既に結婚し二人の子供にも恵まれていた王女エリザベスが、父ジョージ6世の崩御を受け女王として即位した際の描写である。王女とはいえ、遂にこの世にただ一人しか存在しない「国王」となる -変貌を余儀なくされるその瞬間に”凄味”が感じられて已まない。
・イギリス王室 公式Webサイト
・「宝珠と王の杖」スコア(Oxford University Press 版)
デヴィッド・ロイド=ジョーンズ(David Lloyd-Jones)による楽曲解説
・Paul Serotskyによる「宝珠と王の杖」楽曲解説
・「ヘンリー五世」
(ウイリアム・シェイクスピア 作 小田島 雄志 訳 白泉Uブックス)
・「BBC 世界に衝撃を与えた日 1~エリザベスII世の戴冠と
ダイアナ妃の死~」 (DVD/BBC製作)
♪♪♪楽曲としてはA-B-A-Bという戴冠式行進曲らしい構成を持ち、冒頭Trumpetのファンファーレに始まるリズミックな序奏部に続いて、厳かで非常に落ち着いた楽想により第1主題が現れる。
この第1主題からして弦楽器(Vln.II)とHornとで同奏されることが示すように、本楽曲に於いてHornという楽器は旋律に伴奏にと終始大活躍し、輝きを放つ存在となっているのだが、一方でHornにとってとてもキツい楽曲であることも想像される。
続くpomposoの第2主題もHornによって奏されるが、こんどは一転若々しい活気に溢れた、キラキラと煌めくモダンな楽想となって聴く者の心を躍らせる。これがTrumpetに受け継がれて高揚するのだが、ここに現れる打楽器のアフタービートとTromboneのカウンターが一層モダンな音楽へと演出しているのである。
打楽器の8分音符ふたつでブレイクした後はいったん静まって弦楽器+木管楽器の音色に変わって第2旋律の変奏へ。これが徐々に高まって序奏部を呼び返した後、ファンファーレ風の楽句が応答するブリッジを経て静かで悠々たる中間部へと流れ込んでいく。
弦楽器によって始められ、追ってHornも加わり奏でられる威厳と気品に満ちた旋律は、美しいだけでなく雄大なスケールを有している。ここでは味わい深いBassoonによる対旋律も見逃せない。高揚し旋律がオクターブ上で繰り返され嚇々たる音楽となるや、そこにはカウンター楽句を抑制し、ひたすら威厳と荘重さに満たされた堂々たる音楽の歩みが現れる。重厚ながらも決してよどまぬその音楽の歩みは、実に感動的である。
充実したサウンドで中間部を終うと再びTrumpetが短くファンファーレを奏し、冒頭からの再現部。第2旋律の変奏まで再現されると、今度はテンポも気持ちも泡立つようなアッチェランドのブリッジを挟み、一層華やかさとスケールを拡大した中間部の再現となり、曲中最大のクライマックスLargamenteを迎える。ここでは中間部の旋律が打楽器のアフタービートに乗って高らかに奏されるとともに、金管群のふんだんなカウンターが鮮やかな華を添え、洵にモダンでゴージャス極まりない!
特に156小節~162小節に至っては、旋律にリズムと和声の伴奏、そしてHorn+Tromboneの対旋律が加わり、その上さらにTrumpetにハイ・ノートで“突き抜けた”もう一つの旋律が現れるという多声部の音楽となるが、その華々しさたるや筆舌に尽くし難いものである。
コーダは足取りを速めて一気呵成にファンファーレへと突入、音符の長さを拡大したこの最後のファンファーレとコントラストを成すキレの良い16分音符の楽句を奏で、エキサイティングに曲を閉じる。
♪♪♪作曲者ウイリアム・ウォルトンは前述のように1937年のジョージ6世戴冠式のためにも「王冠」(Crown Imperial)を作曲しており、「宝珠と王の杖」は2曲目の戴冠式行進曲ということになる。彼はまたエリザベス2世の戴冠式において、終盤=聖餐式で唱された「テ・デウム(讃美の頌)」も作曲している。
ウォルトンの作品はどれも旋律をはじめとして非常に高い格調が感じられるが、ジャズやラテンといったごく現代の音楽にも興味と造詣が深かったウォルトンは、それらをセンスよく自作に反映させているのだ。
…ガーシュインはマジェスティック・ホテルの彼の部屋で、友人
や取り巻きに『パリのアメリカ人』の断片を弾いて聴かせた。ガ
ーシュインの友人のヴァーノン・デュークはメロディの美しいブ
ルースの中間部をサッカリンのように甘いと非難したが、そこ
に居合わせた若きウイリアム・ウォルトンは、そのパッセージを
変えないようにとガーシュインに言ったのである。
-「ガーシュウィン(大作曲家)」
Hanspeter Krellmann / 渋谷 和邦 訳 (音楽之友社) より
上記のエピソードからも、ウォルトンがジャンルにこだわらない鋭敏な進取の気性と、優れたセンスに溢れていたことが理解できよう。
そして当時のイギリス国民の総意と同じく、当時未だ26歳という若く美しい女王の誕生にこれまでとは全く違う新たな時代の到来を予感し、期待したウォルトンの思いから、「宝珠と王の杖」は生み出されたのではないだろうか?
そこにウォルトンのセンスがシンクロしたことで、このモダンな曲想が生まれたのだと思う。表立ってジャズ風の楽曲になっているわけではないが、新鮮味のあるサウンドと和声、アフタービートのリズムとシンコペーションを効かせた譜割り、さらにジャズの如く縦横無尽に活躍する金管楽器たち…そこには”新しい”音楽が、間違いなく存在している。
ウォルトン自身は「宝珠と王の杖」を必ずしも会心の作とは思っていなかった。(殊に冒頭のファンファーレがメンデルスゾーンの「結婚行進曲」に似てしまったことは、大いに気に入らないところだったようである。)
しかし、私はこの曲が大好きだ。「王冠」もとても素敵な曲だけれども、「宝珠と王の杖」により強い魅力を感じる。その”新しさ””瑞々しさ”に、どうにも心が躍って已まないのである。
♪♪♪
さて「宝珠と王の杖」の演奏にあたっては、まずリズムの良いことが求められる。特に27および114小節目の打楽器ソリでテンポがガッツリ嵌りこみ、鈍重になってしまう演奏が多いのはとても残念。終始良いリズムを失わないようにしないと、この曲のオシャレな感じは出てこないのだ。
そしてもう一つ、最大の命題は-終盤156小節目からの多声部極まる大クライマックスに於いて、果たして”Trumpet(1st)がぶっ放すか、否か”である。もちろん”ぶっ放す”と云っても”音楽的な”範囲でのことではあるが、これをかなり抑えめにした演奏が実は多いのだ。
私個人の結論は-
やっぱり”ぶっ放さなきゃ!”
以上の観点からお奨めの音源は以下となる。チャールズ・グローヴスcond.
ロイヤル・リヴァプール・
フィルハーモニー管弦楽団
やや粗く大味なところがあるのも否めないが、その分この曲の魅力をストレートに発揮する好演。実にテンポ感の良い現代的な演奏である。ロバート・ファーノンcond.
BBCノーザン交響楽団 (Live)
とにかくキツイこの曲のLive演奏としてはほぼ限界的とも云える好演。テンポが重く嵌まり込む部分があるのは残念だが、セッション録音を含めここまで“吹き切った”演奏はない。
尚、“ぶっ放さない”演奏としてはこちらをお奨めしておく。ポール・ダニエルcond.
イギリス・ノーザン・フィルハーモニア
フレーズの受け渡しが実に丁寧で、大きな音楽の流れを形成している。ダイナミックな一方で美しくコントロールされた好演。
【その他の所有音源】
アンドレ・プレヴィンcond.
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ルイ・フレモーcond. バーミンガム市交響楽団
マルコム・サージェントcond. ロンドン交響楽団
フレデリック・フェネルcond. イーストマン=ロチェスター・ポップス管弦楽団
デヴィッド・ウィルコックスcond. フィルハーモニア管弦楽団
デヴィッド・ヒルcond. ボーンマウス交響楽団
ウイリアム・ウォルトンcond. フィルハーモニア管弦楽団
ロバート・マンデルcond. ニュー・シンフォニーオーケストラ
更新情報
本Blogでは、記事中の画像をクリックいただくと拡大
するようにしてあります。スコアはぜひ拡大してご覧
いただきたいと思いますし、今回upした「宝珠と王の
杖」では豪華なレガリアの美しさなどを、ぜひ拡大画
像でご覧いただきたいと思います。
堂主敬白
2013.2.22. 宝珠と王の杖 upしました
2013.1.26. 第2組曲 W.F.マクベス upしました
2013.1.23. キンバリー序曲 upしました
2013.1.1. 第六の幸福をもたらす宿 -組曲 upしました
映画「六番目の幸福」あらすじを画像とともに
別ファイルにまとめました。この映画をご覧に
なる時間がないという方のお役に立てばと
存じます。記事中のlinkからどうぞ。
2012.12.28. イーグルクレスト序曲 upしました
2012.12.23. 懐かしの「素晴らしきヒコーキ野郎」
あの「ブラスのひびき」テーマ曲、音源入手しました
2012.12.14. チェルシー組曲 出版社サンプル音源 linkしました
2012.11.30. コラールとカプリチオ upしました
2012.11.23. コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディ
upしました
2012.7.22. インヴィクタ序曲 upしました